3.5 それは小月さんの頼みでもだめだ
ようやく発車した電車がのろのろと次の駅へ向かう。
さきほどまで守っていたはずの小さな空間を呆然と見つめる。
「小月さん?」
小さくつぶやいてみるがもちろん返事はない。
スマホを出し、SNSで小月さんに連絡してみる。
「どこ?」
文字を打ちながら床を懸命に探すが小月さんはいない。
そこへ、小月さんからの返信がくる。
「ここ。くるしい」
ここ、ってなんだ。
一瞬慌ててから血の気が一気に引く。いや、でもまさか……。
見ると、『千穂ちゃん』は元気いっぱい。ズボンの中で自分の存在を主張している。だが、よくみるとなんか先端がもぞもぞしている。『千穂ちゃん』にそんな機能はない。――これ今、小月さんだ。
「まさか朝と同じ状態?」
「そう。ちょっと苦しい」
この満員電車の中で『千穂ちゃん』が小月さんになってしまったのだった。
「息ができない?」
「ちょっとはできる。でも身体全体が押さえつけられてて苦しい。早く出して」
「え」
「はやくだしてしぬ」
文字列に漢字や句読点がない。切羽詰まっているのは分かる。分かるんだけど――。
電車の中で小月さんをぽろんと出せとおっしゃるのですか。
「駅ついたらすぐ出すから。ちょっと我慢できる?」
小月さんを苦しめるわけにはいかない。いかないのだがここで小月さんを出すわけにはいかない。小月さんは取り外しができない。あけて出したりしたら、そのままぶらさげていなければならない。
いや、それだと小月さんが逆さで苦しいままだな。手で支えなければいけない。
股間から美少女(12.9cm)を生やしてにぎってる男。
どう見ても変態でしかない。いや、ここまでくるとアートとか言い張ればなんとかいけるか?
「むりしぬ」
万事休す。
しょっちゅう死ぬ死ぬ言ってる小月さんだがちょっとこれは本気な気がする。俺の社会的な評価を気にしている場合じゃなかろう。出すしかない。出すしかないがどうにかごまかせないかととっさに考えたことを行動に移す。
「ふう。息できた。ありがと。まだ生きてるよ」
小月さんの生存報告を見て安心する。
まだ生きてるよ、の部分はおばあさんが杖を突きながら目をカッと見開いているスタンプ。なんだこれ。これ他のもあるの?小月さん、後で教えて。
そう、おれは左手をズボン、というかトランクスの中につっこんで前に押し出し、強引に空間を作ったのだ。
なんと言っていいのか。黒スパッツだけはいて股間を中から押し出してどーん、とか言ってる芸人さんがいるだろ? あんなかんじだ。
俺、齢16で社会的に終わったよ……。いいんだ、小月さんは守ったから。
電車のドアの脇に押しつぶされてズボンを押し出しながらスマホいじっている高校生がいたら俺だ。狭くなったとはいえ一応小月さんのスペースをとっているので、若干前傾している。
幸い車内は人体の形を保っているのが不思議なぐらいのすし詰めなので、俺のアートパフォーマンスに気付いている人は少ないはずだ。
とにかく次の駅で体勢を立て直したい。
「あうい」
謎のメッセージがさらに小月さんから届く。
「あつい」
先ほどのは打ち間違えだったようだ。暑い、ってことか。そりゃそうだな。
一応ぱたぱたすれば空気が入れ替わってましになるかな。なるんだけどもうこの態勢だけでアレなのにさらにぱたぱたって。
違う、だめだ。今は小月さん最優先。
ふくらませた股間をぱたぱたもぞもぞさせて中の空気を動かす。
「ありがと、ちょっとましになった。でもまだ暑い。あけて」
「あけてってなにを?」
「ボタンとチャック。あけてー」
……トランクスのボタンとズボンのチャックってことだよね? 結局最後はそうするしかないのか。
でもだめだ。それは小月さんの頼みでもだめだ。
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