第12話 魔王の片鱗

 

 灯りを持ったアンはやや前を歩く。

 ランプは二人の間にある形になるから、私はするすると反対側に回って、アンの空いている手を握った。ひっ、と小さな悲鳴が聞こえたけど、ひどくないか。


「お、王妃様?」

「ありがとうね、アン」


 同じくらいの高さにある顔に、笑みを向ける。


「他のみんなもね、大好き。味方でいてくれて心強いよ」

「…当然でございます」


 少し湿っぽい声で、泣き笑いめいた顔になったアンは、強く手を握り返してくれた。


 本当にありがとう。


 そして、すまん。




「すぐに戻るから、ここで待ってて」


 図書室の扉の前で告げた。

 きっと本来であれば、アンもついて入るはずだったろうと思う。だが目上の立場で、好感を持つ相手に、さも当然のように言われると従ってしまうものだ。さらに私は直前に、好感度がアップするような態度で保険を掛けた。

 嘘ではない。アンも皆も大好きだ。言うタイミングが恣意的であっただけで。


 少しだけ開けた重い扉をすり抜け、後ろ手に閉じる。音がしないようにそっと閂を下ろすのも忘れない。

 等間隔で壁に据え付けられた燭台の灯りが一斉に灯った。魔力なのだろうが、人感センサーみたいで妙に現代っぽかった。

 あまり扉に近いと声が漏れる恐れがある。だから部屋の中央、昨日旦那様に抱きしめられた長椅子の辺りまで歩を進めた。


 さて、と。




 私は俯いて、無造作にぽたぽたと涙が落ちるに任せた。




 誰しも弱点はあろうが、私は「良いことが待っていると思い込んでいたが、叶わなかった」出来事に、大変もろい。


 母にプレゼントを贈れば、無駄遣いをするなとため息をつかれた。


 父に意気揚々と九十八点の答案を見せれば、なぜあと二点取れないのかと叱責された。


 手伝いを頑張れば、遊びに行った妹たちは子供らしく溌剌としているのにと言われた。


 一生懸命旅費を貯めて、遠距離恋愛の相手に会いに行けば、その日に別れを切り出された。


 嬉しくて楽しみで着飾って行けば、恋人は私の誕生日を忘れていた。




 ―――きっと、傷つく方がいけないのだ。


 他者の感情はコントロールできないのだから、自分をコントロールすべきなのだ。自己憐憫の波に呑まれる私が弱いのだ。


 ちゃんとわかっている。

 だから、この涙は誰にも見せてはならない。


 過去のことと比べれば、今日のことは特段、悲しいことではない。

 両想いになったばかりの人と、約束どおり会えるとドキドキしていただけのこと。わざと反故にしたわけでもなかろうし、いつもの私ならスルーできたはずである。緩みきっていた涙腺が過剰に反応しただけだ。

 

 うん、ますますもって誰にも見せられないな。


 だから、ただ俯いて感情の波が過ぎるのを待ったのだ。これなら顔も服も濡れないし、床は、まあ、明日には乾いているだろうし。

 これ以上気持ちが昂らぬよう、口を押さえて声を殺しているつもりだったのに、つい漏れてしまったのは計算外だったが。


「だ、だんなさ…」




 ドン!と扉を叩く鈍い音。

 次の瞬間、両扉の合わせが膨らんだかと思うと、轟音と共に弾け飛んだ。




「…ま――――――!!!!!」


 語尾が悲鳴に変化したのは仕方がないと思うんだ。




「何をしておる………!」




 そこに居たのは憤怒の形相の旦那様で、わぁ中世の軍人ぽい服が超似合ってる―――じゃなくて、何で怒ってるの!? 重そうなブーツの靴音と共に近づいてくる姿からは、時折バチバチと火花が弾けている。何あれ怖い!

 本能的に後ずさりするものの、大して逃げ場があるわけでもない。あっという間に見上げる位置に詰められた私は、薄暗い中にも彼の軍服や顔に血がついているのを見て、息が止まりそうになった。


「旦那様、怪我…」




「何ゆえこのような所で、一人で泣いておるのだ!」




 とっさに身をすくめると、背後の本棚に肩を押しつけられた。

 怒りを孕んだ深紅の瞳が燃え上が………燃え………熱いわ! 近づけられると肌がジリジリと焼けるのがわかった。瞳が燃えてる! 物理!

 突き飛ばしても、びくともしない。

 それでも私をこんがり焼きそうになっていることには気づいたらしい。大きく息をついた旦那様は怒りの色をわずかに収め、それでも咎めるような表情で私を見つめた。


 何で。

 誰にも迷惑かけてないのに。

 悲しかったのに。

 我慢したのに。

 そのうえ怒られるなんて。


 理不尽だ。


「何で怒るの…」


 理不尽さに対する怒りが、瞬時に哀しみに転化したのは、今まで泣いていたからだろう。


「何も悪いことしてないのに~」


 天井を向いてひぃひぃ言い出した私を、旦那様はぎょっとしたように手離した。


「怒ってなど―――いや、怒っておったな。怒るつもりではなかったのだが」


「良い子にしてた~」


 息を呑む気配があり、


「…すまぬ」


 再びおずおずと延ばしてきた腕に包まれると、砂埃と血の匂いがした。


「そなたがさも当然のように声を殺して泣いておるのを見ると、大事な后が粗末に扱われておるように思えたのだ」

「………」

「もっと己を大事にしてやってはくれぬか? 此度のようなことがあれば、我を罵って殴るなり蹴るなりすれば良いのだ」


 旦那様、Mなのか…じゃなくて。


「…どうやって見たんですか?」


 しゃくりあげながら睨んだところで、旦那様は気まずそうに目を逸らした。

 扉は閉めたし、閂は下ろしたし、旦那様も蹴破って入ってきたはず。

 じっとり舐めつけていると、溜め息をこぼした旦那様の指が、私の胸元からサファイアのネックレスを掬い上げた。


「これに『見守り』の魔法を掛けておいたのだ」

「…ほう『監視』の魔法を」

「ち、違うぞ! 約束を守れなんだから、心配になって覗いただけだ。断じて監視などせぬし、そもそもこの石から見てもそなたの姿は映らん」

「どうだか」

「誓って、他に見てはおらぬぞ」

「…旦那様、お耳を」


 素直に腰をかがめる彼へ、


「じゃあ、旦那様のこと呼びながら、ベッドで恥ずかしいことしてたのも見てない…?」


 あんぐり口を開け、みるみる真っ赤になる様に溜飲を下げる。ヲタクの妄想提供術なめんな。


「そ、それはまこと―――」

「嘘です」

「………」

「してたら言いません。本当に覗き見はしてなかったみたいですね!」


 ドヤ顔で判定を下した私は忘れていた。先程までの哀しい気持ちと、旦那様の属性を。




「そうか…ちょっと嬉しかったのだが…」


 

 

 しまった、こいつ萌えキャラだった…!


 眉尻を下げしょんぼりする美丈夫の姿に悶絶するはめになったのは、残念ながら自業自得なのであった。



 

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