第3話 おもひでがぼろぼろ

「ひいちゃん先輩、あれひいちゃん先輩の元彼女カノだよね」


 きゃっきゃと楽しそうに騒ぐ元彼女のテーブルを睨みつけながら、『俺、あの女嫌い』と眉間にしわを寄せている。何故お前がまだ自分と同じ高校に入学していない時に、ごく短い間だけ交際していた相手のことを知っているのかとか、何故そんなにも嫌いなのかとかツッコミどころはあったが、柊夜は不機嫌モードの後輩をなだめすかして注文されたケーキを用意するように言った。それでも口を尖らせているので、わしゃわしゃと頭を撫でてやるとようやく機嫌を直した。やはり犬のようだなと思ったが、心の中に留めておくことにする。

 オーダーメニューが揃ったので元彼女の席に持って行こうとすると、先ほどの陽葵との会話が聞こえていたらしい叔父が視線で代わりに持って行こうかと気遣ってきたので丁重にお断りした。尚も心配そうに見つめられたが大丈夫だ、問題ないと言外に返す。二十歳の男に過保護すぎないか、叔父よ……と思いつつ、柊夜は彼女たちの元に向かう。


「そういえばあずさ、アツシに男紹介してって言っといてくれない?」

「え、無理。別れたし」

「は?まだ一ヶ月くらいじゃなかったっけ。」

「タケルの方が良かったから」

「え?タケルって梨花りかの彼氏の?」

「もう私のだし。タケルに好きかもって言ったら梨花とすぐ別れてくれたよ。私の方が好きだからって」


 彼女たちの会話の内容が聞こえてきた、まだ割と離れているというのに。

 この店は来店されたお客様がくつろげる空間であること大事にしているので、あまり大きな声で騒いでほしくないのだが。

 しかも内容がひどい。思わず顔が引きつりそうになる。自分の思い出の中の元彼女との乖離かいりがすごい。

 『本当は柏木くんと離れたくないの』と涙を流していた彼女はどこにいったのだろうか。

 都会が彼女を変えたのか、都会って怖い……などと思いつつ歩を進める。何処に引っ越したのかは知らないので、都会のせいかは分からないが。


「お待たせしました」


 ケーキと飲み物をテーブルに並べていくと彼女たちは『ちょ、かわい~映える~』と写真を撮り始めた。

 大声でのえげつない会話が終わったので内心ホッとする。これ以上続くと注意しなくてはと思っていたからだ。

 ブラン・ノワールに通ってくる常連さんは寛容な方が多いのだが、それにしたって限度はある。

 ふとテーブルの上のコップを見遣ると水が入っていなかった。

 ピッチャーを取りに行かねばとカウンターへと戻りかけたところで貴匡が持ってきてくれたので、ありがたくそれを受け取る。

 彼女たちのコップに水を注ぎ足していると、ややボリューム大きめの会話が再び始まった。


「この店インシュタでよく上がってるの見てからずっと来たかったから、うれしー! マジで可愛いし。でもあずさが道案内してくれなかったら来れなかったわ。私方向音痴だし」

「あー、まあ前にここら辺住んでたからさ、だいたい場所わかってたんだよね。前は喫茶店だったんだけどさ、こうパッとしない感じの」




(パ ッ と し な い 、 だ と ? ? ? )

 



 いくら昔好きになった相手とは言え、その一言は看過できないものだった。

『あぁん? なんだとコラ』と胸倉を掴んでやりたくなったが、相手は客(しかも女性)、自分は店員だ。どんなに苛立とうとも、手を出すわけにはいかない。

荒ぶる気持ちを抑えようと、ピッチャーの持ち手を強く握りこむ。しかし力を入れすぎて手が振れ、水がコップから逸れて溢れた。

 彼女たちに申し訳ありませんと頭を下げて断りを入れ、布巾を取りにバックヤードへと足早に引っ込む。


「ひいちゃん先輩、顔般若! 顔すげぇ般若!! 怒りが隠せてない!!」


 小声で陽葵が指摘してきたので、柊夜はハッとすると、唸りながら両手で自分の頬を挟みこねくり回した。

 祖父母の大切な店、自分の大好きだった喫茶店を侮辱されてつい笑みが崩れてしまった。客の面前ではどうにか堪えられたけれど。


(落ち着けば落ち着く時落ち着こう俺……そうだ、こんな時は……!)


「ヒッヒッフー!!!」

「それ妊婦さんの呼吸法な、柊」


 厨房の奥にて作業中の、ずっと無反応を貫いていた叔母あきらから真顔でツッコミを入れられた。

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