第7話 本音と建前

「なんであんたがここにいんの!?」


 抗議の声を上げたのは少女だった。咲の姿に気づくと目を見開く。

 突然呼ばれて咲はぎくりとした。すると集中が途切れて思念の放出が弱くなる。真名は咲の心の乱れを感知すると、態勢を整えるため少女に注意した。


「あ、ちょっと今声かけないで! 咲ちゃんの集中が途切れちゃう」

「え? なんでそいつが集中しないといけないの?」


 わけがわからないと少女は首を捻る。真名は思念体を操ることを意識しつつも、どうにか少女に理解してもらおうと説明を続けた。


「咲ちゃんから湧き出た言霊を捕まえるためだよっ。あっあっ、途切れちゃ……あなたを襲った言霊は、咲ちゃんから出たの。だから、被害が出る前にどうにかしたいって咲ちゃんが――」

「ちょ、これ出したのあんたなの!? ねえどういうこと!? これを操って私を襲うとしてたってわけ!? 酷いっ、最低のクズじゃん!」

『グオオオォォォォォ!』

「っ!?」


 反応を示したのは真名だった。と言うのも、突然咲の思念体が弱まったからだ。

 敵は瞬く間に思念体を凌駕すると一転攻勢し、一方的に殴りつける。咲はすぐに立て直そうと少女を無視した。だが少女の応酬は止まらない。


「どんだけ自分勝手なら気が済むの!? 空気は読まないし、人に怪我させても謝らない。ほんと最悪なんだけど! だからこんな気持ち悪い物生み出すんだねっ」


 少女が咲を罵倒する度に思念体が縮小していく。これには真名も苦戦した。


「えぇっ!? どんどん弱くなっていく!? 咲ちゃ――」


 が、そこで真名も気づく。

 思念体が弱まっているだけではない。敵も徐々に強靭になっていた。

 咲は顔を怒りや憎しみに歪めつつ、どうにか敵を止めようと、意地になった様子で眉を顰めている。

 そこから導き出される答えに、真名はすべてを悟った。


「そう、か――」


 短く一言だけそう言うと、真名はすっとステッキを下した。

 その瞬間、敵と押し合っていた咲から湧いていた思念体が、ふっと消える。


「――あっ!?」


 突然重荷が下りたように肩が軽くなると、咲は思わず声を漏らした。

 そして咲の思念体と全力の力比べをしていた敵は、力を込めていた対象の消滅により、そのままの勢いで前方――少女の方へと突っ込んで行く。


「ぐっ! ――ゲッハアァッッ!?」


 敵は少女とぶつかると、自動車と衝突したような轟音を立てた。少女は全身を強打すると重苦しい苦悶を漏らし、吐血する勢いで唾液を飛ばす。

 少女は片腕をおかしな方向に曲げたまま、勢いよく後ろの壁に激突した。

 激しい衝突音とともに、太い枝が折れるようなゴキッという歪な音がする。


「うぎゃああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」


 背中全体の鈍い痛みと、片腕がへし折れた激痛に少女は絶叫を上げた。

 だがそれも長くは続かなかった。全身を巨体に押し潰されて肺に空気が入らないのだろう。少女は短くて荒い呼吸を繰り返しながら、静かに啜り泣く。


「う、うぇ……は、……あぁ、はぁ、はっ……ひぐっ」


 本当は今にも体を丸めて折れた腕を庇いたいだろう。だが体を固定された今、それは叶わない。それどころか上手く息が吸えず、呼吸困難に陥る。

 一連の騒動を目の当たりにした咲は、恐怖で青ざめた。

 敵の全力の突進を受けた少女。確かに聞こえた骨の折れる音。その激痛を訴えるような苦しみの孕んだ咆哮。呼吸ができず悲鳴すら上げられない、紫に変色していく顔。

 そのすべてが咲を震え上がらせた。咲は目を閉じて耳を塞ぎたくなる衝動に駆られると、途端に体の力が抜け、廊下にぺたんと座り込む。

 そして、すべての元凶である真名に抗議の目を向けた。


「なに、してんの……? なんで急にやめちゃうの!? ねえ!」

「……」


 だが咲の叫びに真名は応じない。ひたすら沈黙し、成り行きを見ている。

 その間にも事態は深刻になっていった。


「……ひぐっ!?」


 少女に密着していた敵からミチミチと嫌な音が鳴ったときだった。痛みに喘いでいた少女は窮屈感にびくりとすると、途轍もない恐怖を覚えて戦慄する。


「いやあああやめてぇ潰れちゃうう! やだぁ、やだやだやだああああぁ!」


 喚く少女の首から下は巨体に隠れており、中がどうなっているのかわからない。

 だがいやいやと全力で首を振り、数秒ごとにギシギシと凝固になっていく音から察するに、敵が少女の体を潰そうとしていることは明らかだった。


「痛いっ、痛い痛い! 無理無理無理無理無理死んじゃうほんと死ぬから! お願いほんとやめて! ごめんなさい! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃ!」


 これから起こるであろう悪い予感に、少女は必死になって謝る。

 だが言葉が通じる相手でもなければ、明確な殺意だけで動いている敵がそれに答えるわけもない。締めつけはどんどん強くなるばかり。


「お願い真名早くどうにかして! 死んじゃう! お願い私が悪かったからこんなのもうやめてよ!? もう誰にも死ねなんて言わないから! ねえってば真名ぁっ!」


 恐ろしい光景を前に、咲は怯える体を丸めるとぎゅっと目を閉じ、必死になって耳を塞いだ。そして声の限り叫んで精一杯の懇願をする。

 しかし真名は依然として反応を示さない。

 そしてなにかが砕けようと、メキメキと大きく軋む生々しい音が大きくなる。


「ひっ、う、ぎ――あああああああああああああああ――!!」

「お願いだからあああああぁぁ! 聞いてよ真名ああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 これから訪れる激痛に絶望して少女が先走って悲鳴を上げると、それを感じ取った咲も、ほとんど泣き叫びながら絶叫を上げた。


「今だ――ッ!!」


 真名はカッと目を見開くと、かけ声と同時にステッキを振るう。

 刹那、一瞬にして周囲の空気が色づき、限界まで濃厚になった思念が可視化した。

 噎せ返りそうな激情の渦に、咲は思わず息を詰まらせた。

 そしてあらゆる感情がないまぜになった思念が敵に直撃する。

 双方の強力な感情エネルギーの衝突により空気がぴりつく。凄まじい緊張が空間を駆け巡ると、瞬く間に二つの思念体が爆砕して空気中の色合いが吹き飛んだ。

 散り散りになった思念は互いを相殺し合うと、一瞬にして消滅する。

 途端にフィーリングの波が弱まり、何事もなかったように廊下は静まり返った。

 一瞬の出来事に咲が目を丸めていると、ばたりとなにかが倒れる音がする。

 目を向けると、気を失った少女が冷たい床で寝息を立てていた。

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