第13話:妄想少女と冷徹な弟

 夜も遅くなってきたというのに、部屋中に女子高生の笑い声が響き渡っていた。これが数人の声の反響であれば、やれ最近の若者は非常識だのしょうもない老害発言もできるだろう。なんなら壁ドンでもして、いや女の子を落とす的な意味合いではなく、どれだけ迷惑を被っているかも訴求できるであろう。


 ただしそれが、たった1人の声しか聞こえてこなかったとしたら?


 しかもそれが、実の姉が発している声の漏洩だとしたら?


「ぐへっっっっっ……ぐっへっへっへっ……………ぐっへっへっへっへっへっへっへっへっへっ…………………」


 うるせえ……


 隣の薄い壁から聞こえてくる実姉の声は、彼にとってとても心労が溜まるものだった。耳を塞いでもイヤホンをしても纏わりついてくるジメッとした笑い声に、我慢の限界を迎えていた。彼の名前は内山颯弖うちやまはやて。楓の弟だ。


「ぐへっっっっっぐっへっへっへっぐぐぐっへっへっへっ……………………」


「あーもう、うるせえっての!!!!!!!」


 そして颯弖は躊躇なく姉の部屋の扉を開けた。そこに飛び込んできたのはベッドの上でうつ伏せになって右に左に体を揺らし続ける姉の姿だった。既にパジャマに着替えていたから、モコモコした毛玉が微細動しているように見えた。


 楓は弟が来たことすら気がつかず、スマホの画面を見続けていた。お尻を少し突き出してふりふりしている姿など、到底他所の人には見せられない醜態だった。しかし気付いていないのだからしかたない。


「ぐへっっっっっ…………」


「いやだからねーちゃんいつまで笑ってんだよ!!!」


「ぐへっ……はっ!?!?いつのまに!!!」


 むくりと起き上がった熊耳毛玉パジャマ。こういう寝巻きにグッドボタンを押す男性もいると聞いたことがあるものの、姉弟でそんな感情になることはなかった。ってか姉じゃなくてもこんな女お断りだわとすら、颯弖は思っていた。


「いつのまに!!!じゃなくて、うるせえから黙ってくれるってさっきから言ってんの。我が家壁薄いんだから……」


「私そんなうるさくしてなかったよ?過敏なんじゃない?」


「ぐへぐへ笑い声が響いてんだよ。つうか何して笑ってたんだよ。電話でもしてんのかなと思ったらちげえしよ」


「そんな、この私が電話なんてできると思ってんの!?」


 いや胸を張って言われても……腰に手を当てて程よく膨らんだ胸部を見せつける姉に、颯弖は冷ややかな視線を送っていた。


「じゃあ何? YouTubeでも見てた?」


「違う違う!!」


 そう言いつつ楓は颯弖にスマホの画面を見せてきた。颯弖は姉のベットに腰掛けてそれを見た。LINEの画面だ。別に変わったところは何一つない。何か、BBQの話をしているのか。食材が何たらとかそんなことを相談しているようだった。


「ほら、ね?」


「いや何がほらなのかわかんねえんだけど」


「わかんない? もう一回見る?」


「いや多分何回見てもわかんないから大丈夫2度と見せないで」


「えーなんで!?」


 颯弖は何となく察していた。グループLINEにいる発言メンバーを見てそれは確信に変わっていた。とっとと部屋に戻ろう。うるさいことだけ伝えて帰還しなければならない。でないと……


「とりあえずうるさいからもっと静かにしてて。こっちは明日も朝練があるんだからさっさと寝たいんだって……」


「ほら見てよ颯弖!!」


 強引にベットに座らせる楓。そして知らない男のLINE画像を見せつけられる颯弖。


「ついにね!!! ついにね!!! 土橋くんと同じグループに入れてもらえたんだ!!!」


「あっ、あそう。良かったね」


「でしょでしょ!!!! それでね、今こうやってね、今度の遠足で何を買っていくかみんなで話し合ってるんだ!!!」


「そ、そっか。楽しそうだ……」


「でしょでしょでしょ!?!?!? もうほんとにさ、土橋くんが何か書き込むたびに……こう……多幸感が小躍りするんだよ!!! あー土橋くんってこんな感じのスタンプ使うんだあとか、こんな語尾なんだあとか、文末に。をつけないタイプの人なんだあとか!!! まるで、2人っきりで話しているような感じがして……」


「あー、もう夜10時だし、俺明日朝からサッカー部の朝練あるし……」


「いいからいいから!!!!!」


 姉は友達が少ないと、弟は思う。いやだってこんな話身内にするなよと、颯弖の感性はそう拡声器を使って訴えている。しかしながら楓は止まらないのだ。そうこれは微笑ましい姉弟のお話、にはできやしない。


 あーはやく、お姉ちゃんと土橋って人付き合わないかなあ。颯弖はそう思った返し刀で、いやでも付き合い始めたら今以上に惚気た話を聞かされるんじゃないかと思い、かと言ってフラれたらフラれたでその日中面倒を見る可能性も想定すると……


 逃れられぬ運命さだめに、颯弖は絶望したのだった。こんな重くて暗い恋愛なんてするもんじゃねえなと、ボールが恋人の颯弖は深く心に刻んだのであった。


「でねでね!! ここで土橋くんがね!!」


「あーもう、いいから寝かせてくれよ!!」


 こう悪態もつきながら……

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