第3話
そして翌日、すでに日が高くなった頃――静火は一人、薄暗い林の中で座り込んでいた。
「はは……これは、本当に酷いですね……長」
途切れ途切れの声で誰に言うでもなくそう呟いた彼女の姿は、顔や手足は切り傷は擦り傷だらけで着ている服はあちらこちら切り裂かれ、背中できっちりと編まれていた三つ編みはほどけてざんばら髪という酷い有様であった。
今朝方、静火は誰に挨拶をすることもなくただ一人で里を出て、街へと向かう一本道に足を踏み入れたのだが、やはり予想していたように途中の森の中で道に迷い、ここに生息する獣達に追われていた。
心の何処かで実はこっそりと長が助けてくれるのでは……と、一縷の望みを持っていたが、それは甘い考えであったのだとつくづく思い知らされる。思えば実の娘であった静火の母親が自死したときでさえあの祖父は平然とした顔をしていたではないか。
「……どうせ殺すならこんなまどろっこしいことをしなくとも良かったじゃないですか、いっそひと思いに楽にしてくれれば良いのに。本当に意地が悪い!」
逃げ回っていた疲労に加えて傷が痛むためだろうか、荒い息をしながら思わず恨み言を言う静火の耳に、不意にカサッと木の葉を踏みしめるような音が聞こえた。
とうとう獣が私を見つけたのか、と覚悟をした静火の目に飛び込んできたのは思いも寄らぬ人の姿であった。
「志津水……? っ痛!」
「え……しーちゃん? しーちゃんなの!? どうしたの!? 怪我してるじゃない! 待ってて、これくらいの怪我なら治せるから!」
思わず立ち上がろうとして痛みから再び座り込んでしまった静火の元へ昨日と同じブレザー姿の志津水が慌ててやってきて彼女の持つ「癒やしの力」で静火の怪我を治していく。
「――あなた、一体どうしてこんな所に。戻るのはまだ当分先だったんでしょう?」
怪我をあらかた治してもらった静火が礼もそこそこに志津水に尋ねると、今から少し前に長から急に街へと帰るようにと言われたのでこの一本道へと来たのだが、なにやら様子がおかしいので少し森の中に入ったらそこに座り込んでいる静火がいたというのだ。
「へぇ、ここってあの道から少し入った所だったんだ……ははっ、笑える」
今までこの森の中で散々迷っていた自分は一体何だったのだろうかと自嘲気味に笑う静火を励ますように志津水は言った。自分と一緒ならこの森も抜けることもできると思うから一緒に街に行こう、と。
「私がここを抜けてもその後どうするの? どこにも行く所なんてないのに」
「取りあえずうちに来ると良いよ! 後のことはそれから考えよう? さぁ!」
志津水に引っ張られるように静火は立ち上がると、そのまま手を繋いで二人は森の中を歩き出した。
「ふふっ、なんだか懐かしいね? しーちゃん。昔はよく二人でこうして手を繋いで里の中で遊んだよね」
己の手を引っ張りながら先を歩いていた志津水が不意に笑いながら言うので、静火は怪訝な顔をして答えた。
「何を言ってるの? あなたと私が里で一緒に遊んだことなんて無かったじゃない」
「……え?」
今度は志津水が驚いた顔で静火を見た。
「しーちゃん、本当に子供の頃、一緒に遊んでたの覚えてないの?」
「覚えてるも覚えてないも、あなたとは殆ど会ったこともなかったじゃない」
本気でそう言っているのであろう静火の顔を見て志津水は急に立ち止まると思い詰めた顔そして尋ねた。
「しーちゃん……ねぇ、本当に? 本当になにも覚えてないの? それじゃあの日のことも? あの時――」
志津水がそこまで言った時である。
「――志津水! 横っ!!」
静火が思わず叫び声をあげた。突然一匹の獣がまるで二人をこの森から出すことを拒むように飛び込んできたのだ。
「きゃあああ!」
今度は志津水の悲鳴が森に広がった。飛び込んできた獣は前を歩いていた志津水を跳ね飛ばし、更にそのまま彼女を踏みつけると走り去って行く。
「志津水!!」
静火が慌てて駆けつけると、見た目ではわからないがおそらく内臓を痛めたためか口から血を流している志津水の姿がそこにあった。
「……し……ちゃん」
「ダメよ喋っちゃ! 私には癒やしの力が無いんだから!」
いや、たとえ自分に癒やしの力があったとしてもこれだけの怪我を治すことは出来ないだろう。あの長の力を持ってしてもこれは難しいのではないだろうか? そう思えるほどの痛手を受けてることがわかる体をゆっくりと抱き抱える静火に、震える手で志津水は自分達の右手の方向を指さしながら途切れ途切れに話す。
「ごめん……ねぇ。ちょっともう一緒に行けない……かも。あっちの方に行けばここから出られるから……しーちゃんだけ……行って」
「ちょっと! 何言ってるの!」
「あとね……今のうちにこれだけ、言っておくねぇ。しーちゃんが持ってる力、あれ、私のせいで出てきたんだよ」
「……は? 何をこんな時に馬鹿なことを――」
「いいから、聞いて!」
ごふっ! っと血の混じった咳をしながら必死の思いで志津水は話した。あの日、静火が「腐らせる力」を発現させたときのことを。
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