4. 風紀委員会鑑識課

 昼休み。敢介は再び生徒会棟へと足を運んでいた。

 ただし、今度の行き先は副生徒会長の執務室ではない。建物の二階――風紀委員会が入居しているフロアにある一室だ。

 掲げられたプレートには〈鑑識課〉という文字が並んでいる。


「邪魔するぞ」

「邪魔するなら帰って」


 敢介の軽口に、本気とも冗談とも付かない返事を寄越してきたのは、目許に隈ができた目つきの悪い女子生徒だ。気怠げな雰囲気とも相まって、来客を拒絶しているようにも見えるが、これでもいちおう平常運転なのだ。


 彼女の名は藤浪ふじなみたる

 風紀委員会鑑識課に所属する一年生だ。来月、二年生に進級すると同時に、鑑識課長への昇任が決まっているという才媛でもある。


「そう言うなよ。同期の誼みだろ」


 にやり、と敢介は口の端を吊り上げる。営業スマイルには程遠いが、最低限の愛想は振りまいているつもりだ。

 しかし足穂は、敢介の中途半端な作り笑いなど一顧だにせず、


「元同期、でしょ。あんたはもう風紀委員辞めてるんだから」


 言いつつ、何やら探るような目を向けてくる。敢介は軽く首を竦めた。


「それより、昼飯やるから俺の頼みを聞いてくれ」

「…………」


 敢介の差し出したお弁当袋を、足穂が半眼でじっと睨め付けたのは、それが普段伊恵理の愛用しているものだと気づいたためだろう。しかし次の瞬間、ぐぅ、と腹の鳴る音が二人の間に漂った。


「仕方ない。私の腹の虫に免じて、その露骨な取引に応じてあげる」

「藤浪のそういう割り切りの良いところ、結構好きだぞ」

「冗談は顔だけにして」


 割と本気のトーンだった。少しだけ世を儚みたくなった。


 弁当を食べている間は、特にこれといった会話はなかった。お互いに多弁なタイプではないので、自然と沈黙ばかりが降り積もる。

 それでも全くの無音というのも寂しいので、少しだけ水を向けてみる。


「弁当の中身、俺と一緒なんだけど、たまにはこういうのも悪くないな」

「給食の時間は、全校生徒みんな同じものを食べてたでしょ」


 にべもない。敢介は会話を続けることを諦めた。


 お互い早々と弁当箱を空にすると、足穂はさっと白手袋を嵌めた。鑑識員モードに入る合図だ。


「それで、今回は何を調べて欲しいの?」


 敢介は上着の内ポケットから、問題のラブレターと、玲壱の執務室でくすねてきた彼のペーパーナイフを取り出した。


「この封筒と中の便箋に付いてる指紋が、このペーパーナイフに付いてる指紋と同じかどうかを照合してくれ」


 ペーパーナイフの持ち主が誰かは明言しないし、足穂も聞いてこない。敢介が知らせる義務も、足穂が知る権利もない。そういう暗黙の了解。

 もっと言えば、職員室――より正確には生徒指導部――の許可なく採取した指紋に証拠能力はないと校則で定められているので、これらの品から得られる個人情報を風紀委員会のデータベースに記録することはできないからでもある。少なくともルール上では。


「一致しなかった場合は?」

「その時は……まぁ可能な範囲で捜してもらえると助かる」

「そこは素直に、風紀委員会のデータベースと照合してくれ、って言いなよ」

「風紀委員会のデータベースと照合してくれ」


 言質は取ったからね、と足穂は何の感慨もなさそうに言ってのける。本気なのか形式上のものなのか判然としない。つくづく腹の内を読ませない女だ。


 足穂は封筒の中から便箋を取り出すと、目線だけで読んでもいいかと敢介に確認する。しかし、敢介が頷き返すよりも前に、その視線は文面に落とされていた。


「パソコンで書いたラブレター? 味気ないね」

「藤浪の物言いよりはずっと温かみを感じるよ」


 それに、最近はスマホの通話アプリのメッセージ機能を使って告白することも多いと聞く。もはや紙ですらない、ただのデジタルデータだ。

 だから――肝心なのは〝媒体〟ではなくて、そこに込められた〝想い〟の方なのではないだろうか。


 程なくして、足穂は険を帯びた目で敢介を見上げる。


「……差出人の名前がないけど、それが誰かを炙り出そうとしてるの?」


 趣味が悪いとでも言いたげな様子だが、敢介は涼しい顔で、


「イタズラの線も考えてるから、こうして参考人の指紋も持ってきてるんじゃないか」


 尤も、玲壱を疑っているというよりは、その線を早々に潰すために、敢えて一番に調べることにしたという感じだ。伊恵理はこんな悠長な真似ができる性格ではないので、最初から除外している。


「この話を私のところに持ち込んだということは、実は私の仕業だという線も考えていないんだね」

「日頃の藤浪の言動から俺への好意を読み取れるほど、俺は自惚れてはいないよ」

「言ってて虚しくならない?」

「そう思うなら、もっと優しい言葉を掛けてくれてもいいんじゃないかな……?」


 とはいえ、足穂は入学してこの方、誰に対してもこういう感じなので、下手に愛想良く接せられると、かえって不気味かもしれない。やはり今のままがいい。


「あんたは身内とそれ以外で結構態度を使い分けるよね。段階的にだけど」

「俺の心を読んで応答するのはやめてくれ。普通に怖い」


 伊達に上級生を差し置いて鑑識課長に抜擢される人材ではない。敢介はこめかみに冷や汗が伝うのを感じた。


 足穂が壁際に並んだキャビネットの一つから指紋採取キットを取り上げるのを見ながら、敢介は「ああ、そうだ」と伝え忘れていたことを思い出す。


「データベースにも該当者がいなかったら、放課後、俺の下駄箱からも指紋を採って欲しいんだ」

「あんたの下駄箱から? ……ああ、そういうことか。つくづく意地が悪いね。さすが腹黒ウサギ」

「そのあだ名、まだ使われてるのか……」


 敢介の風紀委員会時代、周囲ではいつの間にかそのようなあだ名が定着していた。

 名字そのままの〝ウサギ〟はともかく、〝腹黒〟呼ばわりされることには少々不本意な気がしないでもない。多少小狡いことをやっている自覚は無きにしも非ずだが。


「でも、いいの?」


 足穂は机の上に用具を広げながら、無感情に訊いてくる。


「そこまでされると、さすがに百年の恋も冷めちゃうんじゃない? この差出人」

「別に構わないよ。最初から答えは決まってる。……伊恵理の世話が忙しくて、他の女と付き合ってる暇なんてないからな」

「それだけの理由で自分の青春を棒に振るなんて、君も大概損な性分だね」

「青春の形なんて人それぞれだろう。それに俺は、今の生活、案外嫌いじゃないんだよ」


 くつくつと敢介はくぐもった笑いを漏らす。足穂はただ、実験動物を見るような目を敢介に向けてくるだけだ。


 その時、天井に備え付けのスピーカーから予鈴が鳴った。そろそろ次の授業の準備をしなければならないと、敢介はイスから腰を上げる。

 しかし足穂はチャイムなどどこ吹く風と作業を続けていた。


「藤浪、次の授業は?」

「自主休講」

「そう言えば、学期末はいつもそんな感じだよな」


 単位取得に必要な出席日数は既に足りているので、期末試験も終わった後の消化試合じみた授業に出るなど時間の無駄だ――とのこと。つくづく足穂らしい割り切りの良さだ。


「じゃ、後はよろしく頼む」

「あんたの美味しかった弁当の分くらいはちゃんと働いてあげるよ」


 最後の最後にこういうことを言うので、足穂との付き合いをやめる気にはなれないのだ。

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