3


 投身自殺の話は、数日もせずに私たちの元に届いた。

 別の棟の最上階から自殺した人間がいるらしいという曖昧な情報から始まり、雨音と噂話は混じり合いながら、より正確と思しき物語を運んでくる。私はそれを、まるで泥濘のようだと思う。人から人へと口移し。色んなものが入って、汚れて、粘度を増して、私たちを犯し尽くす。

 降りしきる雨の音は喧騒に似て、部屋の隅で膝を抱える花雨を苛んだ。私は彼女の隣に座り込んで、腕を回して背中をさする。

 茜さんが死んだ。

 飛び降りたのは茜さんだった。地面に叩きつけられた彼女は、四肢は折れ、内側から破裂していたという。現場には政府軍の治安維持部隊が駆けつけて、その周囲には野次馬が集っていた。

 知らない人間が死のうが知ったこっちゃないというのが人間で、少し知っているだけでも苦しくなるのが人間だった。彼女の顔が脳裏に浮かぶ。潰れた死体には茜さんの顔がのっぺりと張り付いて、見開かれた眼球と目が合う。そして彼女はこのように呟くのだ。

「雨が止まないの」

 彼女は死の一週間前あたりからそのようなことを口にしたという。私はそれを聞いて、あの、たった一人傘をさしていた茜さんの姿を思い出して、あれは何かの予兆だったんじゃないかという考えが、頭の中で、ぐるぐる回る。

「どうして死んじゃったのかな」

 花雨が呟いた。平穏の灯火は瓦礫に埋もれて、焼け焦げた人型の炭が、自分を生み育てたものだなんて信じられるはずもなかった。これ以上の喪失は嫌だという叫びを、いったい誰が聞き届けてくれるというのだろう?

 死者は口を開かない。なぜなら、脳を這う神経は、すでに腐り果てているのだから。

 だから、私は茜さんについて語るべき言葉を持たないのだった。沈む灰には鮮血を、澱む雨には内臓を、それぞれ撒き散らすのが生なのだとして、吐き出すのは嗚咽だけで十分だった。

 病まずにはおれなかった。止まないなんて思えなかった。煌々と燃える炎は雨に沈んで、けれどいつまでたっても悲しみは拭えない。降りしきる雨に膿み腐ったぐずぐずの泥濘が、頭蓋の中で蠢くのだ。

 雨が止まない。ああ、それはきっと、耐え難い地獄なのだろう。



 茜さんの一件からしばらくして、また一人死者が出た。額の肉が削げるほど壁に頭を打ち付けて、脳内出血を起こして死んだのだという。

 そのあとにも、間を空けて自殺者や未遂者が続いた。自分の皮膚を剥ごうとしたところを押さえられ、そのまま拘束されて病院に運ばれた人がいた。全裸の男が街中を駆けるという事件が起きた。喉を裂かんばかりの絶叫を上げて走り回り、走行中の軍用車の前に飛び出して死んだ人がいた。首を括った人がいて、首を掻き切った人がいた。

 唐突に現れた惨事を明確な異常だと判断するのに、そう時間はかからなかった。崩壊しては狂乱のままに自己破壊に走る彼らは異様というほかなく、皆不安がって怯えながら、中途半端に立てた聞き耳で、フィクション仕立ての話を横流す。その連鎖の中にあっては、何が原型でどれが後付けの虚像なのかなんてわかりようもない。

 症状に関しては、どうやらこういうことらしい、という欠片が徐々に統合されて、それらしい理屈がつくられていった。

 彼らの感覚器は、常に雨を捉えている。どこにいようとも、何をしていようとも、視覚、聴覚、嗅覚、触覚が雨を再生する。やがて彼らは正気を奪われ、ただ終わらない苦痛から逃れるために死へと向かっていく。

 ゆえに皆はこのようなことを口にする。

 「雨が止まない」と。

 その幻覚にも段階があるようで、初期においては、傘をさす、屋内にいるなど、“雨を防ぐことができる”という認識下に自分を置くことで、触覚における症状を遮断することができるようだった。雨の有無にかかわらず傘をさして歩くのは、それが理由なのだという。

 しかしながら、重症化すると、どこにいても何をしていても雨が降り続けるようになる。眠ることができなくなり、日常生活に支障をきたし、精神を病んで、最終的には発狂か自殺へと至る。

 何日経っても、政府は詳細を語ろうとはしなかった。「原因は不明のまま」ラジオは一方的にそんなことを言って、ノイズへとかえっていった。

「ねぇ、花雨。不安……?」

 うん、とか細い声を聞く。背中から回した手は、お腹のあたりで彼女の手に覆われる。表皮を撫でる寒気が、彼女の温もりで和らいでいった。

 血の色、肌の色、表面に浮いた血管の色、虹彩の色。それぞれは生命の鼓動に温度を伴って、肉体を巡る。

 生の色、いつか失われる色、無機質の中に埋もれ行く色。

 花雨の色。私に残された最後の糸。新しい関係も彼女のいない生活も、私には考えられない。

 憧れは希望に、希望は依存となって、これを愛と呼べるのかを私は知らない。



「天文台、行きたいな」

 何があろうと変化のない合成食料のとろみをスプーンでたぐっていると、花雨が言った。

「うん、行こうか」

 即答して、「今日行こう。晴れてるし」と続けたら、「それは賛成だけど、晴れてはないでしょ」と笑われた。

 それはそうだ、と乳白色の粘つきを口に運ぶ。毎日が曇りだと、雨さえ降っていなければ全部晴れのような気がして困る。青空の記憶の残滓は、時間のぶんだけ欠けていって、いつかは言葉だけが残るのだろうか。青空を知っている。思い出すことはできないけれど。という具合に。

 天文台は、以前街を散策した折に発見した。中心部から少し外れた場所に荒れ果てた丘があって、その上に廃墟となって鎮座している。空襲にあったのか、天井は崩れて完全に放棄された後だった。それ単体では価値を持ち得ないような代物だけれど、私と花雨にとっては特別な意味を持つ。

 近頃はどこに行っても、人々の間にうっすらと緊張感が漂っている。何もかもが壊れた後、弱々しくとも新しい日常へと移り行こうとしていたところに、最悪の形で水を差されたことが大きいのだろう。ストレスによる不安や恐怖といった感情が、肌の上でひりついていた。

 そんな状況だったのもあって、花雨の提案は、私にとっても彼女にとっても良い気分転換になるような気がした。

 はぐれないようにと腕を擦り合わせながら街中を歩く。時々感じる嫌な視線──あいつも本当はイカれてるんじゃないか。今にもわけのわからない死に方をするのではないか、という疑いの目──を遮るように足を運ぶ。自然に互いを監視しあって、その四肢を、心を縛りつけようというのは、どうしようもないことなのだろうか。

「時雨、私は大丈夫だから……」

 控えめに袖を引いて花雨が言う。私は彼女を見て、その頬をつついた。

「私が気に食わないんだよ」

 それぞれの苦しさを押し付け合うのに意味なんてないのに、と思う。私の痛みは私の痛みで、花雨の苦しみは花雨の苦しみだ。その無粋な視線で私の空を曇らせようというのなら、皆気を狂わせて死ねばいい。

「だから、いいんだよ、これで」

 ありがとう、と彼女が呟く。

 私の空、彼女の瞳。守りたいものは、ずっと変わらずにそこにある。

「あった! 見えたよ!」

 二十分ほど歩き続け、丘の半ばで花雨が言った。天文台の丸い頭部がわずかに覗いている。彼女は小走りに先を行って、私は歩調を変えずにその後に続いた。

「早くー」

「はいはい」

 ところどころ凹凸のある道を進んで、ガラスの割れた扉を潜る。薄暗い通路は埃が溜まって、歩いた跡がくっきりと浮かんだ。

 最奥部のドームは天井が一部崩落して、どんよりとした空が顔を覗かせている。中心の望遠鏡も傷に塗れて、とても使えそうには見えなかった。それでも、普段とまた違う場所というだけで、多少なりとも気分は上向く。花雨は軽快な足取りで望遠鏡の周囲をくるくる回りながら、懐かしい歌を口ずさんだ。

 変わり果てた現実で、鮮やかさを保ち、私たちに色彩を思い出させてくれるのがかつての記憶だった。天文台が特別なのは、失くしたものをより自然な形で想起することができるからで、彼女の歌は子守唄のように、ゆったりと反響して、想像を形作る。

 まだ日々が安穏として、空に色があったとき、私たちは学生だった。花雨と私は地元の学校に通っていて、狭い世界の退屈を紛らわすように、二人でつるんでいた。

 部活に所属しなかった私たちは、放課後になると、街中にひっそりとある小さな天文台に向かって、そこで時間を潰した。そこはいってしまえばよくあるタイプの、週末の家族連れとかをターゲットにした施設で、中にはちょっとした展示があったりだとか、晴れた日の夜には小規模なイベントを開催したりしていた。

 館内にはピアノでカバーされたちょっと古臭い曲が延々流れていて、通ううちにすっかり覚えてしまった。花雨はそのリズムをなぞって鼻歌を歌い、望遠鏡を前にして他愛ない会話に耽るのだった。

 雨の季節は雨宿りをして、やがて来る夏に思いを馳せた。夏休みの予定だとか、今年はどれだけ暑くなるんだとかを話しながら、高まり続ける湿度と気温にうんざりして、半袖の制服をぱたつかせていた。

 あれが幸せだったんだよと言われたら、まぁそうかもしれないな、と思えてしまう気がする。幸福なんていうのは、今ここにない未来より、とうに過ぎ去ったものに求めた方が、きっと効率がいい。

 壁に背中を預けて、ぼんやりとそんなことを考える。花雨のステップは勢いを増して、見方によっては踊っているようでもあった。こけないでよ、と声をかけたら、「へいきへいき」と暢気な台詞が返る。

「ねぇ、時雨」

「うん?」

 ぱっとそれまでの高揚を手放すように、花雨が動きを止めた。硬質な足音を数歩響かせ、距離をあけて、私と向かい合う。

「どうしたの……」

 変化の波についていけず、思わず問いかけると、彼女は静かな声音で、「ねぇ、時雨」と名前を呼んだ。

「神様って、いると思う?」

 そう言う姿が、やけに遠くに見えた。

「祈りは届くのかな。いつか救いはあるのかな。それって、誰がやってくれるのかな」

 絡めた指を蠢かせて、ぽつぽつと、雫をこぼす。そしてもう一度繰り返し、

「神様って、いるのかな」

 彼女は俯いて、沈黙する。私はすぐに出せるような答えもなかった。だから、壁から背を離して、その細い身体を抱きしめる。

「どうだろう。少なくとも、この地上にはいなさそうだけど」

 肩に顔を埋める彼女に私見を述べる。こんな大地には、神とていたくはないだろうと考えたのだった。まぁ、それがどんな存在なのか、私にはわかりもしないのだけど。私たちに近いのだとすれば、そんなところだろうと思う。

 花雨は「そっか」と頷いてみせてから、顔を上げて穴の空いた天井を指差した。

「……じゃあ、空かな」

「雲の上は晴れてるって聞いたことがあるよ」

 どれほどの雲を突き抜ければ辿り着けるのかはわからない。そこに何があるのかを、今の私は知ることもない。もし仮に、そんなところに神様とやらがいるのだとして、あの壁の向こうに声が届くのかもわからない。

 でも、彼女がそれを望むのなら、そんなのはどうだって構わなかった。

「なら、きっとそこだね」

 空の色を想像したらしい彼女が、楽しそうに笑う。こうして見つめ合うたびに、私は思わずにはいられない。ここに空がある。灰でない鮮やかさが、ここにあるのだと。

 彼女の虹彩のように、雲の上の清らかな場所であれば、心象の雨も止むのだろうか。



 その日、木芽さんと驟君と話をした。不穏な空気に満ちた中でどうするべきかと考えた。木芽さんが「結局のところ、できることをやるしかないじゃんね」と驟君を見ると、彼はしっかりと頷いて、

「何かあったら相談するとして、現状じゃ姉さんに賛成す。変に怖がってもしょうがないんで」

 と言った。

「ねぇ聞いた? うちの弟もやるときはやるんよ。何せ私の弟だかんね」

 木芽さんは得意げで、驟君の頭を抱え込むと無理やり撫で回した。

「お前っ、なんっ、なに、なにすんだバカ!」

 彼はじたばた暴れるけれど、ひょろひょろのあまりまるで意味をなしていなかった。私も花雨も笑って、ついでに便乗して彼の髪を撫でる。

 あまりにも情報が少ないのだった。何が正確で何が嘘なのかを誰も保証してはくれなかった。これは私たちの小さな世界だけの出来事なのだろうか? 本当は些細なことで、必要以上に心配しているだけなのだろうか?

 すべてが杞憂に終わればいいと思うのに、そううまくはいかないこともよく理解している。勝手に期待して勝手に裏切られていくものだし、希望は本当の意味での希望ではなく、そういう名前をしたレッテルでしかないのだと失望している。

 そして、そんな矢先のことだった。集団暴行の話が聞こえてきたのは。

 何も変わっちゃいないのだと思わされる。不明の恐怖に対して、私たちはなんて脆いのだろう?

「これは病気で、人に感染るんだ」

 どれほど馬鹿げていたとしても、その言葉は私たちの心を強姦する。たったそれだけで、他者を疑うことができてしまう。正義の異端審問官に変身できる。自分は違うのだと主張する術を、誰もが平等に持っているのだから。

 政府が重症者について、治安維持部隊による隔離を実施すると言いだしたのも余計に不安を煽った。説明も何もなかった。ラジオのさざめきは単純かつ冷徹な決定事項を伝達するだけで、それに反感を抱いたデモの群れを、私たちは窓から見下ろしていた。

 殺されたのは十代半ばの少年だった。彼は初期症状が出ていて、そのことを周囲の人間は知っていた。彼が部屋にこもっている間は良かった。けれど、必要に迫られて配給に出た時に襲われて、執拗に殴打されて亡くなったのだという。

 犯人はすぐに捕まった。けれど彼らに対する抗議の声をあげたのは、殺された少年の家族だけだった。皆恐れているのだ。次は自分なのではないか、その恐れをなくす術は先制攻撃しかないのではないか?

 治安維持部隊が街中に配備されて、往来では濁った眼球が忙しなく動いている。花雨を外に出したくなくて、配給はすべて私が行くことにした。最初は嫌がった彼女も、私が何度も言うとさすがに折れて、代わりに木芽さんと話し合って驟君と一緒に行くようにと私に約束させた。

「……ロクでもねぇすよ。胸糞悪い」

 歩きながら驟君が吐き捨てるように呟いた。

「こんなのに意味なんてあるんすかね。もし仮に感染るってのが事実だとして、あんなことして解決できるんすか? 俺、正直世間知らずってやつだと思うし、こんなんになる前はほぼ引きこもってましたけど、とても最善だとは思えないっすよ」

 彼は静かに怒っているようだった。私もそれは同じで、思うところも一致している。自分の大切な人へと災厄が降りかかる可能性に腹を立てているのだ。

 陰鬱な雲の陰が負の感情を対流させて、逃げ場を奪っていく。どこにも行けず、何もなせないのが嫌で、必死になって目を光らせる。自分たちの無力を否定するための生贄を探している。水底に溜まっていた汚泥がかき回されて混じり合う。もはやそこに上澄みの清らかな面影はなく、ただ汚水でしかありえない。

「あぁぁあああああぁあああああああああああああぁ──」

 突然、空気を裂く絶叫が響き渡った。それは道の先にある路地から聞こえて、徐々に狂乱の度合いを上げながら近づいてくる。「ちがうのわたしはちがうの」と顔を歪めた女性が、兵士に追われて走っていた。

「時雨さん」

「わかってる……」

 このままいると正面からぶつかってしまうだろう。どうにかできるならそうしたいという思いはある。けれど、私にはどうすることもできないのだった。何もしないことを選んでしまうのだった。身近な人を守ろうというのでも精一杯なのに、他の人を抱えている余裕なんていうのはどこにもない。

 息を切らせて女性が走りこんでくる。「誰か!」と叫んでも彼女に手を差し伸べる者はいなかった。そして、私たちが避けた場所の手前で、その身体が宙に浮いた。

 誰かが足を引っ掛けたのだ。彼女は「あ」と虚ろな声を上げると、勢いのままに地面を転がっていく。身体中を強かに打ちつけ、泥水の凹みに落ちて止まる。露出した腕や顔には傷がついて、うっすらと血が滲んでいた。

 冷めた視線が彼女に集中して、呻き声を上げて起き上がろうとするのを兵士が再び地面へと押し付ける。「確保!」兵士の一人が声を上げ、あと続いた二人が手足を拘束する。「いや、いや!」振りほどこうと身を捩っても兵士はビクともしない。隣では驟君が唇を噛んで俯いている。彼女は視線を彷徨わせた。誰か自分を救ってくれる人はいないか、と──そして、目が合った。

「助け──」

 言葉は最後まで続かなかった。兵士が女性の首に無針注射器を押し当てていた。女性の首が力なく垂れる。二人がかりで抱えられて、遠ざかっていく。「見世物じゃないぞ」残った一人がそう言って、野次馬を追い払った。私は、呆然と立ち竦んでいた。

「時雨さん……時雨さん」

「あ、えっ、うん……何?」

「大丈夫すか」

 驟君が心配そうに私を見ていた。私は今どんな顔をしていたのだろう。きっとひどい顔だったんだろうな、と思う。だって、大丈夫じゃない。何も、何一つとして大丈夫ではなかった。でも、

「大丈夫だよ」

 力なくとも、笑ってみせるしかないのだった。

「それより、唇、血出てるよ」

「えっ、マジすか……」

「強く噛みすぎたね」

「……っす」

 彼は唇を舐めると、悔しそうに眉根を寄せて、黙り込んだ。

 それから帰るまで、私たちの間に会話はなかった。何を話せばいいのかわからなくなった。助けられないことよりも、いつかああなるんじゃないかという暗い予想に満たされていた。私が、木芽さんが、驟君が……花雨が。

 ごめん、花雨。強がっても、あなたの前に立ってみせたって、心臓の鼓動がひどくうるさいんだ。

「何か、あった?」

 帰ってきた私に、彼女は開口一番でそう言った。ただいま、とか、無事もらってきたよ、だとか、口を開こうと思っていたのに、用意した言葉は開けた口から声にならずに霧散して、何も言えなかった。彼女に心配をかけたくはなかった。でも、私の弱さが……あの、私に投げかけられた切迫した声が、思考を磔にして放さなかった。

「何も……」

 嘘をつくのが下手だとは思っていたけれど、まさかこれほどまでに間抜けだと誰が予想できただろう?

 脆く、弱く、幼く、愚かな私、私たち。不明の恐怖に身を縮こまらせているのは特定の一部なんかじゃない。誰も彼もが内臓を締め付けられる痛みを抱えて、結局はそれをどう扱うかの問題でしかないのだ。わかっていたはずなのに……人の想像力の逞しさは私の脳にも宿っているのか。

 ふと、花雨が息を吐いた。そして私の背に回り、抱きしめる。

 何も言わず、ただ柔らかに私を包み込む彼女の腕に手を重ねて、私は限界を超えて、泣いた。

「大丈夫、大丈夫……」

 その言葉がどれだけ無力かを、彼女も知っているはずなのに、

「大丈夫だよ」

 そう囁き続けた。私が彼女を抱きしめ返すまで、ずっと、ずっと。

 降り始めた雨が、窓を濡らしていた。

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