少年Aの友人B

飛鳥休暇

第1話 少年A

 最近の登校時間は憂鬱ゆううつだ。


 同じ学校へ向かう生徒全員がうつむき加減に歩いているのも気のせいではないだろう。


 理由は明白だ。


「あ! ちょっとちょっと。キミここの学校の生徒だよね。菊池くんについて聞きたいんだけど」


 校門に近づくと同時に、砂糖に群がるアリのように僕たちを囲んで差し出されるマイク。


 無数のカメラが僕たちをロックしている。

 そこにプライバシーという言葉は存在しない。


 僕たちは顔を伏せ口を固く閉じ、バリアゾーンである校門の内側へと足早に向かう。


「あなたたちねぇ! 生徒にカメラは向けないで下さいとお願いしてるでしょ!」


 体育教員の工藤先生が大きな声を出してメディアを牽制けんせいしている。

 しかし、そんな訴えもどこ吹く風。

 少しでも情報を、一つでも話題を。


 いつかガードの緩い生徒に当たってぽろりと何か口にしてくれればいい。


 そんな薄汚い心の内を隠そうともせず、マスコミは飢えた猛獣のように次から次へと獲物を変える。


 僕はなんとか校門をまたぎ、そこでようやく一息ついた。



 ******



 校門前がこんな騒ぎになったのは二日前からだった。


 その前日、つまり三日前の夜に流れてきたニュースに僕は言葉を失った。


 ――高校生が一家殺害か? 容疑者の少年Aはすでに逮捕。


 映し出された住宅街には見覚えがあった。


 そして確かあの家は――。



 その時、スマホがポロンと鳴った。


『あれって、菊池の家だよな?』


 クラスのグループラインにそんなメッセージが届いている。


 それを皮切りに次々とメッセージが流れてくる。


『やべー。マジで菊池の家だぞ』


『なに?なんの話?』


『ニュース見ろ!ヤベェから!』


『菊池の家の近くに到着。警察とカメラの数が多すぎて草』


 近くまで様子を見に行ったというクラスメイトが撮った写真を送ってくる。


 そこには煌々とライトに照らされた菊池の家が映っていた。

 警察官が険しい表情でメディアを制しているようで、あたりが騒然としているのが見て取れる。



『マジかよ。菊池殺人犯?』


『こえー。おれアイツの事無視してたからいつか刺されんじゃねぇの?』


『そんなこといったらうちのクラスほとんど刺されるだろ』


『ってか明日学校あるの?』


『ヤベー。おれなんかワクワクしてきた』


『ねぇ、ちょっと不謹慎だよ』


 まるで洪水のようにメッセージが流れていく。


 僕はそんなメッセージをぼんやりと眺めることしか出来なかった。



 ******



 その日の授業が終わり、下校が始まる。


 校門の外には未だに多くのマスコミが控えている。


 手の空いた先生たちがマスコミから守るように生徒を誘導している。


 それでもいくつかのアナウンサーやリポーターが間を縫うようにマイクを差し向けてくる。


 テレビで見ている時も、彼らのこういった行動はあまり気分のいいものではなかったけど、実際に自分へ向けられるとなおさら酷い嫌悪感を覚えてしまう。


 僕は目を伏せながら、彼らが去ってくれるポイントまで口をへの字にして歩いた。



 しばらく進むとカメラの追跡は無くなった。


 閉塞感へいそくかんから逃れ、一息ついた僕の耳に「ちょっと君」という声が聞こえてきた。


 声のしたほうを向くと、くすんだ緑色のトレンチコートを羽織はおった男が僕に手を上げている。


 無造作に肩まで伸びた髪に、青々と残った無精髭ぶしょうひげ。なんとも汚らしい男だった。


 野良のジャーナリストか何かだろうか。ともかく、僕は再び口をへの字に曲げ無視をすることに決めた。


「あ、ちょっと! 君、峯田みねだくんだよね?」


 男のその言葉に思わず僕の足が止まる。


「やっぱり。峯田くんだ」


 恐る恐る振り返ると、男がゆがんだ笑顔で僕を見ていた。そのあまりのみにくさに僕はごくりと生唾を飲んだ。


「な、なんで?」


 なんで僕の名前を知っているのか、なんで僕の帰り道を知っていたのか。様々な感情が入り混じった「なんで」という言葉だった。


「君、菊池くんの友達だよね。ちょっと話聞かせてよ」


 男はそう言うと僕の手首を掴み、強引に近くにあった公園へと引き連れていく。


 僕は恐怖のあまり思考が停止し、されるがままに男に付いていってしまった。



 こじんまりとした公園だった。


 中にあるのは滑り台と砂場、そして古びて何の動物か分からなくなったバネの遊具だけだった。


 男は僕を近くにあったベンチに乱暴に座らせると、自身もどかっと座り込んだ。


「さぁ、君の知ってること何でもいい。話してよ」


 男は胸元からボイスレコーダーを取り出し、軽い口調でそう言った。


「ちょ、ちょっと待ってください! あなた誰なんですか」


 得体のしれない恐怖に声を震わせながら僕が問いかけると、男はポケットをまさぐり無言で一枚の名刺を差し出してきた。


 そこには【フリーライター 美濃部みのべ 高志たかし】と書かれている。


「……フリーライター」


「さぁ、身分は明かしたぞ。聞かせてくれよ。菊池くんのこと」


 美濃部は急かすようにレコーダーを僕に差し向け、クイクイとそれを上下に動かした。


「ま、待ってください。なんで僕のこと――」


「君、中学から菊池くんと一緒だったんでしょ? 一番仲良かったって」


 一体誰がそんなことを言ったのか。僕は該当者を探るように頭の中でクラスメイトの顔を次々に思い浮かべた。


「どんな子だったの? あ、あと中学の卒業アルバムも提供してくれるとありがたいんだけど」


「ちょ、ちょっと待ってください」


 遠慮なしに話を進める美濃部をなんとか制するように声を出す。


「謝礼は払うよ。アルバムまで提供してくれたら……そうだな、五万。五万は出せるよ」


 美濃部は手の平を僕に見せつけるように大きく五の字を作った。


「いや、お金の問題じゃなくて。……ともかく、僕は嫌です。他を当たってください」


 そう言って美濃部を置いて帰ろうとした僕の背後から、大きな声が聞こえてきた。


「誰かが話すぞ!」


 まるで脅しのようなその口調に思わず僕の足が止まる。


「君が話さなくたって、アルバムを持ってこなかったとして。他の誰かが話すし提供するんだぞ。……そんな薄情なやつらに、金が渡るのは悔しくないか?」


 核心を突かれたような思いがした。


 謝礼の魅力に抗えずにアルバムを提供する人間はいつか必ず出るだろう。


 それはきっと、菊池くんのことを友達とも何とも思っていない連中だ。


「……分かりました」


 僕は振り返り美濃部をにらみつける。無神経で乱暴なこの男に腹が立っているのは事実だった。


「そんな奴らにお金が渡るくらいなら、僕が持ってきます」


 僕の言葉に美濃部が満足気な笑顔を浮かべる。

 美濃部には確かに腹が立っている。

 でも、それ以上に菊池くんのことを知らない奴らがヘラヘラ笑って金を貰うのも許せなかった。


「ここで待っていて下さい。すぐに持ってきます」


 そう言い残してから、僕は家路を急いだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る