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 ステージに上がると、観客が騒めいていました。こんな大きな会場が、立ち見までいる超満員。


 全員が、私を見ています。


 セッティングをスタッフ(ローディ)に任せたまま、私は全ての瞳に真正面から向き合いました。


 猿人形。見える景色は、いつもと寸分違わない。数こそいつもの十倍ですが、十の群れが集まっているに過ぎません。

 

それだけ? もっと、ちゃんと見てみなさい。


 来奈の声が、聞こえた気がしました。彼女なら、言いそうな台詞です。

 最近、私は彼女の弁論方法を覚えました。

 まず初めに簡単な言葉で不明な事を言い、その後に難しい解説に入るのです。

 ですから、この時来奈なら、こう言うはずです。


 目の前の群衆を捉える事は、実は凄く難しい。一人一人が言葉を出してくれれば把握できるのに、群れになった途端にそれを止めてしまう。だから貴女は、勝手に想像するしか方法が無い。これ自体は仕方が無い事で、原理的には肯定せざるを得ない。

 問題は、貴女の想像の方にある。


 そして確信に迫るのです。


 猿と想像するなんて、凡人のやり方でしょ? もっと、上のステージに行きなさい。


 耳と目を、傾けました。

 全力で、全身全霊で、全ての人を私は捉えようと思いました。

 そうして見ると、色々と見えたものなのです。


 ほら、今あそこの子、スマホを弄ってる。メール? 違う。あれ、掲示板に何か書き込んでる。

 ほら、あそこの男性。スマホにかけた手に力が入ってる。撮影する気だ。

 てゆーか、みんな、携帯の準備が凄い。

 なんかさ、みんな、勘違いしています。


 ここにこうして私が居るのは、必然じゃないんだよ。誰かが守ってくれて、誰かが手を引いてくれて、誰かが肩を合わせてくれて、そうしてやっと、ここに立ててるんだよ。


 そうまでして、私は、今から全力で歌うんだよ?


 カメラを向けて満足なの?

 ネットに書き込んで満足なの?

 そんな事で、楽しいの?


 私の背後を、少女が通り過ぎようとしていた。

 彼女に、私は曲名を告げた。


「あ? いいの? それで」

「うん」


 少女はキーボードに向かうと、流麗に鍵盤を弾き始めました。準備も何もなく、即座に。


 超有名な出だしのフレーズに、会場は騒めきました。

 合図も何も無しに始まった音は、観客をざわつかせます。


 それでいい。

 それがいい。

 ちゃんと、私を見て。今から、歌うから。


「栄光に向かって走る、あの列車に乗って行こう」


ザ・ブルー・ハーツ。『train train』


 相変わらず、弥子ちゃんの伴奏は素晴らしい。試し引きも無しに始めた一音目から、音が弾けています。


 乗せられて、私も歌ってしまいました。

 この猿共を、人に返す日が来たのです。


 それは、今は、私にしかできない事なのです。


 軽快にギターを鳴らす。

 当たり前のように、ベースも入ってきます。ドラムも、キーボも、ここしかないタイミングで音楽を作ります。

 この曲をするなんて、誰にも言っていませんでした。そんな必要は、きっとありません。

 見えない何かに向かう私達は、考えが違っても、思いが違っても、進むしかないのです。進む背中を全員で押し、押し出された誰かが、みんなを引いていくのです。


 だから僕は、歌うんだよ!

 精一杯デカい声で!


 たった四分。いつもならば、無限に等しい長い時間が、この日はあっという間に過ぎ去りました。


 何を弾き、何を歌ったのかも覚えていない程、一瞬に時間が過ぎ去りました。

 観客は、誰も動いていませんでした。

 本当に人形みたいに、口を開けているだけでした。

 

 人として動き始めたのは、私が、ステージ脇に置いていたペットボトルの水を飲んだ時でした。


 地響きの如く、大歓声が上がったのです。

 

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