5
目が覚めると、珍しく花雨が先に起きていて、窓の前に立ってガラスに指を這わせていた。私は回らない頭で目を擦りながら、外を凝視する彼女に声をかける。「どうかした……?」
彼女は虚ろな表情で、外を凝視して、ぽつりと呟いた。
「雨なんて……嫌な日だね」
「……花雨?」
背筋がざわついた。
肌が粟立って、ああ、これは寒いのか、怖いのかと思考する間もなく、私はわかっている。わかっていた。口を閉ざした私を花雨が見る。ああ、彼女はもうずっと泣き続けているのに、こんなにも、残酷で。
「どうしたの、時雨……雨、降ってるよね……?」
ねぇ、答えてよ、と彼女が私を捉える。青い双眸を歪ませて、出来損ないの微笑みで、縋るように私を見る。
「雨は、」
どんな顔で彼女を見ればいいのかわからなくて、私は、あれだけ愛した青から目を逸らす。
そして、ガラスの奥を見た。
雨は、降っていない。
「雨が止まないの」
青は沈み、花雨は静かにもう一度言った。「雨が止まないの」
私は彼女の隣に立って、その声に耳を傾ける。そばにいる。それくらいしか、私にできることはなかった。
花雨が見えている世界と私が見えている世界が違うという事実にうちのめされる。彼女は幻の雨の中にいる。孤独にその形を音を匂いを感じて、私はそれを分かち合えない。私たちは私たちのままなのに、どこかが大きく、違ってしまったのだろうか。
何もかもが変わり移ろいゆく現実の中で、変えたくても変えられないものがあるということ。茜さんが自殺して、木芽さんがいなくなって、驟君もどこかへ行ってしまって、今度は自分が不安と恐怖の中に置かれている。木芽さんのあの狂乱を目の当たりにしている。木芽さんが驟君を蹴り、私たちを打ち据えたことを覚えている。彼女の最後の言葉だって。
「ごめんねお姉ちゃんもう耐えられなかった」
これ以上私から奪わないでと泣いて縋ったって誰も聞き届けてはくれない。こんなところに神様なんているわけがない。上から見下ろして嘲笑っているんだろう。なんて滑稽なんだあいつらは。何をしたって結局は痛みの最小化にしかならないのに、何を乗り越えたって苦しさは続くのに。
驟君のように殺してやると叫びたい。でたらめに刃を振り回して、不条理を切り裂きたかった。でも、できない。耐えるしかないんだと自分に言い聞かせている。
雨の日に、天文台に行こうか、と花雨を誘った。彼女は憂鬱を浮かべながら、こちらを見ずに首を横に振った。
「雨に触れたくないから」
食欲もなくなって、それまでの半分以下しか食べることができない。日中のほとんどを、外を見て過ごすようになった。
けれど、数日に一度はいくらか気分が楽な日があるようで、そんな時は二人で話をした。彼女の話は、まるで自分の未来はもうないとでも言うように、過去を懐かしむものばかりだった。
灰色の雲が私の空を侵す。雨が花雨の心を犯し、その瞳は憂鬱に烟る。
私たちの間に穿たれたこの断絶を埋めて欲しかった。対岸で私に背を向けて空を見上げる彼女に近づいて、隣を歩んで、一緒に痛みを分かち合っていたかった。
ずっとそうしてきたんだ。戦火の後の泥濘に連続する足跡を刻んできたんだ。二人だけの世界だった。片っぽが泥に足を取られたって、手を取り合って支え合いながら乗り越えていけた。私一人じゃダメなんだ。彼女一人じゃ、ダメなんだ。
私を置いていかないで。
そんな悲惨な言葉を、私より深い暗闇にいる彼女に言えるわけがなかった。無理だとわかりきった理想を描くことの苦しみを知っている。どうせ至れない。永遠なんて、存在しない。
本当に遠ざかっているのは、どっちなのだろう。
花雨が佇む場所へ、私も行きたかった。傘も持たずに濡れそぼる彼女の手を握って、互いの血を温度を分け合って、離れがたい一体感の中に入られたらどれほど良かっただろう。
もう、雲の向こうも晴れの空も望まない。
だからどうか、私に雨を。
止まない雨を、どうか、と願う。
花雨と肩を寄せ合って眠る。至近距離で見る彼女の瞳は夜の薄闇の中でも輝きを放つようで、向かい合ってじっとしていると、彼女は照れ臭そうに笑うのだった。
「見過ぎだよ……恥ずかしい」
「花雨の青が好きなんだ。綺麗だから……」
私が言うと、くすくすと控えめな声を漏らして、
「知ってるよ。昔からずっとそう……」
今度は私が照れる番だった。彼女はそんな私の指先を布団の中で弄ぶ。
「空の色みたい、って、時雨が言ってくれたんだよね。海とか宝石とか言ってもらうこともあったけど……私は空の色がいいなって思って、ずっと、そう思って……」
「花雨……?」
声が震えて、戯れていた指が絡まる。そのまま手の平を合わせて、彼女は呟いた。
「また二人で天文台に行きたいよ……。それでね、アイスを食べながら暑いねって言って、半袖の服を仰いでね……真っ青だね、って雲ひとつない空を見上げて言うの。木芽さんも驟君も一緒でいいんだ。そしたらきっと楽しいから、それで……」
それで、と何度も言葉にして、涙がこめかみを伝っていった。
「私たちで、幸せになりたいよ……」
思い煩うことのない日々を。雨垂れから遠く、明るく晴れた温かい場所へ。いつか、いつか、と夢見ている。訪れるかもわからない。ただ過去にはあって失くしたものを、未来方向へと歩みながら探している。
幸せになりたい。
悲しみの涙と無縁でいたい。怒りの泥や憂鬱の灰色と離れていたい。それだけのことなのに、私たちが何をしたというのだろう。誰が人の罪を数えて、誰が人を裁いていられる?
途方もなく巨大な壁が、私たちの前に立ち塞がっている。上へと突き抜けていく推進力なんて、残されているはずもないのに。
より良い幸福は果てにあって、私たちでは届かないのだと知っている。けれど、願い、祈り、望むことだけは許されているだろう。目の前に存在しないがゆえに、私は花雨に希望を見るのだから。
「幸せになれるよ、花雨。幸せになろう。たくさんの色に囲まれて、また天文台にも行こう。美味しいものも、木芽さんが好きな曲も、驟君がやりたいゲームも、本とか映画だって手に入れよう。私たちで……」
彼女の手を握る。この温もりを抱いていたかった。どうか行かないで、私をここにいさせて。死にたくない。死んで欲しくない。助けたい、救われたい。表裏一体も自己矛盾も私の中で混じり合って区別なんてできなかった。ただ想いだけがあった。それぞれの人生が穏やかで笑顔に満ちていればいいと。花雨に、幸せになって欲しいと。
「時雨、時雨……」
「花雨」
お互いの存在を確かめる儀式だった。私の名前を呼んで、あなたの名前を呼ばせて。ここにいると約束して、私に、保証していて。生きていると、消えずに隣にいるのだと。
しなだれた髪も指も絡めて、放さずに、額を合わせて私たちは眠る。
起きてすぐに花雨がいないことに気がついた。
「花雨! どこにいるの、花雨!」
隣にいないどころか部屋のどこを見渡しても影も形もなかった。そして、キッチン下のドアだけが、中途半端に開いていた。
必死になって考える。焦りと緊張で落ち着かない。全身から嫌な汗が吹き出て、指先が震えた。眼球がぐるぐるして気持ちが悪い。足の血管が詰まったように重かった。ああこんな時に限って雨だ。傘は置かれたままで……花雨は全身を濡らしてその身体は冷え切っているに違いなかった。どうして、どうして? きっと幸せになろうって、きっと幸せになれるって、話をして……。テーブルの周りを歩き回りながら考える。花雨はどこに行ってしまったのだろう?
今の彼女があまり遠くまで行けるとは思えなかった。可能性を言うのであれば、ここの周辺を彷徨っているか……あるいは、一直線に一つの目的地に向かったか。こんな時、人はきっと場所を選ぶものだろう。できる限り印象深く、ふさわしいと思える場所を。
自分一人では手に負えないことは明らかで、私は隣の部屋の扉へと食らいつき、
「驟君! 驟君助けて! 花雨がいなくなって──」
ドアを何度も叩きながら声を張り上げると、彼はすぐに顔を出して、事情を聞くこともなく「どこを探せばいいすか」と険しい表情で言った。
「通りを中心に街中をお願い」
「わかりました」
即座に頷いて、寝起きそのままの格好で廊下を走っていく。「驟君」私はその背中に声をかけて、
「ありがとう」
心からの言葉だった。こんな時に頼れる相手が、私にはもう驟君しかいない。彼だってうんざりするくらい傷ついて、泣き腫らしたはずなのに、それでもこうして力を貸してくれる。
彼は立ち止まると、半身だけこちらに向けて、不器用な笑みを浮かべた。
「……姉さんの、友達なんで」
彼はそう言って、階段の影に消えていった。
傘をさす時間すら惜しかった。私は濡れないための努力の一切を放棄してひたすらに走る。何も構ってはいられなかった。まつ毛から滴る雫を振り払う。服に染み込んだ雨水に体力を奪われる。肺は熱を持って、酸欠で視界が霞んだ。泥水を踏みつけかき回し、アスファルトの破片を蹴り飛ばす。
花雨、花雨、花雨。
何度だって名前を呼ぶ。そうでないと私の見えないところで消えてしまいそうで、もう二度と彼女の声で私を呼んでくれなくなってしまいそうで、青が灰色に覆われてしまいそうで、怖くてたまらなかった。
一人で行ってしまわないで。どれだけの苦痛と憂鬱に塗れても生きて、そばにいて欲しかった。私も彼女と同じ空の下にいたかった。そうすれば彼女も終わりまで一緒にいてくれたかもしれない。遠くに行くのにだって、私を誘ってくれたかもしれないのに。
「花雨っ!」
私は叫ぶ。どうか、この手が届くように。他の誰に触れられなくてもいい。他の誰を掬えなくてもいい。
この両手に抱きたいのは、彼女だけだから。
暗く陰鬱な坂道をのぼっていく。道なりに点在する廃墟の連なりは、まるで墓標のように私を導いていく。膝に片手をついて、痛む喉を押さえた。束になって垂れ下がる髪の合間に、天文台が見えている。
急がなければと、疲労で地面に吸い付く足を無理やり動かしていく。もっと鍛えておけばよかったと、場違いな感想が脳裏に浮かんだ。そうすれば、もっと早くたどり着けたろうに。
館内の入口は雨水が入り込んで水浸しになっていた。視線を巡らせると、奥に続く廊下には、埃の上から濡れた足跡が刻まれている。推測が確信に変わる。花雨は、ここにいるのだ。
窓から差し込む光は勢いを欠いて、今が早朝であることを忘れさせる。割れずに残ったガラスに映る私は、途方に暮れた幼子のように、涙ともつかない水滴を頬から伝わせていた。私はすぐさまその弱々しい姿を押しのけて、床を踏みしめ再び走り出す。
私のことなどどうでもいい。どれほど弱くどれほど無力であろうとも、そんなことは問題ではない。
ほとんど体当たりをするように扉を開けて、ドームの中に転がり込む。機能しない望遠鏡、錆びた機械たち、積まれた瓦礫と雨の中に、花雨は佇んでいた。
「花雨!」
かすれた声のままに、叫ぶ。彼女は私に背をむけて、崩れた天井の真下から空を見上げている。そしてその右手には、見覚えのある黒い拳銃が握られていた。
空のさらに遠くを見るはずのこの場所で、覆いを失った穴の下でたった一人、雨に打たれながら無窮に続く天蓋を見つめている。そのことの孤独を思うと、心の底が凍てついて内臓も何もがなくなっていくようだった。生の重みも現実感も流れる血の温度もすべてが消え失せて、露に溶けて、コンクリートに染み渡って。
花雨が消える。まさかそんなはずもないのに、私にはどうしてもそう思えてならなかった。私の声に応えることもなく動きも見せずにいるのは──もしかしたら。
妄想だと振り払う。現実はここにある。まだ、錨を下ろしている。
「花雨っ! ねぇ、花雨、そんなところにいないで、帰ろう?」
その背中に言葉は届いているだろうか、と。
不安になっていっそ駆け寄ろうとしたところで、彼女が振り向いた。
「やっぱり、わかるよね。時雨……」
張り付いた髪を掻き分けながら、ぎこちなく、笑う。
生気のない顔で、悲しげに微笑んでいた。
雲を通り抜けたわずかな光に、彼女は照らされて。
青はまだ、そこに宿っていた。
「どうしようかなって思ったんだ」
片足を上げて揺らしながら、花雨は言った。
「どこにするべきかなって、ずっと考えてた。すぐにわかっちゃうとは思ったけど、やっぱり、私はここがいいな」
「何の、話……」
粘度を増した唾に溺れかける私に、彼女は目を細めて、
「時雨なら、わかるでしょ。私のこと、この世界で一番わかってくれてる時雨なら……」
彼女の瞳が私を映す。
死のうとしている。
あの拳銃でもって、自殺に至ろうとしている。
わざわざ言うまでもなかった。
「ずっと憂鬱だった。悲しいのがどこにもいかないで居座って、その上にどんどん積まれていく現実が苦しかった。……でもね、時雨がいてくれたから、ここまで生きてこれたんだよ。時雨が私の手を引いてくれたから。二人の世界を証明し続けて、私を繋ぎ止めてくれたよね」
雨はカーテンとなって、私たちを隔て、彼女はその中で訥々と語る。私の言葉は生起される前に詰まりを起こして、声にすらならずに、消える。
「時雨と一緒なら生きていけると思った。助け合って支えあって、もしもこの空が永遠に色を失ったのだとしても、時雨が私の目を好きだと言って見つめてくれる限り、あなたの瞳に私が映るのを見つけていられたから。楽しいことも嬉しいことも、新しい日々を紡ぎながら積み上げていければいいと思った。雨が降る日は嫌だなって、憂鬱だなって思ったけど、時雨が同じ景色を見ているのなら、嫌だね、って言って笑っちゃえばいいと思ったんだよ。それでよかったんだ。それがよかったんだ。なのに、」
震えを隠すように、身体を掻き抱く。近づこうとした私に「こないで!」と声を張り上げて、
「……雨が止まないの。ずっと音がするの。ずっと線が見えるの。ずっと臭ってるの。時雨には、これがわからないんだよね。私の世界はね、二重になって、土砂降りで、すごいんだ。ざあざあ音がして、時雨の声が聞き取りづらいくらい。私たち、もう同じ世界が見えてないんだよ」
私も同じになればいい、なんていうのは、どんな解決の提示にもならないのだろう。
彼女が言うように、症状が出ればあとはたった一つの終わりに向けて転がり落ちるだけだった。解答は、単純明快で絶対の法。すなわち、人は皆いずれ死に至る。
避けられない痛みの中で、それと付き合う術すら持たずに生きて行けると誰が希望を持てただろう? 永遠に続く感覚への刺激に曝されながら、襲い来る連続した現実とどう戦えばいい?
「雨が私を曇らせるの。神様なんてどこにもいないの。結末は一つしかなくって、いつかきっとって夢見た空は、もうありえないんだよ。時雨……」
もう、疲れちゃった、と言って、花雨は銃口をこめかみに当てた。
ばくん、と心臓が鳴った。息を飲んで、浅く喘ぐ。待って、待ってよ、花雨。まだ終わってない、まだ……。
私は彼女に懇願するしかなかった。しがみついて縋りついて、情けなく「いかないで」と呟いて、私のことなんてどうでもいい、だからやめてと、願う。
「花雨、お願いだから、やめよう? 一緒に話したよね、幸せになろうって。私が守るから。私、何でもするから。だから、生きて──」
「それならッ!」
鋭い声が、空気を引き裂いた。
肩を強張らせた花雨が、顔をくしゃくしゃにして、叫ぶ。
「それなら、私のこと助けてよぉ!」
彼女の青が、私を刺し貫いた。
それまで信じていた何かが、音を立てて崩れ去っていく。
泣きじゃくる花雨を前にして、迷った。迷ってしまった。
外からやってくる脅威に対して躊躇はなかった。逃げればよかった。守ればよかった。
けれど、その苦しみが花雨の内にあるとして、逃走も庇護も意味があるのだろうか。その頭蓋を割って、脳みそにメスを入れることが私にできる? そんなことが、許される?
こうありたいという理想があって、私のエゴが生きてくれと彼女に押し付ける。私にたくさんのものを与えてくれた彼女に、私はここから何をしてあげられるのだろう。私の苦しみが私のものであるように、彼女の苦しみは彼女だけのものだ。それなのに、どうやって彼女の幸福を保証できるっていうんだ。
生きて欲しい。もっとずっとそばにいて。
私を、置いていかないで。
彼女を串刺しにして、その瞳を奪って、薬物の中に脳を漬けてしまえたら。この雨の滲む陰惨な泥の大地に釘付けにしてしまえたら。
そんな強引さで、彼女を引き止めることができたなら。
どれだけ、良かっただろう。
「もう嫌だ……もう、こんなのは嫌なの……」
顔を覆って嗚咽をあげる彼女に、私は手を伸ばせなかった。
抱きしめたいのに、至近距離で見つめたいのに、届かないのだと感じてしまって、足が竦む。手が震える。止まって、止んでよ、と頭で呻いている。私はいつの間にか泣いていて、冷え切った肌には温かく感じられた。
「木芽さんみたいになっちゃうんだよ? 茜さんみたいに死んじゃうんだよ? みんなのこと傷つけて、私も辛いままで、自分のこともわからなくなって、私はきっと私を殺す。そうでなくたってどこかに連れて行かれちゃうのに……!」
そして花雨は顔をあげる。悲壮な決意に満ち満ちて、肌は青褪めて屍に似ていた。
「だったら私はここで終わりにしたい。私が私を保てる間に、私は選ぶよ。だから、ねぇ、時雨。私のこと、見て……」
そして、彼女は彼女の意識の、すべての悲哀と苦痛と憂鬱の根源へと、銃口を押し当てて。
「時雨、ありがとう」
「かっ──」
彼女を呼ぶ声が、届く前に、おやすみ、とでも言うように、私を、映して。
「ごめんね」
乾いた音が、ドームの中に響き渡った。
時間も雨も私も花雨も硝煙も。
すべてが溶けて、ゆったりと進んで行く。
穴が空いた。鮮血が散った。雨と混じって、水溜りに浮かんだ。
制御を失った身体が倒れていく。一切の意志もなく、物体の軌道で崩折れる。ごっ、と鈍い音がして、瓦礫の上に赤が滲んだ。
「ぁ──」
青が翳る。私の、あの美しい空が覆い尽くされる。「ぁぁっ」走り抱き上げた身体は嘘みたいに重くて弾丸は皮膚を破り血管を引きちぎり頭蓋を砕いて中身をかき回し、反対側から、花が咲いた。
いくつもの光景が、脳裏に瞬いては過ぎ去っていく。燦々と照りつける陽光から逃れるように、天文台に来て棒アイスを食べた夏の日。眩い笑顔とくらくらするくらい美しかった彼女の瞳。ささやかで穏やかだった青い日々を。焼け崩れる建物の合間を縫って、熱と暴力から逃げ出したことを。親も友達も、死に、はぐれ、土砂降りの中を歩く寒さを。肩を寄せ合って眠る小さな熱を。花雨の悲しげな微笑みも、笑い声も、すべて、すべてが。
灰色に消える。雨が溶かしつくして、血も、涙も、記憶も、すべてを、押し流して。
光の失せた瞳は私を見ない。空は太陽をなくして、暗く、昏く。
赤に似たいくつもの色が混じる肉の花に、雨が降っていた。
雨が、降っていた。
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