第8話 流血しながら涙を

 次の月曜日。

 通勤途中、ぼくはずっと憂鬱だった。


 ファミレスで、中邑、に言われたことを、その日も、日曜日も、ずっと頭の中にこびりついていて、考えても、考えても、忘れることができずにいた。


 全て彼の言うとおりだと思った。まさか、あの温厚で、誰に対しても面倒見の良かった中邑氏が、あんな風に激昂するなんて。そのことも、少なからず、いや、かなり動揺させられた。

 わからない。混乱していた。

 こんな葛藤をすること自体が、筋違いなことなのだろうか。

 筋違いなことだったのだろうか。

 

 一つ言えるのは、あの場で手帳を焼き捨てる気概がぼくにはなかったと言うことで、それがさらにぼく自身を打ちのめした。自分の悩みがすくなくとも自分自身の中でだけだとしても、筋が通っていると信じていたのなら、それができたはずだ。


 情けなかった。

 


「おはようございまぅす!!」

 障害者ひまわりさん用の出勤時間に出勤。

 事務所の床には、靴あとのマークが貼ってあり、そこに靴を合わせて、事務所全体に聞こえるように大きな声で挨拶をする。

 そういう社風なのだ。


 周りから返事がきこえる。ぼくはロッカーにバッグを入れて、デスクの席に座った。左右に挨拶をする。


 ぼくの右に座っているのが、木村という指導役の男性である。詳しくは知らないけれど、精神障害を持っていて、障害者雇用で、この法律事務所での障害者としてのキャリアは、の中ではいちばん長く、4年ほどと聞いている。

 

 だから、昨今の、「障害者の雇用推進」の社会的な流れの中、4年やめずに勤め続けていることは、事務所的にも珍しいのだろう。「障害者雇用に積極的な当事務所の顔」的な扱いを受けているのだった。


 はじめて顔を合わせたのは、そう、就労支援事業所にいて、面接を受けに来たときだった。その時は、障害者雇用説明会で、集まったひとたちもそれぞれ病気を抱えていた。その集まった人たちに、「うちでは彼のような人間が頑張ってます」的なモデルとして、説明会に同席していたと記憶している。


「おはようございます、木村さん」

 ぼくはその木村さんに、

「赤木さん、おはようございます」

 木村さんも、ぼくに


 PCを起動して、出勤管理ツールにログイン。梱包作業中心のぼくには関係のない社内連絡メールには、全て目を通す。事務所の一員として、把握できることは把握しておかなければならない。

 関係ないことなんて、ないと思っている。どんな業務連絡だとしても。知っておいて損なことは、ない。

「あの連絡に目を通したか、」と言われた時に「あ、まだです」と答えるような、隙を作ってはいけないという気持ちも、ないわけじゃない。障害者雇用だろうが、正規雇用だろうが、他のひまわりさんがどう思っているのかわからないけれど、自分は事務所の一員だという意識だけは強く持っているつもりだ。


 木村、さんがぼくに声をかけてきた。

 部長が11時頃に出社するから、そのあたりの時間で定期面談を別室でやるので、その時間は作業を抜けていい、という話。

 面談か。

 

 面談かぁーーー。。。

 ぼくは心の中で頭を抱えた。

 普通だったら。一か月勤務してどうか、薬はちゃんと服用できているか、夜はきちんと眠れているか、周りとの関係はどうか、とか聴かれて、大丈夫です、問題ないです、これからもよろしくお願いします、・・・で終わらせるんだろうけれど。

 

『都合の良い時だけ 障害者面して、不満があれば、健常者ヅラ』

『文句あるなら、手帳燃やしてしまえ』


 頭の中を、彼の言葉が……。


 梱包作業をしながら、そのことばかり考えてしまう。


 

 ……辞めるか?



 

 


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