第4話 LOVE PHANTOM

 ラマーズ法効果か落ち着きを取り戻した柊夜は笑顔の仮面を被り、布巾を片手に元彼女とその友人の元へ向かう。

 地元トーク(店周辺)は続いていたらしい。

 ボリュームがやや大きめなので、離れていても否応無しに彼女たちの会話が耳に入ってくる。

 何気ない思い出話で先程のような下卑た内容でないだけ幾分マシだが、これが続くならやはり注意が必要か。

 歩きながら周囲を窺うと何人かの常連さんと目が合う。申し訳なさで柊夜の眉尻が下がった。するとそれに気づいた常連さんたちは口パクやジェスチャーでいいよ、気にするなと伝えてくれる。

 常連さんの優しさに感動していると、ふと彼女たちの声量が一旦下がった。話にひと段落ついたのだろうか。

柊夜が失礼しますと一礼し、テーブルに零した水を拭こうとしたところでブッコミは唐突に訪れた。


「そういえばこっちにいるとき彼氏は?」

「え?ああ、まあ一応いたよ」


 ぐしゃり。

 自分が話題に出たせいで動揺してしまい、思い切り布巾を握りつぶしてしまった。

 平常心を取り戻すために心の中で般若心経を唱えながらテーブルを拭く。


(し、色即是空空即是色!!)


 動揺は収まらなかった。心臓がバクバクしている。妙な緊張感で額がじわりと汗ばんできた。


「お、どんな彼氏だった?写真とかないの?」


件の元彼氏は目の前である。


「いや、あのさぁ。クラスマッチのバスケやってるとこ見て一瞬かっこいいかもって思ったんだけどね? 気のせいだったわ、やっぱただの地味メンだわ、みたいな? クラスマッチマジックに騙されちゃった写真なんてないない。転校するって別れたから確か一ヶ月くらいしか付き合ってないし」


 件の元彼氏は目の前である。『志○、後ろ後ろ!』ならぬ、『中野、横、横!』状態だが、元彼女は気づかない。元彼氏の心は言葉のナイフでライフがゼロに近づいていた。


「遠距離しなかったの?」

「ないわー。めんどいじゃん。元彼つまんなすぎて別れたかった時に丁度転校決まって、ラッキー!パパマジGJ!!って思ったもん。タイミングマジ神すぎ」

「うっわ、ひどいわぁ~この女」


 女たちがケタケタと嗤う中、柊夜は接客スマイルを浮かべごゆっくりどうぞと言うと、踵を返し厨房へと向かう。

 厨房入口の前には心配そうにこちらを見つめる叔父と後輩。

 柊夜は2人に力無い笑みを向けた。


「マジか……何であんな女になっちまってんだ……」


 厨房に入ったところでうずくまり、深い溜息と共に項垂れる。

 思い出の中の彼女は別れ際、それはそれは辛そうにしていた。

 目を潤ませて上目遣いで『柏木くんと離れるの寂しいよ、やだよぉ……』とは言っていたが、思い起こせば彼女は頑なに連絡先を教えようとしなかった。

 あずさは先程言っていた、別れたかったから転校になって丁度良かったと。つまり連絡して欲しくないから、連絡先どころか転居先(県名)すら教えなかったということだ。全ては演技だったのだ。

 初交際の思い出が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。

 女の子がみんながみんなああではないとは分かってはいるものの、女性不信になりそうだ。


「ひいちゃん先輩とか、男の前では猫かぶってたみたいだけど、前からあの女はああだったよ」


 だから嫌いだって言ってたんじゃんと、陽葵がちょこんと隣に腰を下ろして柊夜の顔を覗き込んでくる。

 都会は無実だった。


「だから、何でお前がそんなこと知ってんだよ」

「ひいちゃん先輩にまつわることは大体知ってる」

「怖ぇよ!! ストーカーか、お前は!?」

「……嘘だよ、たまたま小耳に挟んでただけだよ。女子には嫌われてたからね、あの女。評判悪かったみたい。猫かぶりが巧すぎて男どもは騙されてたらしいけど」


 自分もそのうちの1人だったというわけだ。もう泣きたい。別に彼女に想いが残っていたわけでも何でもないが、真実が辛い。


「くっ……恋愛なんて幻想だ……!」


 膝を抱えて縮こまる柊夜を、あたたかな腕が包み込む。そっと顔を上げれば陽葵の真剣な顔。


「元気出して!ひいちゃん先輩には俺がいるよ!」

「ハル……」


 後輩からの優しい言葉に泣きそうになる。


「ひいちゃん先輩……」


 陽葵の労わるような声。何と先輩思いのいい後輩を持ったのだろうか、自分は。そう思い柊夜は陽葵を見つめた。そして。


「ハルゥッ!」

「ひいちゃん先輩っ!」


 感極まった柊夜と陽葵が、強く堅く抱き合う。


「いつまでもじゃれ合ってないで、とっとと接客行きなさい」


 二人して真顔の暁にスパンと頭をはたかれた。


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