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こんな経験は幾度もあったので、それほど気にはならなかったのですが、それとは別の意味で緊張が走りました。
次は、三津谷さんの番、となっているのです。
今回のステージプランを決めたのは、来奈でした。
「ノープランでいいよね?」
私こそ驚愕したものの、他の三人は至って平然と首肯していました。
「ええ。持ち時間は十五分ですから、一人五分で。セイカの枠は取らないわよ」
「いらないよぉ。餅は餅屋。フロントはあんた等のモチ場、なんつって」
そうです。
一人五分で、このステージは回す予定です。誰がなんの演奏をするのか、誰も知りません。
とはいえ、私の知っている曲はセイカ等に散々質問された為、概ね暴露しているようなもので、私だけが、彼女達の持ち歌を知らない状況ではあったのです。
特に三津谷さんが何をするのか、私には分からなかったのですが、「貴女の歌える曲を選ぶので」とも言われていたので、きっとレパートリーの中のどれかだとは思うのですが、問題は、いきなり選択された曲を、三津谷朋がこの場に応じてアレンジする、という点にあります。
まだ、全くと言っていいほど底が見えないこの人の即席アレンジを、今、この場で汲み取らなければならない。
私にとっても、未知の領域での戦いです。
大歓声の観客とは裏腹に、途方もない緊張が全身を痺れさせていました。
そんな私に、三津谷さんは微苦笑し、マイクの前に立ちました。
「ごきげんよう、皆様」
柔らかく、愛想の良い声で観客に語り始めました。
「さて、私を知っている人も知らない人も大勢いるのでしょうから、自己紹介でもしておきたいところですが……まずは、貴方達の勘違いを正しておきましょうか」
大歓声の会場が、彼女の睨み一つで鎮まりました。
徐々に歓声が収まっていくのですが、彼女は会場を直視したまま微動だにしません。
ついに誰も声を発せなくなり、静寂が訪れます。
「まぁ、ちょっと、私も聴いてよ」
ボソっと呟き、子供のように八重歯を覗かせて微笑みました。
踵を返し、ステージ脇に置かれたグランドピアノに座ります。
まさか? ピアノ独奏?
こんなポップなステージで、そんな場違いの?
とも思いましたが、杞憂でした。彼女の脇にマイクスタンドが置かれると、すぐに演奏が始まります。
粋なジャズテイストのピアノ前奏。ニューオリンズのオシャレな酒場にでも流れていそうな、蒼く、薄暗く、たまらなくステキな夜景に包まれます。
瞬く間に空気を作ってしまうのは、圧巻の一言ですが、これ……どうするつもりなのでしょう?
こんなオシャレなジャズを聞かされても、観客は戸惑うだけ……。
と、思った瞬間でした。
「死んじまいたーい、ほどの……くるしみ、かなしみ」
STAY DREAM!
嘘でしょ!
ここで、長渕!?
どこの女子高生が学校のライブで、長渕やるの!? 誰も知らないよ!
そう思ったのはほんの数秒で、彼女が作る世界を見て、そういう事か! と考えさせられました。
私の知っている三津谷朋は、そこで歌ってはいませんでした。とても優しい笑みが零れ、ジャジーなピアノと共に和やかな世界を創造します。そんな温さを、ざっくりと裂く熱い絶望が随所に込められ、金メダル以外を許されなかった彼女の苦悩が、しみじみと伝わってくるのです。
酷く癖のある曲を、淑やかに歌い、趣ある演奏に変え、原曲を知らない人にはまるで彼女のオリジナルのように聞こえてしまいます。
全く違う演奏なのに、でも、これが原曲を損ねていないと分かるのは、芯にある熱くて、苦しい人間臭さ……。
そこに、涙が溜まっていくのです。
長渕ファンも、そうじゃない人も、彼女自身に目を凝らしてしまう。世界を創るとは、こういう事を言うのです。
そんな至極の演奏中だというのに、彼女は私に顔を向け微笑みました。
視線に、心臓を握りつぶされました。彼女は唄いながら言って居ます。
「貴女は、歌いなさい。演者でしょ?」
自然と、ハーモニーが出てしまいました。
『stay stay dream so……』
そうです。誰も知らない、は、何の言い訳にもなりません。この先私達は、自分の作った自分の世界を曲として発表していかなくてはならないのです。その未知の曲は、文字通り誰も知らないのです。
だから、これはそれを私に教える為に……、
違うよ。
来奈の声。
今、いいところだから、黙って!
ちゃんと見なよ。
気が付くと、演奏が止まっていました。
朋ちゃんはピアノから指を離し、演奏を止めていたのです。
これって……。
ライブの定番。この曲の後半で、演奏を止める。そうでしょ?
そうだけど! そんなの、今時の女子高生は知らないって!
関係ないんだよ、そんな小事。
朋ちゃんが演奏を止め、目を閉じていると、会場の隅から声が上がった。
「三津谷―――!」
おっさんの声。
そのまた向こうから、おっさんの声。
数々のおっさんが、彼女の名前を叫んだ。そのうち、この定番を知らない生徒達まで叫び始めた。
「朋ちゃーん!」
「せんぱーい!」
「朋―――!」
会場中から、彼女の名前が叫ばれた。大声援となり、彼女の名前だけが叫ばれる。
大歓声となった時、彼女は苦しそうな苦笑いをした。
「たとえば……」
そうしてまた独奏が始まる。叫びきった観客を道ずれに、曲の中へと弾き込んでいきます。無限の先へ、彼女と共に旅をするのです。
最早私は、ハモリすらも忘れ、彼女の走らせる冒険号の一員となってしまっていました。
ほら、また一緒になって観客になる。見るべきところは、そこじゃない。なぜ、こんなモノマネみたいな、ウケ狙いをするのか?
いいじゃん……、格好いいんだから……。
なぜ、格好良いのか、言葉を分解してみなさい。貴女は、客じゃないんだから。
……。
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