第2話

 親殺おやごろし――これが静火の一族内での別名でもあった。

 

 静火の一族は代々生きている他者に宿る暗い気や病、怪我などを直接そのものに触れて癒やすことを生業としていた。その力は普通の者は植物や小動物の怪我や病気を治したり、人相手であるなら多少の体調不良を軽くするくらいしか出来ないのだが、強力な能力の持ち主であるなら人の重篤な病ですら治すことが可能であり、そのため時の権力者にも仕えることがままあったほどである。

 そして、不思議なことに何故かその癒やしの力は自分自身には使うことが出来ない、あくまでも他者を癒やすためだけに使える力であった。


 最近は重篤な怪我や病を治すことが出来る能力持ちは一族を率いる祓清家の長の他にはいなくなってしまったが、静火はその最も強い力を持つ長の直系の孫であった。

 長の娘であった静火の母親も祖父ほどではないにせよ強い能力持ちであり、静火の父親も一族の中では優秀な人間であったので二人の間の子供である静火は当然のことながら高い能力を持って生まれてくるに違いない、と一族の期待と希望を一身に集めてこの世に生まれてきた。

 しかし、その皆の思惑は静火が成長するにつれ徐々に狂い始めてくる。


 一族の者ならそれこそ歩き出す前にでも出来るはずである、たとえば萎れかかった草花を元気にさせるというごく簡単な癒やしでさえ幼稚園に上がろうとする歳になっても静火には出来なかった。最初のうちは静火の両親も、祖父である長も「大器晩成なのだろう」と鷹揚に構えていたが、他の子供が次々と能力を発揮してくるのに静火には一向に癒やしの力が現れず、流石に何かがおかしいと親族が思い始めたときにようやく静火の持つ能力が発現した。

 だが、それこそが彼女に「親殺し」の名前を与える元凶になるのである。

 

 小学生になったばかりの静火がある日、庭に植えられていた最近元気のない木を癒やそうとその手で触れたときに時にそれは起こった。静火に触られた木は元気になるどころか、触れた幹の部分が突如腐り始めたのだ。


 本来であるなら癒やしの力で治すところを逆に腐らせていく。一族の者としてはあり得ない我が子の様子を偶然見てしまった母親は半狂乱になる。今までも己の子供が一向に癒やしの力を出さないので周りから責め立てられていたのだが、よりにもよって何故このような我が一族と真逆な忌々しい力を自分の娘が! と。

 静火の悲鳴を聞きつけ何事かと庭に駆けつけた屋敷の者が見たのは、腐り果てすっかり朽ちてしまった木の横で己の子を激しく叩く静火の母親の姿と、謝りながら母親に殴られ続けている静火の姿であった。屋敷の者は興奮している母親を子供から引き剥がすと取りあえず母親は自室へ、静火は祖父である長の元へと連れて行った。

 やがて屋敷の者からこの話を聞いて外出先から大慌てで駆けつけた静火の父親は自分達夫婦の部屋へと向かい、中に入ったときに彼の目に飛び込んできたのは―――天井からぶら下がった変わり果てた己の妻の姿であった。

 

 実の母親を死に追いやった。これこそが「親殺し」と言われ、一族の者にその力と共に静火が忌み嫌われる所以ゆえんであった。

 

 娘の自死、そして孫の持つ忌むべき力を知った長は娘婿でもある静火の父親を「役立たず」として里から追放し、どうしてそのような能力を発現させたのか、その原因もわからない静火のことも以後「異端児」として離れに隔離するように住まわせ今年、義務教育が終わった後は外にも出さずにほぼ幽閉状態にしてきた。

 そして今朝になって長は突然「時が来た」と静火を呼び出すと里から出て行くようにと命令してきたのだ。 

 

「時が来た、ね……」

 

 自室の離れへと続く渡り廊下の前で静火は考えた。この里から出て行け、と言うことはこの山奥から街へと向かう一本道を通って出て行けと言うことだ。だが、その一本道には「癒やしの力と相反する力を持つ者はその一本道を通ることが出来ない」仕掛けがしてあり、もしも相反する力――それこそ静香のような「腐らせる力」を持っている者がこの道を通ろうとすれば、その者は例外なく途中の森の中で迷い、そしてそのまま森にいる獣達に食われる羽目になると言うこともここに住む者なら誰でも知っている。更に言うならその仕掛けを施したのが長であることも。

「まぁ、遅かれ早かれこうなることはわかっていたし」

 先程、実の祖父に暗に死刑宣告を受けたも同様で、明日には死ぬことになるのに不思議と静火の心は穏やかであった。自分の能力はあの時、母が死んだあの日しか発動せず、それ以降はどう試してみても他のものを腐らせることは出来なかったが、それでも一族としては今まで静火を生かしておいただけありがたいと思えと言うのであろう。そんな生活に彼女自身がもううんざりしていたのだ。

 

「ここでの景色も今日で見納めという……ん? あれは……志津水しづみ?」


 渡り廊下の上から静火が庭にあるかつて自分が枯らせた木のあったところをみると、そこには静火よりやや小さめの背丈で明るい茶色の髪を肩の辺りでぷっつりと切りそろえた同じくらいの年頃の少女がいた。


「あ! しーちゃん! 久しぶりだね! 元気だった?」

 街にある高校の制服であるブレザー姿に身を包んだその少女は静火がいることに気がつくと彼女の元へと走り寄ってきて笑顔で話しかけた。

「……そうね。志津水は相変わらず元気そうで何よりね。今日はどうしたの?」

「うん、何か急に長に呼ばれてね。多分何時もの定期報告だと思うけど」

「そう、あなたは長のお気に入りですものね。なにせここ最近生まれたものの中では一番癒しの力が強いし」

 静火の冷ややかな声にブレザー姿の少女――佐屋さや 志津水しづみ――は何とも言えない困った顔をする。

 彼女は、祓清ふっせい家の分家である佐屋さや家の娘であり、静火と志津水はほぼ同じ時期にこの里で生まれた。

 同い年でもあり、血筋もそれほど離れていないが、この二人の少女には根本的に違うところがあった。それは静火が一族にとっては忌むべき「腐らせる力」を持って生まれたのに対して、志津水は強力な「癒しの力」を持って生まれたことである。


 幼いころから人の軽い怪我を治す事も出来た彼女はその力の強さ故「分家とは言えそれほど強力な力を持たぬ佐屋家からあのような娘が生まれるとは、もしかして志津水は静火の親が志津水の親と不義を犯して生まれた子供ではないのか?」との噂が流れたほどであった。

 最初は面白半分の噂話であった。だが静火があの事件を引き起こした後にその噂は真実味を持って広まり、そのため佐屋家の者は逃げる様に此の里から街へと出て行かざるをえなくなってしまったくらいである。

 のちに遺伝子検査によって志津水は確かに両親の間の子であると証明されたのだが、その頃既に街での生活に馴染んでいた佐屋家は長から「時々志津水を里に寄越すように」との条件付きでそのまま街で暮らすことを許され、志津水は今年街にある高校に入学もしていた。


「本当に、なぜあなたが私の替わりに祓清の家に生まれなかったのかしらね?」

 静火は志津水が着ているまだ真新しい制服を眩しそうに、でも一抹の嫉妬もこめた視線で見つめる。もし自分と志津水が生まれる家が違っていたのなら、すべては丸く収まっていたというのに。この里に囚われるのは志津水で、あの制服を着ていたのは私だったのに――そう思いながら。

「おお! 志津水! 来ていたのか! さ、こっちの部屋に入りなさい。長がお待ちかねだぞ」

 二人の話声に気が付いたのか、部屋の中から出て来た者がにこやかに笑いながら志津水に声を掛けて、その前にいる静火に気が付くとあからさまに不快な顔をした。


「そうよ、早くおいきなさい.こんな『親殺し』なんかと話してないで」

「しーちゃん! それは――あの、あのね! 私まだ当分ここにいるから、後でまたゆっくり話そうね!」


 後でまたゆっくり……そんな時間はもう無いのにね。と、一族の者に引っ張られていく志津水の後姿を見ながら、静火はしばらくその場に立ち尽くした。


 

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