第7話 目には目と歯を

 

 旦那様に連れられて来たのは、燭台に火が灯る薄暗い部屋だった。床から高い天井までびっしりと本棚で占められ、上部にはぐるりとキャットウォークまである。小さな図書館くらいの規模はあろうかという図書庫だ。

 中央に長椅子と低いテーブル。む、なんかこういうの見たことあるぞ。晩餐の後、紳士たちが葉巻とブランデーと会話を愉しむスペースだったような。


「見よ」


 旦那様が開く掌から、ふわりと丸い物が浮かんだ。

 大きさはテニスボールほど。ガラス玉のようなそれには水色、うす黄色、桃色のもやが渦巻いていて、その中を小さな光が一つ、ランダムな動きで飛び回っている。気体が詰まったスノードームがあればこんな感じだろうか。


「とても綺麗ですね。これは?」

「人の魂である」

「へええ!面白いですね!!」


 こんな風に可視できるものなのか。確かに美しいが、なぜこっそり見せるようなことをするのだろう。

 内心で首を捻る私は次の瞬間、旦那様の言葉に凍りついた。




「そなたを死に追いやった男の魂である」




 ―――私は幸せ者だ。


 だが今の生活は与えられたもので、私自身の努力で得たものではない。

 元の世界での人生は、上手くいっているとは言い難いものだった。美も才もなく、ひどい性格を隠してただやり過ごす日々はストレスにまみれていた。

 それでも必死に維持してきた、私だけの人生だったのだ。誰にも迷惑は掛けていなかったはずだ。

 私を全否定するような輩に、突然終わらされる謂われなどなかった。

 なるほど、奴は直接手を下してはいない。私は奴の手を逃れ車に跳ねられた。だが捕まっていたら、心が殺されていただろう。何せナイフで私を思い通りにしようとした奴である。


 私がどんな顔でその魂を見ていたかはわからない。おそらくは習い性の、無意識に感情を読まれまいとする能面のようだったのではあるまいか。


「昨晩、刈ってきた。そなたの望むとおりにしてやろう。永遠に業火で焼くか?痛みを与え続けるか?どうでもよいなら転生するよう死なせることも、元の身体に戻すこともできる」


 旦那様の声は優しく、答える私の声は冷たかった。


「―――消滅させたいです」


 その時には、気づいていた。あんなに身勝手に他人を蹂躙できる人間の魂が、これほど美しいのは何故なのか。


 自らを醜いと葛藤していないからだ。


 悪意なく人を害せるからだ。


 無邪気に自らの善性を疑っていないからだ。


「わかった。そうしよう」

「私が手を下します。どうすればいいか教えて」

「そなたにそのような力はない―――よいか、見ておれ」


 ―――くしゃり。


 旦那様はそれを握り潰した。

 呆気なかった。紙風船のように握り込まれたそれから微かな煙が立ち上り、それで終わり。

 目は逸らさないと決めていた。そんな権利はないのだ。私が殺したのだから。




 私が殺した。




 首の後ろから頭部全体に吐き気を催すような感覚が広がる。腹の辺りがふわふわして、足元に力が入らない。

 突然、旦那様に腕を捕まれて、身体が傾いでいたことに気づいた。


「大丈夫か」

「大丈夫です。何でもありません」


 大丈夫でなければならないのだ。

 自ら望んだことだ。被害者づらするなんて卑怯だ。


「旦那様…っ」


 ぐるりと回転した視界に耐えられず崩おれた瞬間、すがるように呼んでしまった弱さを、私は憎む。



 

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