軟弱なサニーサイドストーリー

本陣忠人

軟弱なサニーサイドストーリー

「俺、目玉焼きはソースで食べたいんだよね…」


 醤油という在来種でありながら異物という二律背反に汚染された純白の海に視線を固定したままで、何の気無く小さな声でボソリと零した嗜好しこうに関する本音が彼女の耳に届き、そしてすぐさま逆鱗に触れた。


 あ、ヤバい。失言だったか?

 俺の脳裏にそんな疑念が浮かんだ瞬間、その刹那より前に賽は投げられていて既に導火線には火がついていたのだ。


 美桜ミオウ――それが正面に座る女性の名だけど――左手に持ったマグカップを強く机に叩きつけた。

 その勢いはと言えば、一瞬カップから離れたコーヒーが空中に留まり、逆再生して戻った様に見えたほどだ。つまりはウルトラQ的な演出。


 全てを吸い込む筈の真っ黒な滝が水色の器に収まるのが早いか、彼女はワナワナと震えながら鼻息荒く口を開く。


「は? ソース? そそ、そソースぅ! よりにもよってソース?? あ? ぁあ、アア、ありえないでしょ?」


 はっ?

 ありえない。

 ありえない?


 なんだよありえないって。ありえないなんてことはありえない。有ることが有り得るはずがないってか?


 は?

 いやいやまあまあ、有り得るだろ全然さああぁっ!!


「いやいや普通に有り得るだろ。え? なに? ひょっとしてソースが嫌いなの? それてもそういう戒律の宗教()かなにかなの?」


 売り言葉に買い言葉。乱れ桜に花咲くいろは。

 ついカチンと来てしまい、唾とご飯粒を飛沫に交えて飛ばす。


 国産RPGにおけるターン制バトルの様に交互に言葉を放つのは何処かキャッチボールに似ているが、穏やかさとは程遠い空気が俺達の囲む食卓を内側から支配する。


「そっちこそ何? 目玉焼きにソース? はんっ、私なら罰ゲームでもゴメンだね」

「じゃあ君は? その褒美として何をかけるのさ?」


 罰ゲームというフレーズが喉の奥に引っ掛かるが、俺も少なからず良い大人である。多少の不平不満は我慢して飲み込もう。まあ少しだけ…ほんのちょっとだけ引っ掛かるがな!


 俺が異物を何とか胃に収める内に、美桜は台所から小瓶を持って来て、追い打ち気味に中身をちゅるりと皿に注ぐ。


 大きな純白の円の中で太陽の様に燦然と輝き、サイズ以上に巨大な存在感を放つ黄色の小さな円。

 その中間に弧を描いた赤味がかった黒色の線。


 彼女が足した調味料は――、


「ダンゼン醤油でしょ? それでも日本人? 大和男子なら身体の中を醤油が流れていてこそ一人前だよ!」

「ふんっ、お前…『浅い』ね……」

「はあっ? なによそれ! なにそれ、どーいう意味よ?」


 一層鼻息を荒くする彼女を横目に、やれやれと肩を竦めた。誰が見ても伝わる呆れているポーズ。


 とまあ、そもそも身体の中を醤油が流れる件について常識的かつ理知的な指摘ツッコミだって可能であるにも関わらず、俺はきちんと相手の土俵で議論してやろうとしている。


 なんならこの時点で既に勝敗は決していると行っても過言ではないが、まいったな…俺もまだまだ、あまい甘い。

 惚れた弱みがデフォである恋人が相手だとは言え、それだからこそ厳しく接しなければならない場面だってあるというのに…。ったく、これは今後の課題だな。やれやれ、人間死ぬまで勉強だねこれは。


 付け合せのタコさんウインナーを半分ほど齧り、愛しい人のレベルに合わせて議論を進める。


「言うに事欠いて。この現代社会で旧態依然の日本男児ステレオタイプ? おいおいとんだレイシスト様だ。知ってるかい? そういうもセクハラなんだぜ?」

「ハラスメントの連呼も立派なハラスメントだって知ってる?」

「そんなの言葉遊びだろ? だったらそれも間違いなくハラスメントの一種だ」


 互いに息を切らしながら絶望的な平行線を歩く。

 流石に益体と実利がなさ過ぎるので、「ちょっと話を戻そうか」と提案すると彼女も「そうだね」と簡単に同意した。ここでヒステリックにならず、普通に理屈が通じるロジカルな所が俺は好きだ。


「よし、論破を目的にするんじゃなくて互いにプレゼンすることで至高の嗜好を布教するってのはどうかな?」


 極めて建設的で現実的な提案に対する彼女の回答は予想通りのものだった。

 ただまあ、オレンジジュースをガブ飲みしながらの返答ってのは予想外だったけども。さっきまでコーヒー飲んでなかった? あれ? 見間違いかな…?


「ノッた! 先ずは言い出しっぺの以蔵イゾウからね」


 以蔵というのはちなみに俺の名前。今風では無いかも知れないけど、昔のサムライみたいで結構普通に気に入っている。親に感謝。世界に感謝。ヤエーラブフォーエバー!


 脳内で架空の神々に祈りを捧げてからプレゼン内容を軽くまとめる。自分で言い出しておいて何だが、そんなに得意な作業では無い。


 故に、


「悪いけど勝たせて貰うよ。諸刃の剣がある」

「そんな御託はいいからかかってきな! 蹴散らしてやんよ!」


 なんだかバトル漫画における一騎打ちの前みたいな口上とやり取りを交わし、本題に入る。

 俺は極めて論理的な人間だから、凄まじく論理的な持論を口にする訳である。


「そもそもソース――つまりはウスターソースなんだけど――その原材料の中に醤油ってあるんだよね」

「え? うそっ? マジで??」


 彼女は心の底から意外だったのか、大きな声と共に身を乗り出す。千切りのキャベツがその煽りを受けて皿から飛び出すのをなんとなく横目に収めながら俺は言葉を繋げる。


「醤油と味醂と出汁類。そこに糖分や果汁なんかを加えたらザックリ出来上がるんだけど…もう分かるだろ? 君の支持する醤油ソイソースはソース派にとってはかつて通過したステージで、今となっては数多の原材料の内の一つに過ぎないんだ」

「なん…だと…?」

「認めたくないだろうけど、これが現実だ。分かるだろ? 調味料としての『格』が違うんだよ、残念ながらね」


 箸を持ったままガクリと大きく項垂れる恋人に向けての勝利宣言。或いは死体蹴り。

 いやはや我ながら手前味噌ではあるのだが崩す余地の無い完璧な理論であり、結果的に論破する形になって大変申し訳無いこと極まりないのだが、残念無念これが俺達の生きる戦場セカイだ。命の糧が戦場にあるように、戦場には糧食の命があるんだよね、これが。


 勝利の余韻とともに甘露ソースのかかった目玉焼きを口に放り込み、卵白と栄光を噛みしめる。

 なんという美味なのだろうか…やっぱり美桜の作る料理は最高だわ。公的機関に認められた調理師免許は伊達じゃない。本当美味いよ。


 恍惚に浸る俺の前で崩れ落ちた死体が静かに胎動を始めた。なんだ? まだ息があったのか。

 まあどちらにしても青色吐息の虫の息には違いないだろう。捨て置いて食事を続けよう。

 己の立ち位置を再確認し、優雅に箸を使い続ける俺の眼前に差し出された恋人の人差し指。

 ピンとそびえ立つそれが意味するのは「上」か「いち」であるところが多いとは思うけれど、今回はどっちだ? 恐らくは後者だけど…。


「…認めよう。確かに調味料としての立場ステージはソースの方が格上うえなのかもしれない。それは認める。長い年月をかけて研鑽と研究を重ねて追求を続けたというだけでも意味と価値があるよ」

「ほう、やけに素直だな。ベッドの上とは大違いだ」

「うっさい黙れ死ね」

「うん、気の所為だったわ」


 切れ味のストレートな軽口をそれこそ軽くいなしつつ、彼女の動向と言葉を見守る。

 発言だけを見れば…いや聞けばかな?

 ともすれば敗北宣言の様に思えなくもないけれど、どうしてなかなか美桜の眼はまだ死んでいない。左右に均等に分けられた前髪の後ろで虎視眈々と勝利の機会を伺っている…ってなんかもう、何の話をしてんだかって感じだ。


 すっぴんを彩る唯一の装飾品である黒縁メガネの位置を直してから、息も絶え絶えに声を絞り出した。


「…ま…ょうゆ」

「ん?」

「…生、醤油」

「なっ…んだと…?」

「私達には搾りたての『生醤油』があるって言ってんのよ!」


 全身に走る悪寒と衝撃…!

 しまった! その可能性は失念していた!

 生搾り醤油だと? 確かに…でも、それはっ!


 予想外の事態に硬直し、二の句が継げない俺と反比例する様にJOJOにエンジンがかかり、調子と滑らかさを取り戻すした美桜が唇は艶っぽく動かす。


「今更、説明の必要は無いよね? 近年急速に勢力を伸ばしている搾りたて系の生醤油…それは読んで字の如し、消費期限を引き換えに従来の既製品では成し得なかった高次元のフレッシュさ。そして驚異の『風味』と『香り』を実現した短命の花。さながら一夜の蛍か花火の所業」


 悔しいが、彼女の言うことは尤もだ。

 メーカー各社の工場で生成された製品を、その場ですぐ味わう様な生搾り系の圧倒的な鮮度と美食っぷりはこの舌が覚えている。週末なんかにちょっと贅沢して高めのお刺身を買って、プレモルと一緒に頂く…なんだよそれ最高かよ!


 いや、待て。刺し身…? そうかっ! そうだよな!

 フッフッフッ、ツメの甘い奴め。抜かったな!


 ぬか喜びとも知らずに優雅にほうじ茶ラテを楽しむ醤油派に向けて真実を叩きつけてやることとしよう…それはそうと、さっきまでオレンジジュース飲んでなかった? 勘違いかな…。


「…まあ確かに君の主張に反論は出来ない」

「そうでしょそうでしょその通りでしょ? 今なら改宗を認めてや…」

「尤も、を除いては――だけどね」

「ぬっ? どーいうことよ?」


 いやそっちこそ「ぬっ?」ってなんだよ。どういう事なんだよ。どういう気持ちを表明する言葉なんだよ。


 まあ置いておこう。一部に気を取られて大局を見逃すのは三流以下のカス野郎だ。ただまあ俺は超一流なので? そのような愚行を行ったりはしないけどね。


 すっかり皿の上を平らげた所で、ナプキンで口元の汚れを丁寧に拭う。

 優雅で気品ある所作の俺が言葉と会話を区切ったままであるので、反対に彼女の方はフラストレーションが溜まっているようだ。


「ちょっと。早く教えてよ…以蔵の言う『一点』って何?」


 頬を膨らませてそんなことを言う。やれやれ、欲しがり屋さんめ。

 彼女の欲求に応えるのも恋人である俺の仕事かな?


「丁度食べ終わったし、議論こちらもフィナーレといこうか」

「そういうのいいから早く早く!」

「何普通に気になってんだよ…良いけどさ」


 別に殊更秘めておいて、必要以上に溜める意味も見いだせないので普通に述べよう。

 一応演出として咳払いを短く挟んで、発見したことを改めて言葉にする。


「確かに美桜の言う様に醤油――特に生搾り系は素晴らしい」

「うんうん、それでそれで?」

「でもさ、それが目玉焼きに合うかって言ったら全然別の話であって、議論の本筋では無い」

「な…にっ! …いやでも確かにそうだね」


 それこそが俺の見つけた唯一。

 先程の美桜が高らかに謳い上げた生搾り醤油の美点。うん、疑いようの余地も、ぐうの音も出ない程にその通りだと思う。


 でも、それって別に目玉焼きを含んだ話じゃないよな? 醤油自体の進化が凄いだけで、それが目玉焼きに最も合う調味料という説明や根拠には一切なっていない。


 ただただ、その素晴らしさを説いただけで本議論の論旨とはそぐわないし、何も証明出来ていない。


 しかし、こんなコペルニクスもブチ切れるレベルの逆転的な発想にも当然穴というか、付け入る隙も普通にあったりして――、


「ん? でもでも待って。それって以蔵の主張も同じじゃない? ソースの素材に醤油が使われてるだけで、別にそれだけの話だったよね?」

「だね。ただの構成物質の話だった」

「何よそれ…」


 この後再びの激論をひとしきり交わして、そのまま二人で散歩に出かけて。

 ツタヤでアナ雪をレンタルしてから家でポップコーンを齧りながらそれを見た。


 んでセックスして一日が終わった。


 そして得られた結論。

 目玉焼きは何をかけても大体美味い!

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