第11話 Otometicが止まらない

 

 次の予定の開始を大幅に過ごしていたらしい旦那様は、それでも私を部屋まで送ることにした。


 そこまではいい。


 だが旦那様がべそべそ泣く私をガチお姫様だっこで連れ帰った時の、侍女たちの反応が凄まじかった、らしい。


 暗黒の波動が渦巻いたり牙が生えて唸り声をあげたり見る見る鱗に覆われたり部屋の温度が三度ほど下がったりしたのだそうだ。どれが誰かを想像すると恐ろしい。暗黒の波動て。


「お前たちは下がっておれ」


 そんな荒ぶる侍女たちが一言で姿を消すくらいには、我が旦那様は敬われているらしかった。






「―――信ずるぞ。良いのか?」

 

 誰もいなくなった王妃の部屋。

 柔らかなベッドに沈んだ私の周囲が、ふたり分の重みを受けて更に沈む。


「思い違いをしておる懸念は晴れぬが、疑うてもキリがないか」


 旦那様は何が嬉しいのか、緩みっぱなしの顔で、したたる蜜のようなとろっとろの甘い声で、私の瞼に唇をつけた。


「…どうして、そんなに嬉しそうなんですか」

「好いた女に告白されて、嬉しくならぬ男がおるものか」


 告白ってあれか。さっきの、イッパツやろうぜ、とか何とか狩りのお誘いみたいなやつか。あれを告白で済ますとは、ずいぶんと鷹揚な。


 唇の隙間で小さく音がする可愛らしいキスに、ぞわりと肌が粟立った。

 それだけで離れていこうとするから、シャツの二の腕あたりを掴んで引き止める。


「旦那様…もう一回、だけ」


 時間がないのはわかっているから、何度もはねだれない。

 暗い赤色の目を細め、旦那様が嬉しそうに笑った。

 唇を割る動きに応えると、こじ開けるように入ってきた舌が、舌先に触れた。ぞくぞくして、シャツを掴む手に力が入る。反応の良いところを探すように動いていた舌が戻ってきて、ぬるりと舌先に触れた途端、また体が跳ねた。

 後はもう同じところをばかり攻められて、ふわんふわんにされてしまった。


「…急ぎ戻るゆえ、夕食も共にしようぞ」

 

 もう声が甘い甘い。あてられて、ぼんやり頷くことしかできない。


「良い子にして待っておれよ」




 良い子、ねえ…。




 声より甘い笑顔を残して旦那様が去ると、入れ替わるように恐る恐る侍女たちが戻ってきた。きっちり今度は冷たいタオルが用意されていたのは流石である。目、ぶよぶよだからね。


 でも、そうか。今日はもう一度会えるのか。

 そう思うと胸がきゅうっと締めつけられるようで、それでいてとても幸せな気持ちになるのだ。


 そこからは睡眠不足と感情の起伏で消耗した体力を取り戻すように一眠りして。

 起きて遅い昼食を取りながら、何か手仕事をしたいと言うと、機織りはどうかと提案された。何それ超やりたい!

 元の世界にいた時の私の趣味はハンクラ全般で、だが大掛かりな器具が必要なものには手が出せなかったのだ。

 どうせなら糸を染めるところから始めようという話になり、染料を選んだり、浸かり具合を試行錯誤していたら、あっという間に日が暮れた。


「この糸を干したら、今日はおしまいにいたしましょう」


 今回の講師であるレオノラの言葉で片づけが始まったものの、五人プラス役立たず一人でそれもすぐに終わってしまう。

 身の置き所なくそわそわしてしまう私を見て、イライザが微笑んだ。


「王妃様、お疲れでこざいましょう。もうじき夕食でございますよ」

「あ、うん…」

 

 旦那様、遅いなあ。


 何も言い置いて行かなかったらしく、皆、旦那様の不在を気にしていない。ということは、一日の営みが通常運転で進行していくわけだ。

 これはしょうがない、よなあ。


 でも、あと少しだけ―――


「お昼が遅かったから、少し遅らせてもらえない?」

「ああ、さようでございますね」


 そわそわ待っているのも何なので紙と鉛筆を貰い、花瓶に活けられた花を描いてみるのだが、どうにも集中できない。

 諦めて投げ出した時には、夜九時を過ぎていた。


「王妃様、あの」

「…うん、ごはんにしなきゃね」

 

 私がいつまでもだらだらしていたら、侍女たちが休めないのである。料理人の人たちだって早く上がりたいだろう。当然だ。

 よし来い! カロリー・イズ・ジャスティス!

 脳内で脇をカポンカポンいわせて気合いを入れてみた。


 ―――のだったが。


「ごめん…」


 ナイフとフォークを置いてうなだれる私に皆、言葉も無いようだ。

 そりゃそうだ。丸一日トドのごとき寝姿を晒していようが三食モリッモリ喰らう私がこの有り様。驚きもするであろう。

 がんばって完食を目指したのだが、半分も詰め込めなかった。味は最高なのに美味しく感じられない。喉を通らない。


「厨房に行って土下座したい…」

「絶対におやめくださいね!」


 侍女たちが慌てて片づけ始めた。せめてもの罪滅ぼしに手伝わせてももらえないのも、今はツライ。

 浮かれすぎた。こんなに凹むほど期待するなんて、阿呆すぎる。

 

「美味しかったよ、ごめんね、って伝えて」

「大丈夫でございますよ。そういう時もあると、皆わかっております」


 テーブルに頭突きを入れる私を、セルマが慰めてくれる。

 後で聞いた話によると、厨房では料理人たちが怒るどころか、心配のあまり大騒ぎだったらしい。何この優しい世界。


「お風呂にいらしてはいかがでしょう! ご気分も優れるのでは?」

「うん…」

 

 もう誰にも逆らえない気分だ。朝から晩までさんざっぱら迷惑を掛けていた気がする。

 唯々諾々と風呂に入って、ホムンクルスたちにお世話してもらって、だが諦めの悪い私は、それでも期待を捨てきれなかったらしいのだ。


「…旦那様、帰ってきてる?」

「? いいえ、まだお戻りではないようですが」

「そっかー」


 ランプを手に迎えに来てくれたアンが、不思議そうな顔をしている。


「ちょっと寄り道していい? 図書室の本を借りてきたいんだけど」

「私が取って参りますよ」

「何冊かあるから、見ないと思い出せないんだよ」




 言いくるめて、寄り道決定。



 

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