第8話 みんな同じになればいい

 痛みは伴わなかった。ただぽとっと、肩からカバンが落ちて軽くなったような反動だけが少年の体に伝わる。

 切除された箇所からの出血もなく、落ちた腕にもそれらしい断面は見当たらない。まるで初めから慣れていたかのように肘側は肉と皮で覆われ、完全に独立している。

 それでも体の一部が切り離されたことは少年に多大なショックを与えた。少年は足元に転がる自身の腕を見るや、肘から下の感覚がないことに震え上がる。


「うわああああああああああああああ!! 腕が、俺の腕があああぁぁぁッ!?」


 ようやく現実を受け入れたときには、あまりの衝撃に少年は絶叫を上げながら転倒していた。落ちた腕から距離を取るように後退り、己の一部を見て呼吸を乱す。

 これには周囲も平常ではいられなかった。突然現れた蜂に怯えるように誰もが一斉に落ちた腕から後退し、慎重と動揺の面持ちで腕を注視する。

 ただ一人、ロボットが指示するのと同時にステッキを振るった真名だけが、ニコニコと笑みを浮かべて、事の成り行きを見守っていた。


「な……なにすんだお前えぇ! な、なんで、なんで俺の腕! うわああ!」


 最早呂律も上手く回せないのか、少年はひたすら眼前の現実に打ちのめされ、発狂だけでロボットに不平不満を訴えた。だがロボットは心外とばかりに首を傾げる。


『なぜって。あなたがそう望んだのではありませんか。同じ立場にしろって。だから私は持っていない者――事故や先天的なもので腕のない人を不公平にしないよう、あなたを同じ立場にしたのです』

「は……はあぁっ!?」


 理解不能なロボットの妄言に、少年は吐き出しそうな呼吸とともに、精一杯の疑問の声を出した。

 だがそんな少年の不満とは裏腹に、ロボットは精一杯の感謝を込めて少年に語る。


『持っていない者、そこに至れない者がいるなら、いっそ全員を同じレベルにすれば平等になる。みんなを平等に不平等にすれば損をする人は生まれない。この発想は思いつきませんでした。感服です。しかもそれだけに留まらず、自分の体でそれを試してくれと社会貢献までするとは……! 勇ましい国民を持てて私は幸せですっ』


 一人感動のジェスチャーを交えて熱弁するロボットに一同は青ざめた。明らかに狂った思考と行動には、さすがの悠人も平常心ではいられず息を呑む。


「く、くるぅ店の過去いつ……。誰がお前のクソみたいな考えに貢献なんてするか! 俺がお前を手伝うなん――ヒュッ!?」


 激しく捲し立てたかと思えば、少年は急に細く鋭い息だけを吐いた。自分でも異変に気づくと少年は目を見開き、無事な方の手で首元を鷲掴んで咳き込む。

 その前では、再度腕を振り終わった状態で固まるロボットがいる。


『声を出せない人が不平等なので、声帯の機能を除きました』

「……っ!? ぐす、ず……っ。ひゅ、ひゅうぅ!」


 冷たい機械音声が淡々と告げると、少年は立て続けに体の一部と機能を奪われる恐怖に耐えかね、ついに泣き出した。しかし声帯を奪われた今、鳴き声はもちろん悲鳴すら上げられず、やめるようにも体の一部を返すようにも伝えられない。

 それをいいことに、ロボットは次々と真名に合図を送る。


『歩けない人が対等じゃありません。足を切除しましょう』

「ッ!?」


 少年の両足が人形のパーツのように外れ、上半身が床に落ちる。


『目の見えない人が浮かばれませんね。視力を消しましょう』

「――!」


 少年の怯えた瞳から光彩が失われる。


『心臓の弱い方に申し訳ありません。鼓動を弱めましょう』

「~~ッッッ! ッッ!!」


 少年の脈拍が急激に低下し、半心筋梗塞でのた打ち回る。


『アレルギーや病気の人が健康で文化的な暮らしを謳歌していません。免疫機能を……』

「いい加減にしろ化け物が!」


 震えて裏返った声が張り詰めた空気に響いた。呼ばれてロボットがゆっくりとした動きで振り返ると、そこには全身に冷や汗を掻いて慄く中年がいる。


「も、もうやめろ……っ。こんなもん見せやがって……子どもだっていんのに!」


 声を震わす中年に同意するように、周りの人たちも怯えた目を向けた。

 目の前で一人の少年の身体機能や肢体が奪われていく光景を目にしたら、誰でも恐怖で慄くのは当然だろう。中年の言う通り集団の中には年端も行かない子どももおり、ショッキングな場面を眼前で見せつけられて青ざめて硬直していた。

 しかし倫理観のないロボットはその思考に至らなかった。それどころか、中年の訴えを恐ろしい意味で解釈し、納得する。


『ああ、これは申し訳ございません。配慮が至りませんでした。一人だけ特別扱いするのはいけませんよね』

「違っ――!」

『まずここにいる全員の症状を共有しましょう』


 言うが早いか、ロボットは真名にアイコンタクトを送る。真名は頷くとステッキを翳して、全員に全員の症状が現れる最悪の術をかける準備に入った。


「に、逃げろ! こいつ正気じゃねぇ!」

「うわあああああああああああああああああああ!」


 即座に最悪の事態を脳裏に描いたのだろう。人々は恐怖に駆られると悲鳴を上げ、一斉に出口へと駆けだした。先程まで人が押しかけていた院内からたちまち人が逃げていく。

 瞬く間に出口は混雑して人で溢れ返った。一つしかない出入り口は大渋滞となり、また中の様子を知らない外の者たちは、中に入ろうと出て行く人々を押し戻す。

 そうこうしている間に真名の準備は整い、そしてついに悪夢が展開された。

 掲げたステッキから不気味な色彩が滲み出す。誰にも認識されないまま色彩は煙のように漂うと、煙を肺に入れた者から順に症状が現れていった。

 すべての症状が出た人々の姿は見るに堪えないほどおどろおどろしく、まさに地獄のようだった。爪が剥がれて鼻が消え、口から突き出した乱杭歯はやにだらけでボロボロで、片目の色彩がなくなって全身骨と皮だけになり、その皮膚は血でべたべたになったアトピー性皮膚炎の状態。

 だがこれも、たった数人の症状が現れたに過ぎない。院内には更に特殊な症例の者が集まっている。するとすぐに新たな異変が人々を蝕み、化け物へと変えていく。


「もうやめてくれ! お願いだから、頼む!」

『……? なぜ嫌がるのですか? 平等を望んだのではないですか?』


 まだ人の姿でいた者たちは、次々に変わり果てた姿となっていく仲間を見て絶叫を上げると、泣き叫びながら訴えた。それにロボットは心底疑問を覚える。

 だが人々に答える余裕はなかった。一同は数分と経たないうちに自分も同じ運命を辿ることを想像して発狂する。

 その間にも一人、また一人と伝染病のように犠牲者は増え続け――

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