第7話 ロボットは学びたい

 最初誰も、すぐにはその言葉の意味を呑み込めなかった。

 だが徐々に理解するに従って人々は青くなっていくと、体内を循環する血液が氷水になったような厳しさを覚える。


「お前の……仕業なのか? この騒ぎ全部……?」

「病気を意のままに操るなんてあり得ないっ。そんな嘘――」

『おっと。失礼しました、普通は信じられませんよね。では証拠を見せましょう』


 言うとロボットは、すっと手を上げて真名に合図を送る。

 その動作が第三者に送られたものであると誰もわかるはずもなく、真名は誰にも気づかれぬよう、人群れの中でさり気なくステックを薙いだ。


「ひぐっ……ッ」


 ざわめきが収まらない院内で、息を詰まらせたような悲鳴が上がる。

 一同が振り返ると今度は恐怖に歪んだ叫びが響いた。


「い……ぎ……。なん、なんで、こ、こんな……っ」


 騒ぎが起こった周囲の人波はなにかを避けるように膨らむと徐々に開け、やがて両手で顔面を覆う、一人の女性が現れる。

 頻りに顔を触るその両手には爪がなく、指先は皮の薄い柔らかい肉だけで覆われていて、以前そこになにかが嵌っていた痕跡だけがあった。

 皮の薄い柔らかい肉だけの手先は気味が悪い。だが更に不気味なものが、顔を覆う指の間から垣間見える。

 化粧の濃い顔から、鼻だけが綺麗になくなっていた。

 凹凸のなくなった能面のような相貌は不気味で、中央には空洞が二つ空いている。まるで初めから鼻など存在しなかったように傷口も出血もない。


「いやああああああああああああああああああああああああぁぁぁ! わ、私の鼻……どこ!? 今さっきまであったのにどうして――」


 女性は手鏡で自分の顔を見るや、絶叫を上げて打ち震えた。

 持っていた手鏡は手から滑り落ち、繊細な音を立てて粉々に割れる。その上に涙が数滴落ちると、女性はヒステリックを起こしながら両手で顔を覆い、その場にしゃがみ込んで嗚咽を漏らした。


「は、鼻が消えた!? いや、最初からなかったのか……っ?」


 衝撃的な惨状に男は息を呑む。だがお陰で周りを見られるようになり、男は改めて今の状況がどれだけ異常であるかを再確認した。

 片目の色彩がなくなった子ども、異様に痩せて骨と皮だけの女性、ヤニだらけのボロボロの歯の中年、全身のかさぶたから血を滲ますアトピー性皮膚炎の老人。

 症状こそバラバラだったが、誰もが特殊な病に侵されていた。男は化け物屋敷、はたまた異世界に迷い込んでしまったような既視感を覚えて戦慄する。

 そして自分も――口内の上顎や歯茎の横や喉奥から生えた何十本もの乱杭歯が外に飛び出し、ドリルのような形状となって出っ歯さながらに露出している男自身も、その中の一人であることを認めると、恐怖に怯えて悲鳴を上げたい衝動に駆られた。

 そんな異様な光景を横目に、ロボットは淡々と告げる。


『あの女性は爪にコンプレックスがありましてね。それは毎日ネイルサロンに通って熱心にケアをしていました。そして今消した鼻は、その次に彼女がコンプレックスを持っている箇所でした。成型により少し鼻筋を通したようですよ』

「な、なんであなたがそれを……!? 誰にも話してないのに!」


 隠していた秘密を流暢な様子でバラすロボットに、女性は泣き喚きながら羞恥と恐怖に染まった声を出した。

 するとロボットは当然のように恐ろしいことを暴露する。


『私の中にはあらゆる情報が詰まっていますので。みなさんの年金番号からプライベートまで、すべての情報を把握していますよ。誰一人として、例外なく』

「コンプレックスって……あの人もなの!? じゃあみんなも……」


 だが一人、別の真実に気づいて驚愕する女子高生が叫んだ。その一声に乱杭歯の男も、他の者たちもすぐに思い至り、息を呑んで互いに視線を送る。


「もしかして全員、コンプレックスが重症化してんのか……? なんでこんな」

『私の理解を深めるためです』


 全員が恐怖に慄いていると、ロボットは自身の目的を高々に宣言した。人々が唖然と目線を向けると、ロボットはそれこそ演説のような振る舞いで意見を言う。


『私は以前、心の疲れ具合と給料を比例させる政策を出しました。しかし結果は不評。それから私は失敗の原因を考え、思い至ったのです。心の統計は取ったのに、肝心の体に関するデータを集めていなかったことに。そこで体の方も調べようと、みなさんに細工をしました』

「な、なにを言ってんだお前? 故障したのか?」


 結局ロボットはどういう結論に至って、今この事態を引き起こしたのかわからず、人々は戸惑ってたじろいだ。そして暴走したロボットに畏怖する。

 だがロボットは至極落ち着いた様子で淡々と語る。


『目には見えず理解されにくい心と均等になるよう、今度は体に特徴として表れるコンプレックスに目をつけました。心と同様、自分以外わかる者がいないという点で、非常に実用性の高い題材です。そしてこれを流行り病――コンプレックス症候群として蔓延させていただきました。症状はみなさんが身を持って体験した通り、コンプレックスの箇所が機能しなくなる病気です。いかがでしょう?』


 試作品を使った感想を求めるようにロボットは紳士的に尋ねた。


(だから俺は鼻が利かなくなったのか。別にコンプレックスじゃなくて鼻づまりが気になってただけなんだが……こんなもんにも症状出んのか)


 症状が軽かったこともあり、悠人は平常心で状況を把握した。

 しかし容態の悪い者たちは落ち着いてなどいられなかった。中には化け物のような姿に還られた者もいるのだ。そういう者たちは強くロボットに反発する。


「どうもこうもあるか! ふざけんな、今すぐ元の体に戻せ!」

「むしろ悪化してんじゃねぇか! なにが均等で平等だ!?」

「だいたい初めからお前は間違ってんだよ。俺たちの言う平等ってのはなぁ、全員を同じ立ち位置にしろってことなんだよ!」

『みんな同じに? ……なるほど。心労具合や立場によって給料を設定するより、全員が平等な立ち位置になれれば、確かにすっきり解決しますね!』


 目から鱗とでもいうようにロボットは快活にトーンを上げる。

 ロボットを納得させたのは顔がニキビだらけの少年だった。

 コンプレックス症候群の症状なのだろう。元々赤い斑点だらけだった相貌は悪化して、顔そのものがおたふくのように腫れ上がっている。毛穴という毛穴から少量の血液と膿が滲み出て、針でつつこうものなら顔ごと破裂しそうだ。


「じゃ、じゃあ早くやってくれ! もう頭全体が痛くてたまらないんだ!」


 少年は意見を聞き入れてもらえたのをいいことに、一番に元に戻してもらおうと、示すように両腕を広げた。それにロボットは首肯する。


『わかりました。では利き腕を消しましょう』

「……は? おい、なにを――」


 ロボットの謎の解釈に少年が戸惑ったのも束の間、ロボットはすっと手を上げる。 瞬間、少年の腕が肘から床に落ちた。

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