第6話 魔界で朝食を

 

「…ここで良いか?」

「ありがとうございます」


 テーブルの角を挟んで隣り合わせに椅子が置かれる。侍女たちが慌ててカラトリーをセッティングし始めた。

 旦那様が椅子の背に手を掛けて待ってくれていたので、慌ててテーブルとの間に入る。淑女扱いに慣れていなくて申し訳ない。というか魔王に何させてんだ私。


「旦那様のそばが良かったんです」

「そうか」


 口調は涼しげだが、狼の口がくわっと裂けた。猫もだけど、犬の笑顔もわかりやすいよね…。

 朴訥でいささかぶっきらぼうではあるが、旦那様の好意の表し方はシンプルで真っ直ぐだ。某俳優のマフラー並みにねじくれている私でも、これほど反応が良ければ甘えたくなるものなのである。不思議。


 そして、この朝ごはんである。


 上部を割った半熟卵と、よく冷えたミルク。たっぷりとバターが塗られたカリカリのトーストに一枚はジャムをつけて、一枚はそのままで。


「うう、おいしい………!」


 毎度のことながら身もだえするほど美味いので、感嘆も自然と口をつく。

 味の濃い卵もミルクも、雑穀の香り豊かなパンも、大粒の実が残ったゆるめのジャムも、思わずジャム抜きで一枚いっちゃう新鮮なバターも、実に美味なのである。

 感に堪えて唸っていると侍女たちがとても嬉しそうな顔をするので、私も遠慮なく身もだえするのである。何という正のスパイラル。


「それほどか」

「こんなにおいしい朝ごはんは食べたことがありません!」

「そなたの喰いっぷりが良いゆえ、料理人どもが喜んでおるそうだ。たんと喰うてやるが良い」


 もぐも…ぐ?

 ほんのり他人ごとっぽい物言いに、ふと違和感を覚える。見やれば旦那様はトーストにかじりつかず、裂いて口に放り込んでいた。なるほど、狼の口ではこうした物が食べづらいに違いない。


「…もしかして、これはわざわざ人間用に用意された食事なのでしょうか?」

「そうだが、そなたが気にすることはない」

 

 半熟卵が乗ったスプーンを器用に口内で裏返しながら、旦那様が続ける。


「味覚は似ておるのだ。きっとそなたも魔界の料理に口が合う物があろうし、我もこれが美味いと思う。常に食しておる朝食とは違うというだけのこと。そなたを歓待したいという料理人どもの心尽くしなのだ。喜んでやれ」

「………」


 例えば。

 海外に転勤になって、その国の人たちに歓待されるとしたら、その国のごちそうを出されると思うのだ。ようこそ我が国へ。あなたにとって珍しい料理を用意しましたよ。さぁ食べて食べて!と。

 しかし、その人たちが普段は食べもしない和食を調べ、用意してくれていたらどうだろう。

 それはただの歓待ではない。「いたわり」だ。

 寂しくないですか。つらくないですか。お国が懐かしいでしょう。せめて食べ物だけでも、と。

 そんな気持ちの表れだと思うのだ。


 思えば私はここ、魔界で嫌な思いを一度たりともしていない。

 当然、旦那様の威光もあろうが、それにしたって命令を淡々とこなすでもなく親身になってくれるし、何より彼女たちの笑顔が心からのものに感じられるのだ。

 ただ彼らが素朴なのだろうか?

 それとも―――


「…――私は幸せ者ですね」


 あまり人を見る目は無い方だけど多分、多分だけど、私はここの人たちに好かれているのだろう。残念ながら理由はさっぱりわからないのだが。

 ほのぼのしている私に、旦那様は訝しげだ。まあね、つい四日前に恐い思いをして死んだばかりだしね。


 だけど、今が幸せなら幸せ者でいいのではなかろうか。


「そういえば―――忘れるところであったな」


 食事の後、腑に落ちない様子のまま旦那様は何やら思い出したものらしい。ナフキンを置いて立ち上がると、私に手を差し伸べた。


「ついて参れ。そなたに見せたい物がある」


 はて、なんだろう。

 いやいや、そんなことよりあれだな。この手はさっき、私が涙ぐむほど喜んだからなんだろうな。可愛らしいと言うべきか、侮れないと言うべきか。

 冷静に状況を分析しているようでいて、その実ウキウキと大きな手をとった私は、だがやはり綿菓子のようにふわふわ愛らしい女にはなれないらしかった。


 旦那様に見せられた物に眉間のしわが復活するまで、あと五分。



 

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