第2話 真摯な気持ちがないので犯罪です
16時頃。
ピンポーン、ピンポーンと、これから配信でもしようかという時間に部屋のチャイムがしつこく鳴る。
今日は密林では何も頼んでないんだけどなと思いながら扉を開けると、生き物のようなツインテールがぴょんぴょん跳ねてた。
「闇也先輩おはようございます! これから配信ですか? 良かった私も――先輩!?」
「この後は風無と一緒にやるつもりだから遅刻できない。今日のところは引き取ってもらおう」
「お姉ちゃんとだったんですね! ならここはいっそのこと三人で――」
「それは風無に相談してくれ。じゃあな」
そこまで言って扉を閉めると、外からは「先輩!? せんぱーい!」と幻聴が聞こえてくる。
20歳まで生きてきて初めてのモテ期。しかし俺はVtuberになり、とうとう可愛い女の子を蔑ろにするほど天狗になってしまったらしい。
でもこれは仕方ないことなんだ。
あえて言わせてもらうなら、全部、あいつが悪い。
◇◆◇◆◇
蒸し暑さが目立つようになってきた6月上旬。
「でももうさすがに一線超えてると思うんですよ」
『え、もう一線超えたの?』
「耳鼻科へGO!」
その日も部屋に閉じこもっていた俺は、マネージャーの真城さんに『隣の部屋にいる女子高生新人Vtuberに迫られて困ってる件』というラノベタイトルみたいな悩みについて相談するため電話を掛けていた。
『えー? 何が不満なの? 仲良くやってるって聞いたけど』
「仲良くやってるわけじゃないです。向こうが仲良くしようとしてくるだけです」
『モテる男は辛いアピール?』
「違う」
そういうのがしたかったらSNSでやってる。
「大体仲良くやってるって誰から聞いたんですか」
『風無ちゃん』
「もうあいつとはコラボしません」
『それは私が一番困るんだけど』
「あいつがあんなモンスターを連れてきたのが一番の問題なので」
俺の隣の部屋に突如として現れたモンスター、八坂すみれ。
その八坂と風無は実の姉妹らしく、八坂は元々風無が住んでた俺の隣の部屋に居ついて、一向に出ていく様子はない。
まあVtuberとして風無と一緒にやれるのは楽だろうしあの部屋にいたがるのはわかるんだけど。
「毎日俺が起きたであろう時間を推測して誰かが玄関チャイムを鳴らしてくる日常を送る俺の気持ちがあなたにわかりますか?」
『歪んだ愛ね』
「ほーら他人事だ」
『ちょっと引いてるだけよ』
引くんだったらさっさと俺の味方してくれよ。
「八坂は毎日来るんですよ。ご飯余った~とか配信のことで教えてほしいことが~とか言って。俺は毎回その対処に追われてる。もはや俺の配信業に支障をきたしてるのは明確だ。これは事務所から指導すべきことだと俺は考えます」
『恋愛は自由です』
「未成年との恋愛は自由じゃないです」
『真摯な交際であれば大丈夫です』
「真摯な気持ちがないので犯罪です」
つまり俺は捕まります。
所属Vtuberから逮捕者が出てもいいのか? 逮捕されちゃうぞ?
「というか……真面目にいいんですか? 俺と八坂が付き合ってるなんてネットに流れたら、大変だと思いますよ」
もし八坂が現役高校生というところがバレなかったとしても、人気商売として付き合ってる人がいますというのはどうかと思う。
まあ、そういう男女のVtuber同士の絡みが好きだって層もいるし完全に終わりはしないだろうけど、反感は買うと思うんだけどな。
『闇也君はガチ恋勢が多いしね』
「それは知らないですけど」
声しか知らない奴に本気で恋する気持ちは俺にはわからないし。
それで言うと、八坂の気持ちも俺にはわからないし。
いくら声が好きでも、その声を持った現実の人間を好きになるもんかね。
『でも、個人的にはそこまで心配することでもないわ。Vtuberは恋愛禁止のアイドルじゃないし。不倫ならともかく、すみれちゃんは悪いことをしようとしてるわけじゃないもの』
「まあ、悪いことではないですけど」
『でしょ? だから、すみれちゃんのことも、Vtuberに大事な個性だと思って温かい目で見てあげればいいと思うのよ。何かあったら、事務所は「本人に任せているので」とだけ発表するから』
「最後が無責任」
何かしてくれるようで何もしてくれてない。
まあ……最初から、事務所に相談するようなことじゃないのは一応わかってはいたから、いいんだけど。
「じゃあ……まあ、温かい目でネット越しに見とくことにします」
『そうね。一応風無ちゃんとも話しておくから』
「お願いします」
『一番は、闇也君がすみれちゃんと話すことだと思うけどね?』
「……そっすね」
それが一番なのは、俺も一応わかってる。
でもそれが嫌だから逃げてたわけなんだけど……まあ、本当に解決したいなら、まず、話すしかないよな。
「一応、やってみます」
◇◆◇◆◇
いつもならコメント欄を肴に配信に興じている午後九時頃。
俺はいつものFPSゲームを立ち上げて『sumire_yasaka』と合流していた。
『闇也先輩!』
「うるさ」
『闇也先輩!?』
ボイスチャットの音量を下げて……と。
ひとまず八坂の叫び声が猫の鳴き声くらいにはなる。
『私は凄い嬉しいです闇也先輩!』
「まだ音量デカいか……」
『闇也先輩!?』
この後輩常にテンションマックスなんだけど。
ボイスチャットの音量がどんどん小さくなっていく。
まあいつもなら、俺は一人か、タイミングが合えば風無とくらいしかこういうゲームは一緒にしないんだけど。
面と向かって話す以外の会話方法がこれしか思いつかなかったから、今日初めて俺は八坂に自分から『ゲームしないか』とメッセージを送った。
ちなみに体感0.01秒くらいで『はい!!!!!』と返事が来た。
まあ、俺もできることならわからないものは避けて生きていきたかったんだけど、今思えば、闇也の熱烈なファンだということ以外八坂のことを何も知らなかったから、この機会に八坂すみれという名前くらいは覚えて帰ろうと思ってる。
「っし……ってか、ランク53って、意外とやってるんだな、FPS」
『闇也先輩のやってるゲームは大体やってます』
「え、なんて?」
『予想以上に音量が下げられてる!?』
急に普通に喋るからびっくりした。
そうやって喋れるなら最初から普通に喋ればいいのに。
『というか、あれですよ。一応今結構緊張してますよ私』
「緊張してるやつが急に叫ぶか」
『テンションが上がった時は仕方ないんです。今はドキドキの方が強いです』
「いや……そういうの」
よく、通話してる状態で言えるよなぁ。
握手会で会ったアイドルに「好きです!」って言って去ってくような感覚なのか。
でも俺と八坂って普通に会える存在だしな。
「とりあえず……1マッチいくか」
『足を引っ張らないように頑張ります』
「ああ、うん」
まあ、本気でやるわけじゃないからテキトーでいいんだけど。
というか、
「…………八坂って」
『? 何ですか?』
「いや」
わざわざ本人に向かって言うことじゃないんだけどさ。
なんか、通話だとめちゃくちゃ話しやすい奴だなと思って。
現実で会ったら大体ヤバいオタクみたいな行動してたから「ああ、ヤバい人なんだな」と思ってただけに、普通に話されるとギャップがある。
「とりあえず敵いなさそうなところから始めるか」
『そうですね』
「ちなみに、八坂って闇也のファンなんだよな」
『そうです! 大好きです!』
「音量音量……」
『下げないでくださーい!』
だって音量差酷いんだもん。
まあ丁度聞きたいことあったから下げないでおくけどさ。
「まあ、話を戻すと……俺のファンってことは、俺の声のファンなんだと思うんだけどさ」
『はい』
「八坂って俺の本体と会った時の方がテンションおかしくね?」
最初に会った時もそうだし、俺が隣の部屋にいるってわかってからもそうだけど。
今の八坂は冷静に感じるのに、現実の八坂は化け物にしか見えない。いや、容姿的な意味じゃないんだけどさ。オーラっていうか。
俺のファンっていうのは、Vtuber闇也のかっちょいいイラストと俺の声の組み合わせのファン……なはずなんだけど、八坂は全くそんな感じがしない。
『いやいや、大丈夫ですよ。今も凄く幸せを噛み締めてます』
「何も大丈夫じゃない」
『ただ、私は別に声だけが好きなわけじゃないです。元々闇也先輩のファンでしたけど、初めて会った時に一目惚れしましたから』
「いや……そういうのは一目惚れって言わな――」
『一目惚れですよ? 本物の一目惚れです』
いわゆるネタ的に一目惚れ、と大げさに言ったのかと思ったけど八坂からは予想以上に真剣な声色で言葉が返ってくる。
それは何だかアニメの中の台詞みたいで、ああ良い声してるな、と純粋に思った。
『ああっ……って言ったら重いかもしれないですけど……本当に来たんですよ! 闇也先輩と初めて喋った時、声と先輩のイメージがピッタリ合わさって一気に私の中にドーンて来て! あれは絶対一目惚れです』
「……だから倒れたって?」
『だから倒れました。……っていうか、そんなことで引かないでくださいよ! 私本当に闇也先輩のファンだったんです! それが、いきなり事務所で会えて……何も知らずに部屋から出たら隣の部屋にいたら……それはっ、もうテンション上がるのも仕方ないじゃないですかっ!』
「ああ……部屋のこと、少しも知らなかったのか」
『少しも知りませんでした。すこーしもです。お姉ちゃんは隣の部屋の人とは仲良いとしか言ってませんでした』
「……そうか」
『ひどい姉です』
それなら、あれだけ興奮するのも……まあ、わからなくはない、か。
よくある有名人がいきなり現れるドッキリ、みたいな感じだったのかもしれないし。八坂にとっては。
だとしても、一目惚れに関しては異常としか言いようがないけど――
「……ああ、敵。後ろ」
『――おっと! そんな棒立ちで撃ってちゃ的ですよ!』
「おお、やるな」
てっきりゲーム苦手なキャラかと思ってたけど、意外と上手いな。
俺とか風無ほどじゃないけど、初心者って感じじゃない。
『全然まだまだです! でも嬉しいです!』
「まあ、始めたてでそのくらいできたら上手い方だと思うけどな」
『ありがとうございます! だけどまだまだ練習不足です。ゲームの腕前はめちゃくちゃ下手か上手なのが面白いですから。中途半端は一番ダメです』
「あー……」
配信するとしたら……確かにそうかもな。
俺はあんまり考えたことなかったけど。
「というか、八坂は……意外とちゃんと、Vtuberやってるんだな」
『どういう意味ですか!?』
「いやさ、風無についてきただけとか、闇也に会えたら満足とか、そういうスタンスかと思ってたから」
『いやいやいや、私みたいな魅力のない人間は頑張らないと誰にも見てもらえないですから』
「そうかぁ?」
八坂の声が魅力ないって言ったらほとんどの奴が「は?」って言うと思うけど。
『それに、頑張らないと闇也先輩のところまでは絶対いけませんから』
「……へぇ、一応、そういう目標はあるんだな」
『ありますよ!』
俺に追いつく、か。
そこまで真面目にVtuberをやりたいんだとは思ってなかったけど、俺の勝手な偏見だったか。
『闇也先輩と同じくらいのチャンネル登録者数じゃないと、闇也先輩と付き合ってますって言った時に釣り合ってないって言われちゃうかもしれませんし』
「全然真面目じゃなかった」
真面目かもしれないって思った俺が馬鹿だった。
『なんでですか!? どんな理由だって結果が同じならいいじゃないですか!』
「大体付き合うとか……本人の前でよく言えるよな」
それチャラ男が聞いたら「えwそれ告白?w」みたいな反応になるぞ。
将来的に付き合いたいと思ってたとしても、知り合ったばっかの異性にそういうこと言うか。
天然なのか遠回しな告白なのかわからないけど。
『だってずっと好きでしたから』
「だからそういう……」
それも告白になりかねない……と、言おうと思ったけど。
「――ああ」
そうか。
『好きって言っちゃダメなんですか?』
さっきからずっと、勝手に脳内で変換してたから気づかなかったけど。
今更告白とか気にするまでもなく。
八坂の「好き」はずっと、友達としてとかじゃなく、恋愛対象としての「好き」だったか。
「……普通の人は付き合ってない異性に何回も好きとは言わないだろうな」
『え、そうですか!? でも告白する前に好きだってわからないと付き合おうってならなくないですか?』
「いや……わからないところから好きだって伝えるのが告白なんじゃねーの」
なんで俺がこんなことを教えなきゃいけないのかはわからないけど。
八坂と話してるうちに、半分諦めの境地に至っていた俺は、敵に塩を送るように、八坂にそんな教えない方がいいことを教えてしまっていた。
その結果、八坂がどうするかなんて予想できてたのに。
『あ、じゃあ……先輩、この試合、勝ったら言いたいことがあるんですけどいいですか?』
「嫌だ。わざと負ける」
『なんで!? じゃあもうこの戦闘勝ったら言いたいです!』
「嫌だ。切断する」
『ええ!? じゃあ切断される前に言いますからね!? 闇也先輩、私――』
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