第5話 相手の気持ち

「真名ちゃん……? えっと、どういうこと?」

「お互い気持ちが通じ合えば、わかり合えるんだよね!? 私できるよ!」


 なおも沙織が首を傾げていると、真名はステッキを構える。

 瞬間、空気中に様々な色合いの波が漂った。

 波は風に吹かれるように揺れると、綺麗な色合いや、どす黒い色を漂わせ、多種多様の色調が至るところで渦巻くと、教室いっぱいに充満する。

 その発生源は人やものと様々で、波は生徒たちに入り込んだり、空気中の他の波と混じり合って延々とお互いに影響を及ぼし続けると、別の色彩となって放出された。


「わあ、凄く綺麗! オーロラみたい!」

「でも黒くて汚い色もあるね。なんか嫌な感じ」


 不思議な光景を前に、沙織や生徒たちは目を奪われる。同時に、その端々で漂うどす黒い靄から発せられるマイナスのエネルギーに嫌悪感を覚えた。

 だが誰一人としてその光景と、それを容易にやってのけた真名に不審がらない。全員、戸惑いと興奮の表情でそれらを眺めているだけだ。

 まるで、意識でも操作されているかのように――


「よいしょ」


 真名がステッキを動かすと空気中の色彩が揺らめく。そしてステッキの先端が向きを変えると、その先にあった黒板から泉のように虹色が湧いた。

 黒板から解放された色彩は室内を漂うと、生徒たちの体内に浸透し、胸の中に授業中の雰囲気や、休み時間に落書きしたときの心情を芽生えさせる。


「うお、なんだこれ!? 勝手に気持ちが湧いてくる!」

「うっわ。これ授業のときのつまらない感じ、まんまじゃん」

「落書きするのってこんな感じなんだ……確かにちょっと楽しいかも」


 生徒たちは疑似的な感情に目を剥くと、様々なリアクションをしながら、自らも当事者と同じ気持ちになり、精神的に共感する。


「それでは本題に入ります!」


 真名は声高らかに宣言すると、びしっとステッキを構えた。

 途端に空気が静まり返ると、再び大気が震えだし、多種多様の光彩が生じる。


「うわ、なんだ!?」


 驚きの声に全員の注意が向く。

 そこには、全身から異様な量の色彩を滲ます永井がいた。

 永井が自身の身に起こった異常に怖気づくと、周囲も何事かと目を見張る。

 そんな中、真名は相変わらず軽い調子で告げた。


「あ、怖がらなくていいよ。永井君の気持ちをベースにするから、ちょっと大袈裟に湧き出てるだけ。大丈夫大丈夫! 気にしない気にしなぁーい」


 真名はにっこり笑いながら、くるくるとステッキを振るう。すると永井から湧き出していた色彩は、真名のステッキの動きに合わせて、奇妙にうねって踊りだした。


「うわすげぇ、蛇使いみてぇだ!」

「なにあれー! 気色悪いけど可愛いー」

「真名ちゃんすごーい! いつの間にそんな変なことできるようになったの!?」

「あ~ん褒められると胸がキュンキュンして心がギボヂイィィ!」


 生徒たちからの評判は絶賛だった。真名は嬉しさのあまり調子づくと、ステッキをぎゅっと握って高速で上下に擦る。すると色彩が自由自在に空中を泳いだ。

 そしてフィナーレとばかりにステッキを振り下ろした瞬間、永井から湧き出していた色彩は生徒たちの頭上で弾け、星屑のようにキラキラと輝く。


「あ! あれ見て!」


 一人の女子が声を荒げた。その視線の先を見ると、誰もが歓声を上げる。

 弾けた色彩はいくつものハムスターの幻影を模ると、光を反射させながら、縦横無尽に宙を駆け回った。

 生徒たちは小さな歓喜を上げてその光景に見入る。やがて無数のハムスターは一斉に向きを変えると、生徒たちの方へ突っ込んで行った。

 そして教室内にいる一人一人の胸へと飛び込み、中に入って弾ける。


「きゃあ!?」


 突然のことに驚く生徒たち。だがそれも一瞬。

 すぐに胸中に違和感を覚えると、誰もが涙を滲ませて目元を擦った。


「……あれ? なにこの気持ち? なんか――」

「急に辛くなって涙が出てくる……なに、この悲しい気持ち?」


 胸に生まれた感情に意識が向くと、徐々に大きくなる気持ちに一同は戸惑った。少しずつ胸が絞めつけられると、小さく嗚咽を漏らす者まで現れる。

 同じようにハムスターが胸の内で弾けた沙織も、そっと胸に手を置くと、静かに涙を流しながら、なにかを思い出すように沈黙した。そして思い至る。


「この気持ち、どこかで……。そうだ。確かこれは、大好きだったおばあちゃんが死んだときと凄く似てる。……でも、この凄く強い怒りや憎しみは……?」

「今みんなが感じてるのは、永井君が感じた気持ち、そのままだよ」

 一同が困惑していると真名が種を明かした。すると沙織は首を捻る。

「どういうこと真名ちゃん?」

「飼ってたハムスターが死んじゃって、辛くて悲しいっていう永井君の気持ちを、みんなが実際に体験してるの。今みんなが感じてるのは、永井君の感じてるダイレクトな気持ちだよ」


 沙織が悲痛に心を痛めていると、真名は無邪気な笑顔で説明した。

 すぐ隣では、野々花も同じように涙を流している。

 その様子に気づいた沙織はゆっくり野々花に近づくと、しゃがんで目の高さを合わせ、そっと野々花の肩に手を置いた。野々花は振り返ると沙織を見つめる。


「先生、私急に涙が……っ」

「野々花ちゃん、わかる? これが今、永井君が感じてる悲しみだよ?」

「これが、永井君の……?」


 野々花は鼻を啜ると、そっと自分の胸に手を置いた。

 沙織はその目元に指をやると、優しく涙を拭ってやる。


「そう。これで永井君が、ハムスターが死んじゃってどれだけ辛いか、野々花ちゃんもわかったでしょ? 野々花ちゃんにとってはただのネズミかもしれない。でも永井君にとっては、今まで一緒に過ごしてきた大切な家族なの。そしてこの気持ちはね、先生が大好きだったおばあちゃんが死んじゃったときと、同じくらいの悲しみなの」

「嘘っ……動物と人間だよ? 命の重さが全然違うっ」

「命や絆に、人も動物も関係ないよ。大切なのは種族や血の繋がりじゃない。別の生き物同士でも、一緒に過ごしてたら家族同然なの。その家族が命を落とした……それがどれだけ辛いものか、理解したでしょ?」

「先生、でも……っ!」

「野々花ちゃんはその大切な家族をバカにしたり、踏んづけたりした。それは絶対にやっちゃいけないことだよ。野々花ちゃんも永井君の心に触れて、永井君がどれだけそのことに怒ったかわかったでしょ? だから、きちんと謝らないとダメ」

「これでわかっただろ、俺の気持ちが。ちゃんと謝れよ!」


 なおも野々花が納得せず駄々を捏ねていると、永井が涙で充血した目で睨みつけた。そして確固たる意志で謝罪を要求する。


「うぅ、なんでよぉ……っ。だいたい謝ったところで永井君許すの?」

「初めから許してもらおうなんて考えちゃダメ。もし永井君が許してくれなくても、それが悪いことをしたことへの罰なんだよ。人を傷つけるっていうことは、そういうことなの」

「そん、なぁ……う、うぇえぇえぇぇえええぇぇぇぇえぇん!」


 断言されると、野々花は盛大に泣き喚いた。

 沙織は野々花への説得が終わると、真名に向き直る。


「ありがとね真名ちゃん。お陰で野々花ちゃんも、永井君の悲しみがわかったと思うわ」

「えぅっえぇぇ~~? ん~まーあぁん、そんなこともあるけっどぅぉおお~?」


 お礼を言われると、真名はステッキを股に挟んで照れた。


「今みたいに、みんな直接人の気持ちがわかれば、誰も人に酷いことしようなんて考えないのに……っ。そうすれば、あんな酷いことだって……!」


 永井は床で無残な姿となったペットを見ると、心底悔しげに拳を握った。


「永井君は、人の気持ちがわかるようになりたいの?」

 

 不意に真名が問うてきた。突然のことに永井は目を丸める。

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