第4話 大切な宝物

「なにがあったの!? 永井君、その血はなに!?」

「こいつが俺のペットを殺したんだ! お前も殺してやる!」

「あのね先生、永井君のランドセルの中にハムスターが隠れてて」

「びっくりした野々花ちゃんがドアに挟んじゃったの! そしたら死んじゃって……」

「ええっ!?」


 生徒たちの説明に沙織はだいたいの事情を察すると、今度は野々花を見る。

 野々花の腕や顔にはいくつもの引っ掻き傷や打撲の跡があり、ところどころに内出血や、引っ掻かれた箇所から血が滲んでいた。

 と、その隙を見て永井が沙織の腕から離れる。

 永井は再び野々花に掴みかかると、噛みついたり叩いたりを繰り返した。


「いやあああああ!?」

「やめなさいって言ってるでしょ永井君! 暴力はダメ!」

「逃げんじゃねぇよクソブス女! お前も同じ目に遭わせてやるッ!」


 沙織が急いで永井を羽交い絞めにするも、永井は野々花を蹴ろうと足を出す。

 それらの仕打ちと罵声は、ついに野々花を逆上させた。


「わざとじゃないっつってんでしょ! いい加減にしろよお前キメェんだよ! こんな薄汚いドブネズミ一匹にいつまでもネチネチしやがって!」


 逆切れした野々花は永井が動けないのをいいことに、ハムスターの死骸に近寄る。

 そして大きく足を上げると、死骸を思いっきり踏み潰した。

 何度も何度も力任せに足を踏み下ろし、ぐりぐりと磨り潰す。

 死骸は野々花の体重でズタボロになると、傷口から潰れた内臓が飛び出した。上履きが床を擦る度に血痕が尾を引くと、千切れた肉片や折れた骨が破片となって飛び散り、ぐちゃぐちゃの肉塊へと変わっていく。

 信じられない残虐行為を平然と繰り返す野々花に、クラス一同は凍りついた。

 周りの生徒たちは悲惨な状態となったハムスターを見ると、目を逸らしたり、呆然と棒立ちになったり、中にはその場で吐き出す者まで出てくる。


「野々花ちゃんやめなさい!!」

「あああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」


 沙織が野々花に怒鳴ると、次いで永井が絶叫を上げた。

 そして沙織が愕然としている隙に、永井は沙織の拘束から抜け出すと、確固たる殺意を持って野々花へ突進する。

 身の危険を感じた野々花は、逃げ出そうと咄嗟に背を向けた。そして机の間を縫うように走っていく。


「待ちなさい永井君!」


 沙織の制止の声も虚しく、永井はすぐに野々花に追いつくと、両脇の机に手を着いて体を浮かせ、その背中に向かって思いっきりドロップキックを叩き込む。


「ぐえっ!?」


 野々花は呻き声を漏らすと、周囲の机を巻き込みながら盛大に転倒した。

 一連の騒動に、生徒たちは驚きに満ちた声を上げる。周りの机が倒れると大きな音が響き、廊下にまで反響した。沙織は泡を食いながら叫ぶ。


「なんてことするの永井君!? 女の子を蹴り飛ばすなんて――」

「うわああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 尋常でない絶叫に、その場にいた全員が凍りついた。

 それは先程永井が上げた怒声とは異なり、この世のありとあらゆる憂いと嘆きと悲しみが入り混じった、悲痛の叫びだった。

 尋常でない絶叫に、沙織は真っ青になりながら振り返る。

 そこでは野々花が、なにかを庇うように体を丸めて泣き叫んでいた。

 床には倒れた机から散らばった教科書類があり、野々花の名が書かれているものがいくつか見受けられた。どうやら巻き込んだ机に野々花の席もあったようだ。

 野々花はその中から自分の筆箱を手に取ると、一層悲しげに咽び泣く。


「私のストラップ、壊れちゃったああぁぁぁ……っ」


 筆箱には、ひび割れたウサギのストラップがぶら下がっていた。

 落ちた拍子に壊れてしまったのだろう。耳の部分が折れてしまっている。

 事態が深刻でないことを確認すると、沙織は心底胸を撫で下ろした。

 対する永井は、いい気味だと、ふんと鼻を鳴らす。


「な、なんだよ、ストラップ一個で泣きやがって。それこそ別にたいしたものじゃないだろ! 命と違って替えが利くんだから、買い直せばいいじゃないか!」

「うぎゃああああああああ!」


 先程自身が言ったセリフを返されると、野々花は半狂乱になって永井に突進した。

 すると永井も迎え撃とうと構え、自らも前に一歩踏み出す。


「はい、そこまで! やめなさい二人とも! いい加減にして!」


 と、すぐに沙織が間に入って、野々花と永井を抑えつけた。

 野々花の発狂で一旦冷静になっていた永井は、言われた通りじっとする。だが、たった今爆発した野々花は自制が利かず、沙織に抑え込まれていた。

 そして沙織は、ハムスターを踏み潰した野々花を叱りつける。


「野々花ちゃん、どうして永井君の大切なペットを踏んづけたりしたの!?」

「だってこ、こいつがぁ! 私の髪引っ張ったり、叩いたりし、したからぁ……っ」

「だからって生き物を踏んづけていいのっ?」

「先生こいつ最低なんだよ!? ハムスター殺しといて、同じの欲しいならまた買ってもらえばいいじゃんとか言ってさー!」

「ネズミ一匹死んだくらいで騒ぐなって言ったんだよ!? マジありえねーんだけどっ」


 沙織が野々花に叱咤すると、他の生徒たちが野次を飛ばした。

 すると野々花は、鋭い眼光で周りを睨む。


「みんなしてなんなの!? 私ばかり悪者にして! 私間違ったこと言ってないじゃん! たかがネズミ一匹でしょ!? それが死んだくらいで、なんで殴られなきゃいけないの!? そんなのハエやゴキブリが死んだのと同じじゃん! 殺しても別にいいでしょ!?」

「この……っ」

「いい加減にしなさいッ! それは間違ってるわよ、野々花ちゃんッ!」


 再び永井が激昂する寸前、沙織が野々花の肩を掴んで強く主張した。

 その勢いと剣幕に生徒たち全員がびくりとする。

 野々花も目を見開くと、怯えた表情で沙織を見た。


「簡単に生き物を殺しちゃいけない! それは野々花ちゃんが間違ってるよ!?」

「ち……違うもんっ。私間違ってないもん!」

「野々花ちゃんにはネズミでも、永井君にとっては凄く大切な家族なの。それが事故とはいえ死んじゃったんだよ? 野々花ちゃんもお父さんやお母さんが死んじゃったら悲しいでしょ? それと一緒で、わざとじゃなくても野々花ちゃんは永井君の大切な家族を死なせちゃったの。永井君、それで凄く傷ついたんだよ?」

「私だって傷ついてるもん! だって永井君、殴ったり蹴ったりしたし、それに見てこれ! 私のストラップ、永井君のせいで壊れたんだよ!? 永井君より私の方がいっぱい悲しい!」


 主張するように壊れたストラップを掲げる野々花。しかし沙織は首を振る。


「命とものは違うでしょ? ストラップはいつでも買えるけど、生き物は違う。同じものなんて一つもないの。死んじゃったら、いくらお金を積んでも二度と手に入らないし、ストラップと違って替えが利かないの。それを、別のハムスターを買えばいいなんて言ったら、永井君が怒って当たり前でしょ?」

「どっ、……してぇ? 私だって、永井君のせっ、で、大事にしてたストラップ、壊れちゃったのに、いぃ……っ! 私だって、物凄く悲しいし傷ついてるのに、なんで私ばかりいじめるのぉ!?」


 しゃくり上げると、野々花は再び涙を滲ませる。

 だが野々花の認知の歪みを放っておくわけにはいかなかった。沙織は心を鬼にする。


「野々花ちゃん、きちんと永井君に謝りなさい」

「!? な、なんで私だけ謝るの!? 永井君だってぶったりしたのにぃ!」


 自分だけ謝罪を促され、野々花は理不尽だと声を荒げる。すると沙織は頷いた。


「確かに殴るのは悪いこと。でも殴られる原因を作ったのは野々花ちゃんだよ? ハムスターを永井君の前で何回も踏みつけて、あんなことされたら先生でも物凄く怒るし、とても悲しくなる。謝るのは野々花ちゃんが先だよ。永井君の気持ちも考えなさい」

「なんでええぇぇぇ!? 永井君の味方ばっかりして! 先生のバカぁ! 私も辛いのに、どうして私の気持ちは考えてくれないのおおぉぉぉ!?」


 野々花がまともに言葉を紡げるのはそこまでだった。心に深い傷を負った野々花は、あまりの辛さに崩れると、そのまま床に蹲って泣き喚く。

 歪んだ認知を正そうとしない野々花に、沙織は困窮した。


「どうしよう……野々花ちゃんに、永井君の気持ちがわかればいいんだけど……」

「じゃあ同じ気持ちになればいいんだよ!」


 突然介入してきた第三者の元気な声に、沙織だけでなく、永井や野々花、そしてクラスメイト全員が目をぱちくりさせた。

 するとクラスの全員が、揃って声の主――真名へと視線を注ぐ。

 いつの間に取り出したのだろう。その手にはステッキが握られていた。

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