メディア論

私はメディアの進歩をユーザーの使う感覚の種類とユーザー数で測ることが可能なのではないかと考えている。なぜこの題でレポートを書こうかと思ったかというと、近年、VR、AR、MRのようなメディアが台頭してきたからだ。これらは視覚、聴覚、触覚などを使ったメディアだ。味覚なんかも再現したものもある。既存のメディアがどうだったかというと、新聞なら視覚しか使わないし、ラジオも聴覚しか使わない。使う感覚の種類が増えていることは確かであるように思える。この私の考えが正しいのかどうか、メディアの歴史を追って確かめてみようと思う。ユーザー数についても同時にふれる。

まず、人類のメディアは洞穴絵画に端を発する。その後は石板やパピルスに記された文書だ。これらは視覚しか使用しないし、個人で使用する他ない。

その次に現れたのが活版印刷を用いて、作られる本や新聞だ。これらは石板やパピルスのユーザー数を増やしたものと考えることができるだろう。しかし、依然視覚しか使用しない。

それからはエジソンが電話や蓄音機を開発したことで、ラジオなどのメディアが発達した。これらは聴覚を使い、多くのユーザーが使うことが想定されている。

次はテレビだ。これらは聴覚、視覚を使い、多くのユーザーが使うことを前提としている。

テレビの前身は映画で、映画の前身はキネマトグラフだろう。これは一人でつかうことが想定されている。

これらの事実から、メディアが進歩するにつれて感覚の種類が増えてきていると言える。そして、類似したメディア内では徐々にマスメディア化していくといった法則があると言える。極最近のことで言えばスマートフォンなんて視覚、聴覚、触覚を用いるし、SNSなんてユーザー数がとんでもないことになっている。

よって、メディアの進歩は使う感覚の種類とユーザー数で測ることが可能と言える。

私はこの法則を使えば今後のメディアの進む方向がわかるのではないかと思っている。この法則を使えばメディアの最終的に落ち着く場所は五感をすべて使用し、全人類がユーザーであるようなメディアだ。それが可能であるのがVR技術であると思っている。私たちはメディアの行きつく先を見届けようとしているのかもしれない。

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