FO-KUROA
私はフォークロアを論じる上で『ゴジラvsキングギドラ』を選んだ。選んだ理由としては、人間の脅威、怪獣の脅威、の両方が描かれており私の論を主張するうえで分かりやすいと思ったからだ。
私の論は「日本人は元来自然に対して人間の力で抗おうとする気質ではないのではないか」ということだ。
まず、ゴジラ映画であるのになぜ人間の脅威が描かれているかを説明する。設定としては将来日本がゴジラによって滅ぼされることになっているのだ。それを救うために未来人が現代日本にタイムスリップしてくる。そして、現代人にその事実を伝える。ゴジラはラゴス島でティラノサウルスが放射能を浴びたことにより発生した存在なので、未来人がタイムマシンを使って、まだティラノサウルスであるうちに別の場所に移す。しかし、未来人は別の生物を過去のラゴス島に置いておくことによって、キングギドラを発生させて日本を襲わせた。つまり、これは人間の脅威と言えるだろう。これが重要なのだが、これら脅威を及ぼす人間に対して現代日本の人間はどう立ち向かったかというと、普通に未来の銃器を持ち出して未来人と戦っていた。つまり人間には人間が対抗しているということだ。
キングギドラは未来人の仕組んだとおりに現代日本を襲った。なすすべもなかったが、ゴジラによってキングギドラは戦闘不能になった。
しかし、生き残ったゴジラが日本を襲い始める。
これは人間がゴジラの発生をどうこうできるわけがないといった、日本人らしい自然観が見えるのかもしれないが、今回は割愛する。
重要なのはその後だ。現代人は未来人と力を合わせて、未来で弱っていたキングギドラを機械で補強して、操縦することによってゴジラに対抗したのだ。
それが功をなして、殺すとまではいかずともゴジラを戦闘不能に追い込むことに成功していた。このゴジラへの対抗の仕方は人間がたたかったというよりも人間がキングギドラを利用したといったほうが正しいだろう。ここに日本人の元来の性質が表れているように思う。自然のような畏怖すべき存在には人間単体では抗おうとしないということが表れている。陰陽師も式神をつかって戦う。
これで私の論は『ゴジラvsキングギドラ』に表れていると分かったのではないだろうか。この性質が表れている日本の作品はほかにも多くあるのかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます