第5話 言霊と思念体
「そう、季節外れの熱中症でねぇ……」
保健室で養護教諭に事情を説明すると、担当である女性はふんふん頷いた。
ベッドには先程意識を失った女子二人が寝込んでおり、終始悪夢に魘されるように呻いている。たまに譫言を発すると、苦しそうに表情を歪めた。
ここまで二人を運んでくれた先程廊下ですれ違った教師も、この養護教諭も、真名が一言二言話すと、不思議なことにすぐに納得してくれた。
養護教諭に至っては、熱中症といういかにも不自然な理由で真名が説明すると、それを馬鹿正直に鵜呑みにした。その遣り取りを見ていた咲はあからさまに訝しむ。
「それじゃあ私はこれからこの子たちの親御さんに連絡するから、二人はもう授業に戻ってね。付き添ってくれてありがとう」
柔和に笑うと養護教諭は保健室を出て行った。すると真名も踵を返す。
「真名ちゃんもこれにて退散~」
「いやなに流れで帰ろうとしてんの!? 許さないからね!?」
咲に腕を掴まれるや、真名はあちゃ~といやいやする。
「あーんやっぱりだめだったぁ~ん! お願い咲ちゃん見逃がしてぇ~っ」
「そういうわけにはいかないでしょ!? まだあの煙っぽいのも逃げたままなのに! ていうかさっきのなに!? なんか私から出てたんだけど……っ」
「あれは咲ちゃんから出た言霊だよ」
「言霊……って?」
聞きなれない言葉に咲が首を捻ると、真名は続けた。
「言霊っていうのは、声に出した言葉に力が宿ったもののこと。言ったことが本当になっちゃうの。普通はあんなことにはならないんだけど、私の影響を受けたせいで、力が倍増しちゃったみたい」
「言ったことが本当になるって……あ」
ふと咲は思い出す。先程空き教室で真名がステッキを振るったとき、自分の肩から奇妙な煙霧が噴出していたことを。
クラスメイトに殺意が芽生えたと同時に再び煙霧が噴出し、咲が「死ね」と言った瞬間に、開放感ともにそれが思念体となって少女たちに襲いかかったことを。
そして咲はある事実と、自分の内に生まれた感情に気づく。
「……ねえ。もしそれが本当なら、そこの二人は本当に……その……死……」
その先を紡ごうとするが恐怖で言葉が出ない。咲は誤魔化すように首を振る。
「と、とにかく早くどうにかしないと!」
「えぇ~? 別にいいよ~う。時間が経てば勝手に消えるだろうし」
「その間に誰か怪我したらどうするのっ? それにさっきの子も……」
咲は先程、思念体に驚いて逃げて行ったクラスメイトを思い出す。
咲の記憶が正しければ、思念体は少女と同じ方向へ去って行ったはずだ。
「なんでもいいからどうにかしてよ! 半分あんたのせいでもあるんだからね! 手伝ってくれないなら、さっきのことみんなに言いふらすんだから!」
「うぇええ!? 脅迫なんてそんな凌辱的なっ……」
「それが嫌なら私の……言霊? 探すの手伝って! ああ、でもどこに逃げたか……」
「それなら大丈夫。この帯の先に言霊がいるはず」
自信満々に言うと真名はステッキを振った。すると空気中に色彩が滲み、ステッキの先端からどどめ色の帯が伸びて、保健室を抜けて廊下へ続く。
真名が先陣を切って廊下に出ると、咲も視覚化された経路を辿った。
◇
各教室から教師の声が響く道中、視界では真名によって着色された空気が漂い、あらゆるものから湧き出して、色とりどりの世界が広がっていた。
そんな中、咲は教室の前を屈んで通る度に不安に駆られ、真名に耳打ちする。
「ねえ、先生に見つかったら怒られるんじゃない?」
「そうなったらさっきみたいに気を逸らせばいいよ。ていうか今実際にみんなに気づかれないようにしてるから、隠れなくてもいいんだけどね。喘いでも大丈夫だよ」
「やっぱり! なんか妙に先生が馬鹿に正直と思ったら心を操ってたんだ!?」
「操ってたなんて人聞きが悪い。ちょ~っと気を逸らしただけなのに」
そう言った真名の表現は困り顔だが、実際に困窮した様子は微塵もない。
「真名ちゃんとしては、咲ちゃんに暗示が効かないことの方が気になるんだけどなぁー」
探りを入れるように真名はちらりと咲を見る。だが咲に動揺はない。
「別に私はなにも隠してないって。そっちの精神操作が未熟なんでしょ」
「んぇ~? そんなことは絶対にないと思うんだけどなー」
「探ってもいいけど、なにも出てこないと思うよ。ほんとに隠してないもん」
事実だからこそ咲は胸を張れた。無論、実際に調べてもなにも出てこない。
その確信は咲の絶対的な自信へ繋がるはずだった。真名が手を打つまでは。
「あ、そっかぁ。なんで咲ちゃんに効かないのかわかった」
「へぇ。なんでなの?」
「咲ちゃんがどうかしてるからだよ」
「あぁ!? それどういう意味! バカにしてんの!?」
「ち、違うよ咲ちゃんなにか誤解してるって!」
咲が襟首を掴んで揺さぶると、真名はいやいやと首を振った。
そして実際に精神操作が効いているようで、大声を出しても誰も出てこない。
「あのね、私は暗示をかけるとき、世間で言う一般的な心に帳尻を合わせるの。でもたまに心の在り方が違う人もいて、その人には効かないんだよね。その人に帳尻を合わせればいけると思うけど、そうすると逆に大勢の人に効果が出なくて……」
「やっぱり私が変って言ってんじゃん!」
再び咲は真名を締め上げた。すると真名は真剣に答える。
「それは違うよ咲ちゃんっ。いい? 人によって心の在り方は――纏ってる気っていうのは違うの。みんなそれぞれ気が違ってるんだよ。だから咲ちゃんは変じゃない」
「気が……違う?」
「そう、正しい心なんてないよ! だってみんなそれぞれ気が違ってるんだから!」
堂々と宣言する真名の言葉には、どこか説得力があるように思えた。少なくとも咲はそう感じた。納得すると咲は安心感から笑み浮かべる。
「ま、まあ私も自分がちょっとズレてるとは思ってたけど、心は人それぞれって言えば、確かにそうかも。……でもそれって、普段から心がけてれば、どうにかなるんでしょ?」
余裕そうに言うも、やはり人と違うことが気になるのか、咲は真名が頷くのを願望にも似た思いで待った。しかし現実はそう甘くはない。
「そういうのは本質的な問題だから簡単に直らないし、だいたい一生そのままだよ」
「え。あ……そう、なの?」
救いようのない言葉に咲は軽く落ち込んだ。その類の専門に精通している者から一般と比べて正常でないと言われたのだ、無理もない。
それでも結果を少しでも覆そうと、縋るような思いで真名に問う。
「あーでも、私だけがおかしいってわけじゃないんでしょ?」
「うん、狂ってるのは咲ちゃんだけじゃないよ。人間なんて元々どこかおかしいし、誰が正常ってものもないからね。みんな似た場所が狂ってて、それが一般になってるから、他の場所がおかしい人をみんな変人って言ってるだけ」
「言い方ぁ……」
真名の回答に咲は半分救われ、半分追い詰められる。少なくとも真名の「人間は元々正常でない」という言葉に救われたのは事実だった。
自分一人が異常なわけじゃない。みんながみんな、それぞれ狂っている。
咲は心の中で何度もそう唱えると、その言葉を深く胸に刻んだ。
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