第3話 真名の正体
「はぁ~んお名前咲ちゃんって言うんだぁ! じゃあ今度からさきさきって呼ぶね」
「普通に呼んで。てか、あんたの説明したその……残留思念体? ってなに?」
ツッコミつつ、真名から説明された聞き慣れない単語に咲は首を傾げた。
「思念っていうのは人の思いや気持ちのことで、それが形を取ったのを思念体って呼ぶの。残留してる思念体だから、残留思念体。生霊みたいなものだよ」
「生霊って、ドロドロに溶けてるんだけど……」
言って咲は周囲の奇妙な浮遊物に視線を注ぐ。咲の言う通り、思念体に定まった形はなく、それらは水溜まり擬きの姿で空気中を漂っていた。
だが害がないことがわかると安心し、真名に向き直って本筋に戻る。
「それで? あんた何者なの?」
「それより乳首当てゲームしない? 私右乳首出すから咲ちゃん左乳首出して」
「聞け人の話! 誰がやるかそんなゲーム!? そんなんで誤魔化されないからね!」
服を捲り上げる真名に咲は怒鳴りつけた。すると真名は顎に人差し指をつける。
「んー……強いて言えば、妖精さん?」
「だからふざけないでって! 魔法使いって言われたって――」
と、咲は途中で口を噤む。そして真名が言ったことがあながち嘘ではないかもしれないと、一瞬だけ思考を巡らした。
(魔法……なら、あり得るの? さすがに妖精はあれだけど……ていうか)
(そもそもこの子……人間なの……?)
咲は真名の周囲で浮遊する思念を――真名の体から湯気のように滲み出て分離し、アメーバのような姿を模る思念体を見て、緊張と恐怖で思わず冷や汗を掻いた。
回答次第では、自分は今ここで消されてしまうのではないか――と。
「咲ちゃんは深層心理って知ってる?」
「えっ?」
突然切り出されると咲はびくりとした。
恐怖で一歩後退る咲に、真名は真面目な表情で続ける。
「心の奥深くには深層心理っていう海があってね、そこではみんなの意識が一つに繋がってるの。その海から意識が枝分かれして、咲ちゃんや他の人たちが別々の意識を持って独立してるんだよ」
「な……に、言ってるの?」
いきなり突拍子のない話をされて咲は困惑した。小学生の頭では言っていることの半分も理解できない。だからこんな質問しか返せなかった。
「それが、あんたとどう関係あるって言うの……?」
「私はお母さんのお腹の羊水の代わりに、深層心理の海に揺られて、みんなの意識から生まれた統合思念体――みんなの集合意識なんだよ?」
「な、なに……? わかんない。みんなの気持ちから生まれたってこと?」
「咲ちゃんママぁ」
「ひぎゃあああああああああああああ!?」
真名に抱き着かれると咲は思わず悲鳴を上げた。すぐに突き飛ばす。
「はぁん! いけずぅ」
「ま、まさか、だからさっき精神操作しなきゃとかヤバ気な発言してたの? 気持ちから生まれたからみんなの気持ちを操れるってこと!? てかあれ絶対私になにかしようとしてたよね? 私を操ってなにをするつもりだったのッ!?」
「盛った雄みたいにギラギラした怖いお目々で睨まないでよぉ。別に悪いことしようとしたわけじゃないのぉ。好き勝手したいからみんなの意識を逸らして操作してるだけでぇ」
「だからそれが物凄く危ないってつってんじゃん!」
不気味な単語に咲はぎょっとする。だが真名はけろっと言った。
「あ、大丈夫。操作って言っても、私がなにしても誰も驚かなくなるだけだから」
「十分危ないでしょ! むしろ危険度増したじゃん!」
危機感が薄いのか頭が足りないのか、精神操作やら思念体と簡単に言ってのける真名の浮ついた態度に、咲は危なげなものを感じて思わず叫んだ。
咲に叱咤されると真名は身を縮める。そして視線を落とすともじもじした。
「でもでも、本当に悪いことしてるわけじゃないんだよ? 真名ちゃんはただ、みんなと一緒に遊びたいだけだなの。ほんとのほんとだもんっ」
「乳首当てゲームとか?」
「そうそう」
必死に訴えると真名は瞳を潤ませ、上目遣いで咲を見た。そこから垣間見える純粋な瞳からは悪意は感じられず、その分野放しにしておけない妙な不安がある。
捨てられた子犬のような視線に罪悪感を覚えると、咲は大きくため息をつく。
「あーもーわかったわよっ。信じるからそんな顔しないで!」
(てかこれ以上関わりたくない! 人の気持ちから生まれたってなに!? これ以上はなんかヤバそうだからこの話はもうやめよう!)
危機感を覚えた咲は頭の中で完結すると、これ以上真名の正体について一切聞かないと心に誓った。そんな咲の気も知らず、真名は一人嬉しそうにはしゃぐ。
「ほんと! はぁーよかった。ものわかりの悪そうな見かけによらず優しいんだね」
「喧嘩売ってんのかよ。いやそれより……つまりあんたは、好き勝手するためにみんなの心を都合のいいように操ってたけど、なぜか私には効かないと……」
「そんな感じ。で、咲ちゃんはなんでここに来たの? バカに急いでたけど」
「っ!? そ、それは……っ」
不意に問われて咲は視線を反らすと、伐が悪そうに口を噤んだ。
だがすぐに考え直すと、今更隠したところで仕方がないと思い至る。それから再び真名を見やると、ここに来るまでの経緯をぽつぽつと話した。
やがて話が終わると、真名はふんふんと頷く。
「へぇ。つまり咲ちゃんは、女の子を傷物にしちゃったんだ」
「言っとくけどわざとじゃないからね! あれは事故なの、事故!」
「わかってるってばぁ。ついカッとなっちゃっただけなんだよね? 女の子の顔面に傷を負わせた挙句その場から逃走して私にそれを正当化しようとしてるだけで」
「悪意あるんだけどその言い方……まあその通りなんだけど」
嫌な言い方に引っかかりを覚えるも、否定できない事実に咲は落胆する。
「そういえば、前にも似たようなことあったなぁ……」
「咲ちゃん女の子泣かせたのは初めてじゃなかったの?」
「さっきから変な言い方しないでよ! それに似たようなことっていうのはそういう意味じゃなくて、みんなを不快にしたことの方!」
「真名ちゃんわっかんなぁ~い。どーゆーことー?」
たいして頭を捻りもせず、真名はわざとらしく猫撫で声で先を促した。
そんな真名の態度にすでに慣れたのか、咲は気にせず続ける。
「あれはうちのクラスの男子が喧嘩したとき。喧嘩の原因は、片方の男子がもう一方にふざけ半分で悪態をついたからなんだけど。そのときはみんながすぐに二人を抑えてくれて、どうにか喧嘩が収まったのね」
「うん? ならよかったんじゃないの?」
「全然よくない。そのあと、みんなどう解決したと思う? 二人とも謝らせたんだよ? 二人ともだよ!? おかしいと思わないっ?」
咲は鋭い眼光で真名に顔を寄せると、口早に文句を言った。
「どうして悪口を言われた方も謝らないといけないわけ!? どう考えても悪いのはちょっかい出した方じゃん!? あいつらの丸く収まればそれでいいって考え方、ほんと嫌い!」
話しているうちに興奮したのか、咲は真名の方へ勢いよく身を乗り出すと、同意を求めるようにずいっと顔を近づけた。
「だから私言ったの、どうして悪くない方も謝らせるんだって。そしたらみんな私を変なものを見る目で見て……。先生だって悪いんだよ。クラスの問題を子どもだけで解決させようとするんだから。なに考えてるんだろう、あの木偶の坊」
「むふふふ……どうやら真名ちゃんの出番のようですね?」
「え? なにその結論。出てくる必要ないんだけど」
話の流れを無視して唐突に出しゃばる真名に、咲はすぐさま拒否した。が。
「そういうことなら真名ちゃんにお任せ! そういうの得意分野だから!」
と、真名がステッキを翳した瞬間、周囲の空気は多種多様に色づく。
あらゆるものから思念が湧き出し、なにやら奇妙な気配が辺りを包み込んだ。
「な、なにこれ!? なにしたの!?」
眼前で起こる非現実な出来事に咲は驚き、真名に問いかけた。
しかし真名はステッキを振るのに夢中になり、話をまったく聞いていない。
無数に湧き出した思念が形を象ると、真名は横で真っ青になっている咲へ振り返り、ビッとステッキを構える。すると思念体が咲へ向いた。
「行くよ咲ちゃん、行くよ! いい!? 行くよ!?」
「いやよくないから! ちょ、その変なのこっち向けないでよ! なにするつもり!?」
「咲ちゃんはみんなにわかってほしいんだよね? 大丈夫、別に取って食うわけじゃないから安心して! 咲ちゃんからほんのちょ~っとだけ感情を搾り取るだけだから。軽く廃人になるけど。そしてみんなにわからせてあげる!」
「どこが大丈夫だ! やめろこっち来るなバカ!」
「平気平気、騙されたと思って一回だけ。ほらっ」
と言って真名がステッキを振るうと、途端に咲の肩から思念が漏洩した。
思念は奇妙な形に歪むと、不気味な煙霧を放出する。
「いぎゃあああああああああ!」
絶叫を上げると咲はドアを蹴破って教室から飛び出した。
辺りに割れたガラスが飛散するのも気にせず、咲は全力で逃走を図る。
「あれ? 咲ちゃーんっ?」
後ろから真名の呼ぶ声がしたが、その声は殊更咲の恐怖を促した。怪しいことをされそうになって恐怖心が勝り、生存本能が訴えるまま咲は廊下を駆ける。
だがそんな逃走劇も、咲が廊下の角を曲がった瞬間に終わりを迎えた。
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