3. 誰がラブレター送ったの

 ラブレター。

 直訳すれば〝愛の手紙〟だが、この場で語られる〝愛〟の種類はごく狭い範囲に限られるだろう。

 得てしてそれは――〝恋〟の告白を意図したものだ。


「お、おかんにラブレター……うらやまけしからん!」

「うらやましがれるのはともかく、なぜお前にけしからんと思われなければならないんだ」


 うぎゃーと頭を抱える伊恵理を適当にあやしながら、敢介は封筒を矯めつ眇めつする。

 表には、はっきりと[憂木敢介くんへ]と書かれている。どうやら敢介に宛てられたもので間違いはないようだ。


 ただ、手書きではない。手書き風のフォント。パソコンで作って印刷したものだろう。

 ばかりか封筒のどこにも差出人の名前がない。もちろん単なる書き忘れという可能性も捨てきれない。しかし、


「自分の痕跡を残さないようにしている、という風にも見えるんだよなぁ」


 敢介のぼやきに、伊恵理がしたり顔で、


「きっとシャイな子なんだよ。名無しだと不便だから〝シャイ子ちゃん〟と呼ぼう」

「どこかで聞いたようなあだ名だな……後で睨まれても知らないからな」


 伊恵理の迷推理は聞き流して、敢介は封筒を上着の内ポケットに収める。


「ここだと人通りの邪魔になる。場所を変えよう」

「よしきた! ……あれ? おかん、授業は? 行かなくていいの?」

「出席日数は足りてるから、一回くらいサボっても問題ない」

「お主もワルよのぅ」


 ニヤニヤと笑う伊恵理は捨て置いて、敢介は独りでに歩き始めた。伊恵理は慌てて後ろから追いかけてきた。



          ◆



「……で、なんでここに来るんだよ」


 そう言って敢介を上目遣いに睨んだのは、明るい色に染めた茶髪とカジュアルな眼鏡が特徴の男子生徒だ。ちなみに眼鏡は伊達で、掛けている理由は「その方が頭が良さそうに見えるだろ?」とのことだった。

 どう見ても頭が悪そうな少年に、敢介は身内向けの無表情を崩すことなく、


「ご挨拶だな、副生徒会長。今期の生徒会のモットーは〝開かれた生徒会〟じゃなかったか? 天下の副会長閣下が来る者を拒んでいいのか?」

「そうだそうだ! レーチのくせに生意気だ!」


 伊恵理もまた冗談めかした顔で元気に茶々を入れる。


「いやだからって! 何もオレの執務室へやで作業する必要ねえだろ!」


 敢介と伊恵理が向かったのは、授業用の校舎とは別に建てられている七階建ての生徒会棟、その最上階にある一室――副生徒会長の執務室だった。


 有斐丘学園は、中高併せて総勢一万二千名もの生徒数を抱える国内有数のマンモス校だ。

 それだけに、生徒会及びその隷下機関の業務量も膨大で、彼らを束ねる生徒会役員たちには一人一室が与えられるという特別待遇が為されている。


 敢介もまた生徒会機関に籍を置いている身なのだが、彼の所属は世間的には閑職扱いされている部署であり、役員と同等の待遇など望むべくもない。レーチのくせに生意気だ。


「この部屋は昨日〝殺菌〟されたばかりだから、密談するのに安心なんだよ。それにお前、ハブると後でうるさいし」


 最後に付け加えた一言に、うっ、と成沢玲壱なるさわれいいち――通称レーチは顔を赤らめた。

 玲壱もまた敢介や伊恵理と同郷の幼なじみなのだが、二人を差し置いて生徒会役員会に引き抜かれているくせして、彼ら三人組の中では一番の寂しがり屋なのだ。


 ところで、と玲壱は気を取り直すように言う。


「殺菌って何の話だ? オレ、別に病気とかじゃねーよ?」

「〝点検〟って意味だよ。今の話で言えば、盗聴器がないかとか調べること」


 現役の風紀委員である伊恵理が業界用語について解説する。へぇ、と玲壱は得心がいった様子で頷いていた。また一つ賢くなってくれたようで何よりだ。


「……ん? でも何で敢介が昨日〝殺菌〟されたこと知ってんだ?」


 玲壱の疑問を余所に、敢介は壁際のホワイトボードに近づくと、マグネットを一つ取って、封筒に近づける。特に反応はない。


「カミソリの刃が仕掛けられてる、ってこともないか」

「いきなりそんな心配をするオマエの方が物騒だよ……。ほら、ペーパーナイフ」


 サンキュ、とペーパーナイフを受け取って開封した敢介は、少し考えると、玲壱の目を盗んで、そっとそれを懐にしまった。室内を我が物顔で闊歩する伊恵理の制御を試みている玲壱は、敢介の動きに全く関心を払っていなかった。


 封筒と便箋は一組のレターセットとして販売されていたものだったのだろう、中の便箋は封筒と同じ淡いピンク色だった。ただ、何やら芳しい匂いがその紙からは漂っていた。

 ひくひくと伊恵理が犬よろしく鼻を動かす。


「これ、薔薇の香り……?」

「便箋に香水の匂いが付けられていたみたいだな。なかなか洒落てる」

「そのまま下駄箱に入れといたら、敢介の足の臭さが移ると思ったんじゃねーの?」

「着眼点は面白いが、俺の足が臭いは余計だ」


 しゅん、と肩を落とす玲壱をいい気味だと見やりながら、敢介は手紙の文面に目を通す。

 やはり宛名書きと同じく、手書き風のフォントで誂えられた印刷物だった。



[憂木敢介くんへ


 突然こうしてお手紙を出してごめんなさい。驚いたよね。

 でも、私の思いの丈を打ち明けるためには、これくらいする必要があるかなと思ったので、勇気を出して筆を執らせてもらいました。

 この手紙は先触れで、ちゃんとした告白は、後日直接顔を合わせた上で、させてもらえればと思います。


 つきましては、三月十九日、修了式の日の放課後、昼食を一緒に摂りたいです。

 万障お繰り合わせの上、ご参加下さいますようお願い申し上げます。かしこ]



「〝かしこ〟? シャイ子ちゃんじゃなくてかしこちゃん?」


 いつの間にか覗き込んでいた伊恵理が首を傾げる。


「名前じゃなくて、そういう挨拶だよ。お前も女なら覚えておいて損はないと思うぞ」

「そうなの? ……っていうか、中にも差出人の名前、書いてないんだね。やっぱりシャイ子ちゃんだよ」

「シャイ子ちゃんかどうかはともかく……書き忘れたというより、書けなかった、のかもしれないな」


 文面からは、片想いの相手へ告白することへの緊張よりも、敢介に対する親しみの方が強く感じられた。

 ということは、ラブレターの送り主は敢介の知り合いという可能性が高い。


 約束の日よりも以前に顔を合わせてしまっても――或いは敢介が約束をすっぽかしてしまっても、何事もなかったかのように振る舞い続けられるように。そんな保険めいた意識が働いたのだろうか。


 ただ、相手が誰であるにせよ、敢介の答えは既に決まり切っている。

 今日は三月十二日。約束の日までには一週間ある。となれば、お互いに無駄な時間を省くに越したことはないだろう。


 もっと見せて、と手を伸ばしてくる伊恵理を押し退けながら、敢介は便箋を丁寧に折り畳むと、再び封筒の中に収める。


「ひとまず、この差出人が誰なのか調べてみることにする。……ああ、それと伊恵理。今日は天気がいいからお前の分の弁当も俺が食べることにした。今決めた」


 毎朝、敢介は弁当を自分の分以外に伊恵理と玲壱のものも用意しているのだが、伊恵理にはまだ今日の弁当を渡していなかった。深い意図などなく、単に渡し忘れていただけなのだが、結果的に言えば都合が良かった。


「にゃ!? ええい、レーチ! 貴様の分の弁当を寄越せ!」

「いやオレに八つ当たりすんなよ!? だーもう、覚えてろよ、敢介っ!」


 騒がしい幼なじみたちに背を向けて、敢介は執務室を後にした。

 今ならまだ、遅刻だが授業を出席扱いにできるかもしれない。違反切符を切られない程度の早歩きで、敢介は授業の行われている視聴覚室へと急いだ。

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