第13話:月夜の来訪者

 ルークを狙った誘拐騒動からの子爵邸での交戦からおよそ一週間。

 無事に目を覚ましたツバキは、騒動の事後報告のために拠点である【白薔薇の門】へ出向き、ユリウスは協会に引きこもって町へ降りてこなくなった。

 一方で、ウィスティリアの町はいつも通りの平穏を取り戻し、戦闘で疲弊した陽炎一族はしばらく休養を取り、ルークはしばらく単独行動を禁止され、代わりに期間限定ランチタイムのBARカゲロウで住み込み店員として活躍していた。


「マスターも寝てればいいのに。まだ明るい昼間だよ、大丈夫?」

「一応ここは俺の店。おまえ一人で、店番させるわけにもいかないだろう。……安心しろ、俺はカウンターの奥にいるから」

 BARカゲロウは、人間と共存する吸血鬼一族――陽炎一族が経営する、協会の管理下で合法的に血を提供する吸血鬼のための店である。

 いつもなら昼間は休み、営業時間は日没から夜明けまでなのだが、今は期間限定でルークために町の住民向けのランチタイム営業をしている。

 陽炎一族の者たちが昼間は出歩けずルークの護衛ができないことから、しばらく単独行動を禁止されたルークが暇を持て余さないようにとの配慮から始めたことだが、客足はまぁまぁ盛況だった。

 だが、さすがに昼時も過ぎれば店内も落ち着いてきて、一休みしようとカウンター席に腰かけたルークは、昼間から起きているオスカーを心配そうに見やる。

「心配しなくても、一人で外に出たりしないって」

「そこは疑ってない。ただ、しばらくは……何が起きてもおかしくない、とは思っている」

 いや何が起こるかわからないと言った方が正しいかもしれない、とオスカーが苦々し気に呟いた。

「うぅ……この間の件は、ほんとみんなに迷惑かけてごめんだけど……」

 先日の騒動を思い返してしょんぼりと項垂れたルークに、オスカーが首を横に振る。

「違う、そうじゃないルーク」

 苦虫を嚙み潰したように歯切れ悪い様子のオスカーに、ルークは目を瞬かせる。

「……あまり、こんなこと言いたくないけどな、あの件はイレギュラーだと俺は思ってる」

「どういうこと?」

 西の地ヴァイスにあるこの町ウィスティリアは、住民たちの同意の上、人間と吸血鬼が共存して暮らしている唯一の土地だ。

 また【野薔薇】の祓魔師と、陽炎一族の吸血鬼によって守護された町ともいえる。

 よほどの恨み言か戦争でも起こらない限り、あえて喧嘩を吹っ掛けるような真似をする愚か者はいないし、吸血鬼たちからするとわざわざ近寄ろうとは思わない不可侵領域に近い。

 この町で起こるトラブルといえば、大抵は他所から来た外部の者や、迷い込んだ野良吸血鬼がもたらすものであり、住民や吸血鬼、祓魔師間で引き起こされる揉め事は無きに等しい。

 今までこの町にいて、ルークに手出ししようという吸血鬼などいなかった。

 ましてや貴族階級に狙われることなど。

 今頃【野薔薇】の祓魔師たちが、半壊した子爵邸の家宅捜索を行っているだろう。

 オスカーは捜索の経過報告をもらっていたが、結局のところ今回の騒動の情報源はわからずじまいである。

 しかしながら、この町において、今までと最近で違うことといえば何かと考えれば、原因追及は困難ではない。

「俺、個人としては別に、あの神父さんのことは嫌いじゃない。……でもな、陽炎一族の立場で言わせてもらうと、あの神父さんにはもう関わらない方がいい」

「それは……マスターたちの過去にも、関係がある?」

 陽炎一族がこの街に流れ着いてくる前のことを、ルークは知らない。

 ただなんとなく、何かがあって、もともと住んでいた場所から逃れてきたのだろうな、ということくらいは察している。

 ルークの問いには答えず、オスカーがふと声を低く落として呟く。

「……おまえ、あの神父さんの命か、この町か、どちらか選べと迫られたら、どっちを取る?」

「えっ……?」

 スッと眼を細めたオスカーに見据えられ、ルークは目を瞬かせ息を呑む。

「神父さんを選べば、この町は住民もろとも滅ぶ。この町を選べば、神父さんだけが死ぬ」

「えっ、と……」

 犠牲になるのが一人か、大勢か。

 だが、命の重さは比べるようなものではない。

 ルークが答えられないと分かっているのだろう、オスカーは淡々とした口調で告げる。

「悪いが、俺は出逢って間もない他所の人間よりも、長年過ごして愛着のあるこの町を選ぶ。……あの神父さんに今後も関わり続ける場合、相手にしなければならないのは、そういう奴なんだよ」

 オスカーとしては、情報収集の上で知ったユリウスの境遇には同情する。

 ノエル・ヴァン=シュタイン公爵。

 かなり古株の純血によくある、長く生きすぎて歪んだ化石野郎、オリビアの両親を灰にし、オスカーたちの国を滅ぼした元凶の吸血鬼。

 ユリウスを付け狙う公爵のことは、ずっとずっと昔から、憎悪するほどよくよく知っている。

 あんなイカレタ野郎に目をつけられて可哀想な人間だなと。

 だが、それだけだ。

 オスカーは過去の復讐よりも、生きる今を守りたい。

 どちらかを選べと迫られるのなら、オスカーは迷わず、この町を、一族を、ルークを取る。

 まだ、知り合って間もない人間のために命を懸けられるほど、おのれはできた善人ではない。

「優しいなぁ、マスターは」

「……おい。今の聞いて、なんでそんな感想が出てくるんだ」

 いわば、ユリウスのことを見捨てると言っているに等しいのに。

 眉をひそめたオスカーに、ルークは瞳を和らげてふわりと微笑んだ。

「だって、愛されてるなぁって思って」

 この町もみんなも俺も、とルークは笑みを深くした。

 美しいモノに惹かれる性質で、一度懐に入れたモノには愛情深い吸血鬼たち。

 オスカーの言っていることは嘘ではない、本心の言葉であろう。

 それでも、ルークは願う。


 どうか――


 ***


 居住空間であるBARの地下は、日が差し込む心配のない安眠できる場所ではあるが、アイザックにはもう一つ、この町の近辺で気に入りの転寝場所があった。

 あえて日が暮れかけた夕刻に、日陰の下を歩いて目指すは町はずれの森。

 そこはユリウスと最初に出逢った場所、時たま心地好い風が吹き抜ける木陰の傍に寝転がり、森の中独特の静けさに包まれながら転寝するのは嫌いじゃなかった。

 そんな穏やかな夢心地の中、静寂をかき消す足音が近づいてくるのにアイザックは気づいた。

 規則正しいその足音には覚えがある。

「――……何か用か?」

 目を閉じて寝転んだままに、一定の距離を置いて止まった足音の方へ声をかければ、やや躊躇したような沈黙の後、静かな声が降ってくる。

「……先日助けに来て頂いたお礼を、言いそびれていたことを、思い出しまして」

 ありがとうございました、と告げる声に、目を開けて見上げれば、ユリウスの薄氷のような瞳と視線が合った。

「相変わらず律儀だな。……礼なんかいいから、あんたの血をくれよ」

「それ以外でお願いします」

 本気交じりの冗談を投げれば案の定即答で断られ、アイザックは表情を歪めたユリウスを見上げながら代案を返す。

「ふん……じゃあ、あれだ。この間の考えとけって言ったやつ、なんか思いついたか」

 何かやりたいことはないのか、というアイザックの問いを思い出したのか、ユリウスが沈黙する。

 それから、寝転ぶアイザックからやや距離を取った場所にすとんと腰を下ろした。

 膝を抱えてどこか遠くを見つめるような眼差しは、やはり迷子の子どものようにアイザックには見えた。

「……神父でもなく、祓魔師としてでもなく、ただの、一個人の人間の私として」

 前置きが長ぇ、と内心で呟きながらアイザックは黙って続きを待った。


「…………………………お酒を、飲んでみたいのです」


 小さく紡がれた言葉は、アイザックからしたら、いつでもできる、当たり前の日常的な、あまりにも細やかで、小さすぎる望みで。

「……はぁ?」

 思わず零れ落ちた声には、困惑と憐憫が混ざり合った。

 そんなアイザックを気にすることなく、ぼんやりと前を見据えたままユリウスが独白する。


「ツバキくんと一緒に。……彼、外見は未成年のままで止まってしまっていますが、成人しているんですよ。そのお祝いをしたい、と昔に皆と話したことがありまして……」


 昔というのがいつを指すのか、皆というのが誰を指すのかは知らない。


「宴のように、楽しく何の気兼ねもなく騒いでお酒を飲んで、疲れたらそのまま、何の憂いもなく穏やかな眠りについて、そして平穏な朝を迎える」


 まるで夢物語であるかのように、静かに語る、その願いに。


「……そんな一夜を、過ごしてみたいのです」


 声に、表情に、今まで見たこともないような憧憬を滲ませて小さく零す、その人間に。

 アイザックは、どうしようもなく胸中が締め付けられるような感覚に襲われて、表情を歪めてしまった。

 独りで吸血鬼と渡り合えるほどに強く気高く美しい、けれど同時に、彼もまたルークと同じ脆く儚く弱いただの人間であった。

「……やればいいじゃねぇか。そんなの、いつでもできるだろ。うちの店貸切ってやってもいい」

 脳内オスカーが「おまえのじゃなくて俺の店だぞ」と訴えてきたのは無視して、アイザックはユリウスに言葉を返す。

「ふふっ…………それは、いいですね」

 小さく噴き出したような笑い声に、思わず瞠目したアイザックだが、後に続いた言葉が先とは違い、なんだかあまりにも空虚に聞こえて。

 妙な胸騒ぎを覚えた。

「…………おい。あんた今、何考えてる?」

 訝し気に問いかけたアイザックに答えることなく、話はこれで終わりだとでもいうようにユリウスが静かに立ち上がって背を向ける。

「ツバキくんのことを頼みます」

「は?」

 唐突にそんな不穏な頼み事をされて黙って見過ごすわけにもいかず、アイザックは身を起こして立ち去りかけたユリウスの腕を掴んだ。

「おい、待て神父……死ぬつもりか?」

 逡巡した末に投げかけた言葉は自分でも単刀直入すぎるとは思ったが、それしか思い浮かばなかったのだ。

「まさか……死ぬつもりはありません。……私は、生きなければならないのだから」

 つい最近聞いたのと同じ言葉を紡いで、腕を掴むアイザックの手をやんわりと振り払ったユリウスは「お邪魔しました」と会釈する。

 手を振りほどかれたアイザックは、それ以上の追求を拒絶するような背中をそれでもしかと見つめ続け、ただ真っすぐな言葉を投げかける。

 未だ呼び掛ける名前すら知らない、その独りの人間へ向けて。


「おい、神父……必要な時は、俺の名を呼べ。あんたの助けになってやる」


 届いた言葉に、見開かれた薄氷の瞳が迷うように揺れたのは一瞬で、やがて静かに伏せられる。

 アイザックの言葉への返事はなく、足音は森の奥へと遠ざかっていった。


 ***


「あっ、いたいた、ツバキさん! 良かった、会えて……」


 日が沈み、澄み渡った夜空に月が輝く頃、定期報告からようやくウィスティリアの町に戻って来られたツバキは、ユリウスのいつ協会へ向かおうとしてルークに呼び止められた。

「ルークさん……夜に、何で一人でふらついてんですか」

 この人危機感ないのか、と呆れたツバキにルークは笑って答える。

「大丈夫だよ、どっかにジョシュアがいるから」

 一応護衛はいるらしいが、この間の騒動からまだそんなに経っていないのだから夜に出歩くな、とツバキは注意したい。

「……それで、俺に何か用ですか?」

「これ、神父さんに渡してくれる?」

 そう言ってルークが取り出したのは、小さな巾着袋だった。

「本当は、すぐに神父さんに渡したかったんだけど、ここ最近なかなか神父さんに会えなくて……俺より、ツバキさんの方が神父さんに会える確率高いだろうから」

 ツバキが定期報告で町を離れている間、ルークはユリウスとの接触を試みたが、町では会えず、協会を訪れても留守で、そうかといってこの大事な荷物を手渡しではなく、留守宅に置いて去るのもどうかと思い、結局今日まで渡せていなかったのだ。

「何ですか、それ?」

「あのね、赤いフードの【野薔薇】の子に、神父さんに渡してくれって頼まれてさ……えっと『林檎のお届け』って言えばわかるから、って言われた」

 思い出しながら告げるルークの言葉に、ツバキは息を呑んで瞠目する。

「――……まさか、シラユキさんから!?」

 赤いフードの【野薔薇】の子という条件に合致する祓魔師といえば、【赤薔薇】幹部のシラユキしかいない。

 それに、先の子爵騒動で応援に来てくれたのは彼だった。

「あっ、あの子、シラユキさんって名前なの? なんだか忙しそうで、これ渡されてすぐにいなくなっちゃってさ」

【赤薔薇】のシラユキからの届け物で『林檎のお届け』ときたら、それはもう彼特製の『毒林檎の銀弾』で間違いない。

 いつの間に、ユリウスはシラユキに依頼したのだろうか。

「ありがとうございます。今すぐ神父に渡してきます」

 手渡された巾着袋を受け取り、ルークと別れたツバキは、足早に町中を駆け抜け、森の奥の協会を目指した。

 ざわざわと胸中が落ち着かない、なんだか嫌な予感がする。

 正体不明の焦燥感に駆られながらツバキが、町の外れから協会へと通じる森の小道へと足を踏み入れようとした時。


「――やぁ、少年。良い月夜だね」


 ふいに、背後からかけられた愉悦の滲む低音の声に、ぞっと背筋を震わせたツバキは反射的に双剣を抜いて身構え振り向いた。


「親愛なるぼくの神父さまは、息災かな?」


 月灯りに照らされた青白い顔、オールバックに撫でつけられた金色の髪と赤い瞳。

 忘れもしない、憎き仇敵が、そこにいた。

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