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せっかくの演奏が、来奈のせいでちゃんと聞き取れませんでした。
その上、私の背中から力任せに制服を引かれました。
「マイク、落とせ」
言われるよりも早く、背中を引かれた瞬間にマイクの音量はオフにしていました。
こんな本番中に、何をするのでしょう。
誰がこんな事をするのかは明白だったので、苛立ち振りました。
彼女は、私よりも随分冷静な顔で、でも、たぶん私の何倍も苛立っている口調でした。
「カラオケじゃねーんだぞ、寝ぼけんな」
ほら、言われた。
あまりに侮蔑の籠った瞳で、私は冷静に頭が冷えてきた。
「あ? お前素人か。いちいち集中切らすんじゃねーよ。たかが十五分で」
彼女もまた、音楽の事なら一瞬で見抜くのです。
コメカミを両親指でグリっとねじりました。
一回、二回、三回。
「もう、いいよ」
「あっそ。じゃ、十秒で曲決めろ。あの中のどれかで」
あの中……。
直ぐに思い浮かびました。
ここに参加してからずっと、弥子は「カラオケならやんねーからな」と言っていました。単純に、アレンジもしない単調なカバーは行わない、という意味だと思っていましたが、その日から、これはもっともっと単純に「オリジナルしかやらない」という意味だと分かりました。
毎日、毎晩、何曲もの楽譜がファックスで送られてきます。
時間など関係なく、深夜三時だったり、朝の六時だったり、いつ寝ているのか分かりません。
それ以上に、まるでストーカー被害にあったかのようにファックスが動き続ける上、送信完了と共に必ずホーム電話が鳴るので、私の家族は初めこそ恐れをなしていましたが、最終的にはノイローゼになり、弟には「いい加減パソコンと携帯でやれよ! 何時代だよ!」などと怒鳴られました。
その旨を弥子ちゃんに伝えたところ、パソコンのメールの使いかたが分からない、携帯はガラケーだと判明し、セイカがスマホを貸与したあげく、パソコンのメール方法を教えたのですが、「時間の無駄」と切り捨てられ、結局、セイカの家に一度ファックスを送った後、セイカがそれをPDFに変換して私にメールを送るという手間が発生したのですが、セイカがそうしているよりも早く「おい、十七小節から、なんか台詞だせ」と電話をしてくるので、まだ楽譜も見ていないのに「え、っと……無数の鳥達が……」「ダセえ、却下」などと叱咤されました。
このやり取りの方が何倍も無駄だと思うのです。
ところで、彼女はなぜ、私に楽曲を見せるのでしょうか?
セイカと来奈により、このバンドの方針は決められました。
各々が好きにやる。作曲も作詞もアレンジも、他者の力を使いければそうすればいいですし、一人でやりたかったらそうすれば良いのです。
この指針は、助かりました。
だって、自分の曲に口出しされるとか、ウザイじゃないですか。
この中で一番キャリアが浅い私ですら、もう五百曲くらいは書いていますし、あちらの御二方は千曲を軽く超えています。
そんな人間が共同作業で曲なんか作れません。絶対に趣向がぶつかり、ストレスだけが溜まるのです。
ですから、誰かが作った曲は、その人の趣向に徹底的に従う。そんなルールがあった方が気楽なのです。
と、思っていたのですが、弥子は、やたらと私に意見を求めました。
「ここのDはセブンスでコーラスいれっけど、どうなの」とか「だいぶロカビリーに寄せたけど、これ、ブルースに持ってけるか」とか「お前、どうせバイオリン弾くんだろ。これ、前奏にソロ入れられっけど、ちょっと弾けよ」とか。
別に趣向を聞かれている分けではないのですが、私の反応を探ってきます。
一方、三津谷さんからは何一つ質問を受けた事はありません。
大きな理由は、弥子自身の言葉で聞きました。
「私は、歌ができねーから、お前にさせるしかねーんだよ」
ついでとばかりに、ボソっと付け加えてもくれました。
「歌だけは……あいつより、お前の方がいい」
三津谷さんも幾つか私をボーカルに据えた曲を書いてくれましたが、その楽譜を見た時から予想していて、また今日のライブを見て確信しました。
彼女は、一人で完成させるつもりです。
弥子も決して下手では無いのですが、正直、今日の三津谷さんみたいに一人で歌い切るのは難しいでしょう。
来奈は言いました。
「要求された課題をクリアするのは、要求した者への礼節にすぎない。課題を、更なる課題で返すが、この世界で評価されるポイントだよ」
言われなくても分かっています。これは、友情とか共闘とか、そういう薄っぺらい話じゃない。
求められたのならば、それ以上を返さなければ、私達は死人と同じなのです。
一般人は知りませんが、最低でも弥子は、そういう世界の住人で、その中でも王室クラスの重鎮なのです。
手なんか抜いたら、私が無様なだけなのです。
彼女の連日連夜の要求に、徹底的に応えました。
そうして、三つの曲ができたのです。
「お前にやるよ。好きに使え、馬鹿」
私は今まで、十曲の名曲を書きました。
名曲とは、どのような定義でそうなるのか? とか来奈に言われそうなので、先に言っておきます。
私がこれを歌った時、確実に、目の前の人を感動させられる曲です。
確実とか、迂闊に使っていいの? 数学人は、その辺り煩いよ。
と、言うと思うので、先制で打ち込みます。
お前には分からねーんだよ!
あんたが飛び切りの数式を見つけた時、これが間違ってるなんて思わないでしょ? まずは、震えるでしょ? 私は世界を変えた! って飛び跳ねるでしょ! でも、そこを冷徹に検証するのが、アンタなんだよ! 学問の人ならそうだと思うし、それを検証しきって初めて成果になるんだと思うけど、こちとら芸術家は、そこで検証なんかしてたら作品が死ぬのよ!
正しいかどうかも分かんないモノを馬鹿正直に全力でお披露目して、その反応で評価されるの!
正直、ほとんどスベるんだからね!
スベると分かってても出さないと、腐乱死体になって抽斗の奥でゴミになるだけなの!
そうやって、何百曲も死んでるのよ!
そうして作品の精度を上げていくのね。過程は分かったけど、まだ私の答えに解答できていない。精度をどれだけ上げたとして、確率の範疇を出ない。「確実」とは「100%」という事。貴女の経験が発散しない証明と、収束する証明、どちらも説明しきらないと、「確実」なんて誰も認めない。
もう、煩い!
トーシロは黙ってろ!
見えるの!
感じるの!
この子は、違う! って、分かるの! そんなの、五百人も子供を産めば誰だって分かるよ!
私、処女だし。
私もだよ!
じゃ、そんな創造神イザナギに聞きましょうか。天照は、まさか天岩戸で隠れていないわよね?
……。
「おい!」
はっと、気が付きました。
目の前が眩しくて、明るすぎる人工的な光に、眼底が痛みました。
既に舞台は明転していて、そこら中からライトが当たっていました。舞台の前の方では「軽く自己紹介でもしましょうか?」などと三津谷さんが場繫ぎのMCを始めていて、そのステージ脇で、弥子が私を睨めしていたのです。
弥子はじっくりと私の瞳を凝視すると、嘆息しました。
「二十秒も待たせんな。やるぞ、『フリーバード』」
それは、まさに、天照でした。
弥子は、踵を返しました。
「甘えんな。一発ミスったら、終わるんだからな、ここは。他の二つじゃ、アイツに勝てねえだろ、馬鹿野郎」
あ……。
そうか……。
私もステージのマイク前に歩きました。その足音を聞き、三津谷さんは振り返ったのです。
「さぁ、出番よ」
なんて楽しそうな目で、人を見下すのでしょう。
来奈でも、こんなに有様な態度はとりません。
あ……。
そうか……。
彼女は、私の選択肢を奪っていたのです。先日からの楽譜は、セイカの命令で三津谷さんにも渡っています。
知っているのです。
だから、そのうち二つでは勝てない演奏を、彼女はしてきました。
一緒になってハモったり、一緒になって聞き惚れている場合ではなかったのです。
私の好き嫌いなど、関係無い。
出さなければ、全てが終わるのです。
今やらないと、もう二度と、彼女を語る事はできないのです。
マイクの前に立ち、準備をしました。
「あ、の……」
まずは、声を出す。
「そ、の……」
怖い。
この曲は、私の最高ではありません。
でも、私の初めてです。
「誰かと、初めて……曲を作りました」
洗いざらいでいい。
それしか……無理。
「私は、私もいい曲いっぱいあるから、別に、この曲じゃなくてもいい……って感じ、ですけど」
ダサイな……何言ってんだろ、私。
「でも、なんか……。初めて、だったから……」
うん。
「初めて、だった、から……」
うん。
いいよ、行こう。
「歌います」
千歳!
「フリー・バード」
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