第14話 にーく!にーく!
「肉が食べたい…」
「肉でございますか?」
私の呟きに反応したのは、山羊の角を持つ侍女のアンだ。
昨夜のゴタゴタに巻き込んだことに対しては、平身低頭で詫びた。アンは快く許してくれたが、侍女たちの「陛下と王妃様・春の同衾祭り」というパン屋のキャンペーンみたいなイベントに参加できなかったことを大変残念がっていた。でもな、それ、結構ありがた迷惑だったから。
私はといえば、非常に満ち足りていた。肌だってツヤッツヤだ。恋っていいですね!
とはいえ身も心も捧げましたの状況ではなく、寝落ちするまであまりエロくないイチャコラを堪能しただけである。優しく抱きしめて愛を囁けば満足するのだから、チョロい女だという自覚はある―――考えると虚しくなりそうなので、それはさておき。
「焼肉が食べたい…」
「焼いた肉ですか? お昼はステーキにするよう、厨房に申しつけましょうか」
「そうじゃない。そうじゃないんだよ、アン…!」
拳を握りしめる。
「程良く薄切りにしたハラミを揉みダレで揉み、炭火で焼いたそばから付けダレに付けて白飯で掻っ込みたいの!」
「はい?」
「ハラミとか! カルビとか! マルチョウとか!!」
何やら呪文(効果:太る)を唱え始めた私のまわりに、侍女たちが集まってきた。
「魔界に無いものでしたら、贖って参りましょうか?」
さらりと言ってのけたのはイライザであった。知的眼鏡がキラリと光る。
「贖う? 買えるの?」
「はい。王妃様に便宜を図るため、お小遣いをお預かりしておりますので」
エプロンの小さなポケットから、四次元何とかよろしく、にゅう、と取り出したのは、紙封をした諭吉の束が二つ。皆が出したので、ティーテーブルの上に一千万円の山ができた。
「これで足りますでしょうか? 必要な物をお教えいただけましたら、これから人間界へ行って参ります」
「え、そんな簡単に行けるの!?」
「はい。私どもはここ数百年行っておりませんが、禁じられているわけではございませんよ。割合と自由に行き来はできます」
衝撃的な情報ではあるが、その前に、
「待って。君ら何歳なの…」
いつも無表情なマデライン以外の四人がにっこりした。
「数百年など、これからの王妃様にとってもあっという間に過ぎるのですよ」
「はあ…」
魔族の年齢なんて、もちろん不詳だ。十代後半にしか見えないアンも八百六十歳とかだったりするのだろうか。むしろ八十六歳です!とか言われた方が生々しくて嫌かもしれないが。
待っていても誰も年齢をカミングアウトしてくれる様子がないので、それ以上は考えないことにした。恐いし。
「さあ、お昼に間に合わせるには急ぎませんと」
「いや、やっぱいいよ。これって魔族の皆さんの血税でしょ? 贅沢はいけないな」
某フランス王妃みたいになる気はないのである。特に今は戦時中だというしな。
と、セルマが柔らかく微笑んだ。
「ご遠慮なさらずお使いください。これは税ではないのです」
「え、じゃあ何? 偽造? 魔法?」
葉っぱのお金的なもの?と言いかけて、レオノラが肩を震わせているのに気づいた。し、失敬な。
「いいえ、本物でございますよ。先に、魔界は鉱物資源が豊富だとお話しいたしましたが―――」
「あー…言ってたね」
総サファイア造りの風呂場を貰った折、驚く私に、大したことではないと教えてくれたのは彼女たちだった。
「それらを価格が暴落しない程度の量、人間界で売るのです。大して手間の掛からぬ商売でございますよ」
「へー!すごいね!」
「なにせ『取引』をする際、魂と引き換えに大金を望む人間は多ございますので。そのための在庫なら唸るほどに」
お金を在庫と呼ぶことに違和感はあるが、自分たちの貨幣でないならそんなものか。
「…それにしても、さすが王妃様です」
ん?
顔を上げると、潤んだ瞳四対に囲まれていた。
「大金に目が眩む人間も多いというのに」
「そんな人間共と比すること自体、不敬ではございますが」
「民からの税を憂慮召されるなんて」
「さすがは陛下がお慕いになるだけのお方です」
「いやいやいやいやいや!」
なんか株が上がっとるし!
「税金じゃないならじゃぶじゃぶ使うから、そんな澄んだ目で見ないで…!」
うん。彼女たちの「王妃びいき」の理由がわかった気がする。
つまりは人間に対する期待値が低いのだ。あまり良くは思っていないから、ちょっとしたことで、人間なのにスゴイ!となるのではあるまいか。比べているのが、恐らく人間として程度の低い部類であることに忸怩たる思いはあるのだが、先人たちの負の遺産、転じて有効活用できるのならば、うまく利用したいものだ。
「えーと、私もついて行っていい? その方が手っ取り早いでしょ?」
食材はスーパーマーケットで事足りるが、ホームセンターにも用がある。何百年も人間界へ行っていない彼女たちには、荷が重いのではなかろうか。
あと私も、財布の心配がない買い物をしてみたい。
「…残念ですが王妃様、それは―――」
「何? 私ってやっぱり、ここから出ちゃいけないの?」
侍女たちは顔を見合わせ、申し訳なさそうな表情になった。侍女頭のレオノラが、代表して口を開く。
「魔界でしたら、護衛は必要ですが外出いただけます。しかし―――」
「人間界は駄目なの?」
「あの、お忘れかもしれませんが王妃様は、かの地では既にお隠れになっていらっしゃいますので」
「あ」
すっかり忘れてたわ。
「今の王妃様のお身体は、陛下の魔力でできているのです。かの地では存在できません」
「あー…なるほどね。納得した」
私は二度と、元の世界には戻れないのか。
未練はないが、帰還は不可能となると少し寂しいものがあるな。
「おいたわしや王妃様…」
「え、どのみちここに引きこもる気満々だったし、それほどでも」
「なんと気丈な…!」
もうね、何を言っても好感度が上がるわけですよ。
…なんだろうな、この面白外国人枠。
「あっ、旦那様だ。だーんーなーさーまー!」
その姿が背の高い生け垣の陰から現れたのを見るや、駆け寄って飛びついた。
「招待に感謝する」
身体が浮く勢いで抱きついた私をびくともせずに受け止めた旦那様は、しかつめらしく頷いた。
「急にお誘いしたので、いらっしゃらないかと思いました」
「…そなたの誘いを断るわけがなかろう?」
囁き声と頬にキス。
我が旦那様は、今日も真っ直ぐにイイ男である―――ん? イイ男?
「そうだ旦那様、肉食獣の頭で来てくださいって言ったじゃないですか」
招待状にそう記したはずなのだが、今日の旦那様は(超カッコイイ)人間頭である。
『お昼に焼肉パーティーを開催します。ご都合がよろしければ、庭園においでくださいね。肉食獣モードでたっぷりご堪能あれ』
「頭の形など自在に変えられるものではないわ! そなたは好きな形に寝癖を跳ねさせることができるのか?」
「えー? そうなんですか。残念」
ライオン頭でガフガフ肉食べるとかカッコイイのに…。
「時に、何を持っておるのだ」
「あ、これは旦那様の分です」
トングである。
「みんなで焼いて、みんなで食べるのが、今日のお昼のルールです!」
旦那様の手を引いて、十台あるバーベキューグリルに近づいた。
見ると皆、深々と頭を下げ続けているせいで、グリルに載せた食材から黒い煙が上がり始めている。
「ちょっとみんな、ひっくり返して! 焦げてる焦げてる!」
「皆の者、我に構わず続けよ」
「はっ」
侍女たちだけなら、さほど固くならなかったかも知れないのだが、後宮の使用人をほぼすべて招待しての無礼講状態だからなあ。日頃の感謝の気持ちを示したつもりだったのだが、もしかして気詰まりだっただろうか。
考えて、旦那様をいちばん端のグリルへ連れていき、皆に背を向けてもらうことにした。
「ここは私たちふたりで独占しちゃいましょう」
「よかろう」
旦那様はとても穏やかな顔で、にっこりと笑ってくれた。私の意図を汲んだのだろう。こんなに優しい人なのに、権力者とは寂しいものなのだな。
そして、白飯片手に私は食べた。それはもうワシワシと。
人数分揃えたトングでもって、肉や野菜を焼き倒すのも忘れない。焼肉としてもバーベキューとしても変則的だが、魔界には卓上グリルなどないし、常々トングを持つ人だけが焼肉/バーベキュー奉行と化すのが不満だったのである。念願叶って大変満足だ。
庭園に背を向けた旦那様とは逆に、私は参加者の様子がよく見える。
侍女たち、厨房の人々、掃除含む小間使い、警備の人たちも交代でやって来て、バーベキューを楽しんでいる。後宮のスタッフたちだから、もちろん全員女性である。
皆、楽しそうで何よりだ。
一人を除いてな!
焼けた食材を苛立ち混じりの荒い仕草で皿に盛り、会場の反対側の端へ。トングを持ってぼんやりしている金色の美少女に押しつけた。
「食べて」
だって何も食べてる様子ないしさ。
皿は受け取ってくれたものの、マデラインは無表情に見返してくるばかりである。私もコミュ障気味なので、友好的でない相手とは会話が難しいのだ。困った。
「これ、お昼の代わりだからね?」
疑問形にしてみたが、やはり返事がない。さすがにちょっと失礼じゃね?
私は溜め息を押し殺して、旦那様の元に逃げ帰った。
「…手を焼いておるのか?」
密かに様子を見ていたらしい旦那様が、ピーマンを裏返しながら言った。
「まだ大丈夫です。仕事はしているみたいですし」
言われたことはするという状態らしいが、告げ口するには早い気がする。甘いだろうか? 私も魔界に染まってきたかな。
「あ、旦那様、このお肉美味しそう」
「どれだ」
「これですよ、これ」
霜降り具合も焼き加減も最高の一枚を見つけた。
ここは、いっちょかますとこだよな?
というわけで。
「旦那様、はい、あーん」
「あーん」
一片のためらいもないって、どういうことなの…。
「うむ、美味いな」
顔を赤らめているくせに、にこにこと嬉しそうで、本当にもう勝てる気がしねえ。
「そなたもあーん、せよ」
「………」
負けた気分で口を開け―――閉じた。
「…ちょっとレアすぎます」
「そうか?」
旦那様がフォークに突き刺した肉をまじまじと見つめ、ふっ、と息を吹きかける。
ジュッ!
良い音がして、焼き色も程良いミディアムレアの焼肉になった。
「ほれ、あーん、だ」
「…あーん」
驚きのあまり羞恥心が家出した。炭火いらずだとか、直火?とか、普通それ冷ますためにやりますよね、とか突っ込んでも詮ない突っ込みが次々と頭をよぎったが―――くそぅ、美味い。
思わず頬がゆるむ私と、それを見て嬉しそうに目を細める旦那様に、もはや禁忌はない。
絶え間ない「あーん」合戦が皆の生温い視線に包まれるまで、肉の宴は続いたのだった。
なお、諭吉を十枚も使わなかったとかで、王妃様の株はさらに上がったという。もうどうにでもなーれ。
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