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ぴったり五分で点呼を終えると、ぴったり五分でやってきました。
「ごきげんよう。観客が無いというのも、たまには良いものね」
来ました。
彼女はとても優雅な身振りで入室したのですが、眼光はやはり、怖い。言葉や表情とは裏腹に、私を睨みつけているのです。
でも、これも下準備と言いますか、ここ数日私を直視する人が傍にいて、それも音楽では無いにしろ怪物みたいな人ではあるわけで、あの子の視線に慣れてしまっているせいか、三津谷のこれには堂々と睨み返す事ができました。
彼女も驚いたのでしょうか? 一度目を丸めると、クスっと微笑しました。
「準備は、良いみたいね。愛乃千歳さん」
いつでもこい!
三津谷は大きなケースを抱えていて、形からコンバスでしょう。これで、スリーピースにはなります。バンドという単位でいえば成立します。
問題は、この後。
来奈は「実現する」と言っていましたが、そもそも論でぶり返すと、私は坂之上弥子を必要だと思っていません。
この三人で十分……、いえ、嘘です。三津谷を相手にするのが精一杯で、坂之上の相手なんかしていられないのです。
坂之上はキーボード専門で、シンセも使いこなしますし、エレクトーンはピアノよりも上手くてメーカーの制作にも関わっている程で、こんな人が居ればバンドがより完成に近づくのは分かるのですが、だからこそ逆に、三津谷と戦わなければならない状況で、そんな化物まで相手にしていられないのです。
来なくていい! 今は!
と、心の底で願っていたものですが、そうは問屋が卸さないのです。
来奈がやると言えば、それは絶対なのです。
三津谷の入室後、直ぐに防音扉が開きます。
小さな少女。髪もぼさぼさで、スカートのポケットに片手を入れ、不機嫌極まりない表情の少女。
やはり、来てしまいました。
あぁ……、面倒臭い!
心で叫んだ瞬間、少女は私を睨みました。
「あぁ? んだ、お前。お前もいんのかよ、聞いてねーし」
イラ! っとして声が出てしまいました。
「お前じゃないよ! 愛乃千歳! 十五歳!」
少女は、私を睨みます。
数秒睨みつけると、一蹴してきました。
「あっそ。私、十六歳。敬語使えよ、テメー」
セイカがぱちぱちと拍手をした。
「お? そっか、今日誕生日じゃん。隠喩で表現するとか、さすが先輩だな」
「っせー! 馬鹿にしてんのか! してんだろ! あぁ!」
「してるけど、勝手に決めつけんなって。あ、誕プレを要求されてるわけね。オッケー、今年は花束でも送る? ん?」
「うるせー! 今年は、じゃねーし! お前、一回もプレゼントとかくれてねーし!」
「そうだっけ?」
「つか、黙れセイカ! 今、お前に用はねーんだよ!」
弥子が叫ぶと、直ぐ目の前に居た三津谷が嘆息した。
「弥子、今私、あまり気分が良く無いの。無駄口叩くなら、出て行ってもらうわよ」
三津谷は、本当に機嫌が悪そうでした。
坂之上が入ってきた瞬間から、雰囲気が変貌し、苦虫を噛み潰すように口元を歪めていたのです。
それは態度にも現れていて、コンバスのチューニングをしながら、坂之上には一瞥もせずに低い声で綴りました。
「誰に何を唆されてここへ来たのかは、理解しているのよ、私。でも、それとこれとは別にして、貴女、今でいいのかしら?」
三津谷の変貌は、度が過ぎていました。
彼女の体内から爆発的に発せられるそれは、最早、殺意だったのです。
遠く離れた場所にいる私でも、それが、同級生に向けるべきものではないと思いました。
それ以上に目を疑ったのが、坂之上でした。
常人がこの殺意をまともに受ければ、立ってさえ居られなくなる程のものを前に、堂々と向かい合っていたのです。
「分かんねーの? 今しかねーだろ。お前を遊ばせてるほど、暇じゃねーんだよ、私も」
三津谷は、髪をかき上げました。
そこから垣間見えた表情を、私は生涯忘れないでしょう。
おそらく、坂之上も。
なんとも嬉しそうな笑みを浮かべていたのです。それはもう、狂人の笑みとしか言えない程に……。
三津谷はコンバスのボディに肘を置き、坂之上、そして私に振り返りました。
「高校一年生。時期としては適切ね。今打ちのめされたとしても、立ち直れるだけの時間と若さがありますもの」
坂之上が発狂した。
「あああ!?」
私も、怒りが込み上げました。
「はあああ!?」
私達の憤慨を受け、彼女は更に威圧と快楽の笑みを広げました。
「右手で弥子を、左手で千歳さんを……これくらいで、ちょうどフェアかしら?」
これに、セイカが欠伸をしながら合いの手を入れた。
「んにゃ、それでもちょっとだけ足りないねー。弥子もちーちゃんも、裏技出さないと死んじゃうよぉ」
胸が真っ赤に燃えました。
それは流石に、言いすぎています!
「あの! ちょっといいですか!」
三津谷が振り返りました。
魔王のような眼球に、言わずにはいられませんでした。
「私の、何を知っているって言うんですか。全部を、まだ、見せてませんけど」
私が猛と、坂之上もキーボードに歩み、セッティングを開始しました。
「朋、セイカ。お前等は、喰われる側の人間なんだよ。上に着いちまったら、引き落とされるしかねーんだよ。人ってな、そーゆーもんなんだよ」
彼女の言葉は、心地が良いものでした。
これには全く同感で、ここ数日ずっと思っていたのです。何もかもを、さも分かったかのように言って居るこの人達ですが、そんなの分かっているはずが無いのです。これだけ賢くて、これだけ栄光だけに彩られた人生を送ってきた人達に、私の苦悩なんか絶対に分からない。彼女達に分かるのは、一般の人達の気持ちくらいです。
頂点の人間は、最下層の人間の気持ちは、たぶん分かります。だって簡単に、自分と立場を逆転させればいいだけなのですから、それくらいは理解できるし、理解できるから支配もできるのです。
でも、その中間にいる私達の気落ちなんか、分からない。
来奈は昨日、三津谷への稟議でこう言って居ました。
「あの人には、千歳の事なんか隅々まで見えてるよ。だって、自分も通ってきた道だから」
違う!
それは、絶対に違う。
来奈も三津谷も、全然分かってない。
こいつらは、人じゃないのです。私が天才と呼ばれるまでに、どれだけの数の舞台を踏んできたと思っているのか? 人生の全てを使って、何もかもを使って、それでも最近になって漸く、天才と呼ばれ始めたのです。
生まれて、物心も付かない間に天才と呼ばれていたコイツ等に、私の人生を知った気になって欲しくい。
あんた達みたいなのがいるせいで、私達は、ずっとずっと、生きている気持ちになれないの!
そう、叫びたいのに……、叫びたいのに……。
昨日、彼女はもう、それを見越しているのです。
「私が不要なら、消せばいいよ。その気持ちを、音符にすればいいだけ。簡単でしょ?」
なぜですか、神様。教えて下さい。
なぜ、この人は、全部分かっているのですか?
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