第4話 芽生えた殺意

「っ!?」


 角から人影が現れると、そこから出てきた人物を見て咲は立ち止まる。

 その先には、同じ背丈の影が三つ横に並んで歩いていた。両サイドの二人は、真ん中の怪我人を介抱している。怪我人は終始顔を抑えて涙ぐんでいた。

 すると向こうも咲に気づき、すぐに左右の二人が不機嫌な形相になる。軽蔑の籠った視線を咲に注ぐと、片方が口を開いた。


「こんなとこでなにしてるの? もう授業始まってる時間だけど」


 問うたのは、先程教室で咲に悪態をついてきた女子だった。

 他二人もさっき咲を罵った仲間であり、忌々しそうに咲を睨んでいる。

 しかし咲は臆せず、堂々と言い返した。


「そっちだって同じでしょ。人のこと言えないじゃん」

「はあ? 私たち、今から美和ちゃんを保健室連れてくんだけど」

「あんたのせいで美和ちゃん顔に怪我したんだよ!? ちゃんと謝ってよ!」

「ほら見てよ、こんなに大きな痣ができちゃったんだから! 女の子の顔にこんな傷つけるなんて、あんたってほんと最低!」


 咲が反抗すると、二人は美和と呼ばれた少女が手で押さえているところを無理矢理どかし、顔にできた大きな痣を、これ見よがしに咲に見せつけた。

 美和は痣を見られたくないのか、何度も顔を背ける仕草をする。

 しかし左右の二人は咲に罪の深さを認識させたいのか、美和の気持ちを汲むことなく、抵抗する手や体をガッチリ抑えて、無理に顔を前に向けさせた。

 美和の様子をいち早く察知した咲は、すぐさま双方に声をかける。


「最低なのは今のあんたたちでしょ! なんで本人が隠してるところを無理矢理引き剥がしてるの!? 早く離してあげなよ!」


 指摘されると二人はハッとし、急いで美和から手を離した。

 もちろん咲の言動は相手の不快感を煽ることとなる。


「は、はあ!? 意味わかんない。なに逆切れしてんの!?」

「揚げ足取るとかマジウザっ。ふざけんな! いいから早く謝れよ!」


 怒鳴ると片方の女子が咲に肉薄し、咲の脛を思いっきり蹴った。


「痛っっっ~~…………!?」

「お前ほんと死ねよ! いちいちウザいんだよ、ぺっ!」


 骨に直接響く痛みに咲が蹲ると、そのタイミングを狙い、もう一方から唾を吐きかけられる。頬に温くて嫌な感触が伝わると、即座に咲の腸は煮えくり返った。

 立て続けに行われた侮辱行為に、咲の堪忍袋の緒は容易く切れる。


「ふざけてんのはどっちだ! 都合のいいことばっか言いやがって。お前らが――」


 刹那、咲は自分の腹の奥底から湧き上がるどす黒い感情を自覚する。

 それは腹から喉元へ移動し、口内で疼くと勢いよく口を衝いた。


「死ねええええぇ!!」


 怒りと殺意の籠った単語を吐き出すと、咲は拳を握って振り被ろうとする。

 が、すぐに爽快感と開放感があとを追うと、肩の辺りから力が抜けた。胸の内に蟠っていた負の感情が咲の口からすべて放出される。

 同時に、咲の口内からなにかが外へ飛び出す。一瞬視界に映ったそれは不気味な姿を象ると、眼前の少女たちに襲いかかった。


「きゃあああ!?」


 突然現れた怪物に三人の少女は悲鳴を上げた。

 飛び出したのは、黒みがかった帯を引く、どどめ色の煙霧。

 煙霧は勢いをつけると咲に唾を吐いた少女に突撃した。少女は正面から煙霧のタックルを食らうと、車にでも撥ねられたように後方へ吹き飛ばされる。


「うぎゃ!」


 少女は呻きながら床に倒れると、そのまま沈黙した。

 数秒立っても起き上がる気配はなく、目を半開きにしたままぴくりとも動かない。


「え……? き、きーちゃん? どうしたの!? ねぇってば!」

「嘘? ちょ、やめてよ。冗談じゃないってマジで!」


 突然意識を失った友達に、少女たちは必死で呼びかける。だが依然として少女はなんの反応も示さない。笑えない状況に、いよいよ二人は震え上がった。

 それ以上に顔を真っ青にして震えるのは、煙霧を出現させた張本人の咲だった。

 今しがた感じていたスカッとした気持ちはどこへやら、今度は恐怖と不安が込み上げる。と、たじろいでいると再び肩に違和感を覚え、咲は目をやる。

 肩からどす黒い硝煙が湧き出していた。

 硝煙は不気味な形に歪むと恐ろしい形相を象り、前方の少女たちを睨む。

 それは先程咲が教室を出る前。真名の力によって出現した咲の思念であった。


「い、いや! なにこれ!? 消えない!」


 嫌な予感がした咲は、慌てて肩を手で払った。

 しかし硝煙は一瞬形が崩れるだけで、すぐにまた湧き出してくる。


「ひぃ!」


 前方から悲鳴が上がる。見ると、恐怖で気絶した美和が床に倒れていた。隣ではもう一人の少女が怯えており、その先では恐ろしい形相の思念体が少女たちに迫っている。

 ゾクリと咲の背中に悪寒が走る。

 同時に、妙な期待が胸に芽生えた。


「やだ、来ないでよ! だ、誰か助けてぇ!」


 少女は叫ぶと気絶した二人の友人を見捨て、そのまま反対側へと逃げ出した。

 思念体は視線を鋭くすると、険しい表情で少女へと突っ込んで行く。


「咲ちゃん!」


 呼ばれて咲は振り返った。そこにはステッキを片手に走って来る真名の姿がある。

 飛び出した咲を心配して追いかけて来たのだろう。それがいけなかった。

 咲の意識が逸れた途端、逃走した少女へ襲いかかっていた思念体が動きを止める。そして後方を振り返ると、真名の姿を捉えた。

 瞬間、思念体は黒い煙霧を纏いながら真名へと飛びかかる。


「ダメ! その子は違――っ!」


 慌てて咲は叫んだ。しかし思念体の勢いは止まることなく、一直線に真名へと突っ込んでいく。咲は意識を真名に向けたことを後悔した。

 そして、このあと起こる悲劇を想像して咲が顔を背けた瞬間だった。

 不意に視界が揺らぎ、空気が色づく。同時に胸中に喜怒哀楽が発生すると、それを軸に様々な感情が渦巻いた。

 心を搔き乱されたような感覚に、咲は一瞬頭がぼーっとする。

 ぼんやりとした頭のまま顔を上げると、そこには黒い帯を引く思念体と、ステッキを翳す真名の姿が映った。そして咲はすぐに異変に気づく。

 真名がステッキを振るった直後、まるで陽炎のように周囲の空気が揺らいだ。空間に着色された色彩は大きく混ざり合うと、みるみる色合いが変化する。

 変化は眼前の思念体まで迫り、その周囲を包んだ。思念体は硬直すると水に洗い流された絵の具さながらに、周囲を取り巻くどどめ色ごと薄れて縮小していく。


『ウッ、グ……オオオオォォォっ!』


身の危険を察知した思念体は、大暴れしながら後方へ下がる。

 突風に煽られたように縮小すると、そのまま少女が逃げて行った方へと去った。


「――ふぅ」


 事が済むと真名はステッキを下ろす。それを合図に空気中の色彩も薄れた。

 眼前の出来事にぽかんとしていた咲は、一気に気が抜けてその場にへたり込む。そして常人離れした技を使った真名に目を向けたときだった。


「こら、なに騒いでるんだ! 今は授業中だぞ!」


 怒号が響くと、騒ぎを聞きつけた教師がこちらに向かってきた。

 必然、教師の視界に、廊下に倒れる女子二人の姿が目に入る。


「な――いったいなにがあったんだ!?」


 教師は一瞬にして血相を変えると、急いでこちらに駆け寄った。

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