第2話 野外授業
森林公園内に吹く清々しい風を全身に受けると、誰もが開放的な気分になった。
呼吸をすれば自然の中で熟成された匂いが肺を満たす。普段教室という箱の中に収められている分、その開放感はさぞかし爽快なものだろう。
この日、真名たちは美術の合同授業ということで近くの森林公園に来ていた。
現在生徒たちは森林公園内の広場で、筆入れとスケッチブックを携えて各地に散らばり、気に入ったものを描いている最中である。
スケッチブックには花や虫と、実に小学生の子どもたちが好むようなものばかりが描かれていた。そのどれもが拙く、ミミズのように線が歪んでいる。それでも一生懸命描こうとするさまは職人の顔のそれだ。
広場には生徒の他にも、犬の散歩をする人、子連れの親子や日向ぼっこをしている老人夫婦もおり、近くの幼稚園から来た子どもたちまでと様々である。
遊具こそなかれ、代わりに一面草木に覆われただだっ広い広場があり、すぐ傍には湖に噴水もある。体力の有り余っている子どもなら、それだけで十分楽しめる空間だった。
「ねえ、どう? みんなは描けた?」
絵を描き終わったのか、萌は花の前で小さく固まってしゃがんでいた三人グループに声をかけた。そこには真名の姿もある。
「わあ可愛い! 萌そんなに上手く描けなーい」
「そんなことないよー。萌ちゃんのだって上手く描けてるじゃん」
「うわー二人とも凄く絵上手ーっ」
女子たちはお互いに褒め合うと、きゃっきゃと黄色い声を上げて笑い合う。
その勢いで、今度は真名の方へと話題を振った。
「ねえねえ、真名ちゃんはなに描いてるの?」
「見せて見せてー」
「えぇ、でも下手だから見せるの恥じゅかちぃ。あぁんでも、んふぅ、見せちゃあぅ!」
恥ずかしがりながら真名はバッとスケッチブックを晒す。
どす黒く淀んだ背景に、人間らしき不気味な物体が佇んでいた。
その下手くそな目や口は妙にグロテスクで、気味悪さを一層に引き立てる。
理解不能な絵に女子たちは真顔で問うた。
「え。なにこれは」
「私ね、お姫様になることが夢なの。あぁん言っちゃったぁ!?」
「いやそんなこと聞いてないんだけど。描くのは自然の中のものだよね。これはなに?」
「でも真名ちゃんはまだまだ可愛いリトルガールでお胸も小っちゃいからすぐにはお姫様になれないの。でもでも毎日牛乳しこたま飲んだりして頑張ってるんだよ?」
「これはなんだ」
「もちろん王子様と出会う場所は舞踏会のダンスパーティー! そしてメイクアップした真名ちゃんを一目見たイケメン王子様はこう言うの『んほほおぉ~君可愛いから僕のお嫁さんにしちゃうのぉ』ってキャ――ッ!」
「これはなんだって聞いてんだよ」
「もうある種の事件よ事件! も最っ高――にクッソりょみゃんちっっっっきゅううぅぅぅぅぅぅぅぅんッッ!」
真名は女子たちの問いをガン無視すると、まったく関係のない話をして一人テンションを上げた。相変わらずの真名の態度に、三人は仕方なさそうに息を吐く。
「もぉー、真名ちゃん全然人の話聞いてないんだからー」
「これじゃあ先生に怒られちゃうよ。私終わったし、一緒に描くもの探してあげる!」
「あ、じゃあ私も一緒に探す! ほら、真名ちゃん行こ」
一人暴走する真名の手を二人が片方ずつ、残りの一人は真名の背中を押すと、萌を含んだ女子ら三人は真名のスケッチブックに描く絵の対象を探すことにした。
「ねえ、真名ちゃんはなにか描きたいものとかないの?」
「自分の裸体」
「じゃあ好きなものは?」
「私」
「描きたいものがなかなか見つからないなら、みんなの絵を参考にしてみてもいいんじゃない? しばらく回ってみようと」
「賛成ー! 行こ行こ!」
それから真名たちは、しばしの間、生徒たちの描いた絵を見て回ることにした。
「俺は昨日読んだ漫画の一コマを描いたぜ!」
「3回見たら死ぬ絵。あと2回な」
「紙に描いたごはん美味しい! ごはん美味しじゅるるるるッ!」
ほぼ参考にならない作品を見て回っていると、あっと言う間に1時間が経過した。女子たちは一旦切り上げると、口々に感想を言いながら歩く。
「みんな個性的だったね」
「私別の絵にしとけばよかったよー」
「どう真名ちゃん? なにか……あれ? 真名ちゃん?」
「あっ。あそこ!」
感想を聞こうとして振り返り、真名がいないことに気づく女子陣。すると一人が声を上げて指を差した。そこにはベンチの前で背中を向ける真名の姿が。
女子たちは走り寄ると、真名に近づいて声をかける。
「もーどこ行ってたの真名ちゃん? 急にいなくなってびっくり……」
「しーっ」
駆けて来た女子に気づくと、真名は口元に人差し指をつけた。それがなにを示唆しているのかは、真名が対面しているものを見てすぐにわかった。
前方のベンチ。その上で子猫が体を丸めて居眠りをしていた。
「わぁ、可愛いーっ」
女子たちは小さく黄色い声を上げながら、じっと子猫を見る。
「こんなチャンスなかなかないよ! 真名ちゃん凄い!」
「もっと褒めてもっと」
「私もう描き終わったけど、もう一個描いちゃおーっと」
と、みんなが携えていたスケッチブックを開いた、そのときだった。
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