7

「本物ね、貴女も」

「いちいち試してくれて、ありがとう。ま、そりゃ不安だよね。私とタイマンなんかさ」


 彼女は、首を小さく振った。


「不安なんか、私の中にこそあるの。私はいつだって恐怖に怯えているし、明日には死んでいるのかもしれないほど、毎日が怖いのよ。甲冑を纏うのだって、それを隠す為に過ぎない」


「その言葉は本当なんだろうけど、私の計算では、それは真実じゃない」


 彼女は目を開いた。大きく、大きく。


「その甲冑は、人を試すように作られている。貴女に届かない人間達を導くために、人間をどうにか強くしてあげたいという慈悲の元に作られたもの。

 そのバリエーションは、万にも上るんじゃないかな? 

 なぜなら、それくらいあれば、人間全体をカバーできるから。

 でもここには大きな欠点がある。慈悲って、暇つぶしにかならない。

 貴女の本体には何の影響も与えないし、いやむしろ自尊心という足枷しか作らない、よってマイナス要素の方が大きかったりする。

 だから、普通の秀才ならば、これは欠点にしかならないのだけれど、貴女は、そんなレベルの人間じゃない。

 行きつく先、己の先は、己の修練でしか創造されない事を熟知している。

 怠惰した自分をあえて作り、それを自身で咎める事により、モチベーションを確保している。それが、貴女が『吹奏楽部』をやっていた理由」


 彼女の瞳は正直だった。真っ赤に充血し、その表面を涙が覆っている。今にも溢れださんとする……。


「あ」


 言った傍から、彼女は号泣した。

 人目を憚らず……とはいえ、ここには誰も居ないのだが、大粒の涙を流し、泣きじゃくった。

 そのあまりの量に、計算など必要はなかった。


 十六年、溜め込んだものだろう。


 数分も涙を続けると、またも大きな嘆息。

 嘆息の度、彼女は我に返るようだ。

 私に微笑んだのだが、やはり、その笑みも神々しい。


「あなた、何者? 私と同等とか凄いじゃないの」

「今の、同等なの?」

「ええ」


 なるほど。既に、その経験があるのか。


「だろうね。それくらいじゃないと、あの馬東クリスの次点になんかなれないよね」

「次点?」

「ん、あぁ、音楽を除いて、かな。もう確信した。馬東クリスも音楽が化物級だけど、貴女、もうそれを超えてるんだね。しかも、とっくの昔に」

「当然よ。私は、あの人と同じ才能がありながら、音楽(これ)しかやっていないのよ。万に一つも負けるはずが無いじゃない」

「ごもっとも。私も勉強しかしてこなかったけど……まだ、勝てて無いのが悔しいな」


 三津谷は首を傾げた。


「あら。やはり人間って、そういうものなのね」

「え」

「貴女の本質は、学問では無いわよ。さしずめ、目。かしら」


 やられた。

 やり返された。

 一瞬、私も心が空白になり、光のようなものが見え、泣きそうになった。


「そっか。そうだよね……そう」


 泣いてしまった。

 分かっていたけど、人に言われるのなんて初めてだった。

 嬉しかった。


 なんと馬鹿々々しい。天才を自負する我等二人が、互いに泣き合って慰め合う。こんな阿呆みたいな悪ふざけができる事が、嬉しくて仕方がなかった。


「ん、もう! やり返された! やっぱり、三津谷さん、凄いわ。初めて会ったよ、その辺りを知ってる人」


 彼女も嬉しそうだった。

「私も、人生で三人目よ、貴女が」

「そんなに? 私は初……」

 では、無かった。確かに、私を導ける人間などそうそういるものでは無いが、一人は知っている。

 でも、


「二人……。……あ、そう。そういう事」


 これに、三津谷は今日一番の驚愕の顔だった。

「気づくのですね、今、ので……」


 苦笑した。

「気づけば良いってものでもないけど……。私達は残念な事に、そういう所を見逃せず、躓いてしまった人間なんだよ」


 彼女は首肯した。


「ええ」


 これではっきりした。彼女がなぜ、今、私をここに呼び出したのか?

 想定通りのルートなのだが、こうまでも具現化してしまうと質が悪い。


 私は、席を立った。


 こうなってしまっては最後、やるしかない。


 彼女に背を向け、願望と宿願を唱えた。

「予想してたと思うけど、この後の練習に、坂之上弥子を呼んでる。いいよね」

「ええ」

「千歳も、そこに参加させる。いいよね」

「ええ」

 じゃあ、もう、思い残す事はない。


 私は、無駄が嫌いだ。


 ラスボスと、対峙しよう。

「後の事、お願いね」

 去ろうとする私の一歩目に、彼女は合わせて言った。

「貴女を必要とする人も、いるのよ」


 うん、分かるよ。

 そんな事、分かるよ。

 だって今、私、貴女ともっと話をしたいから。

 でも、これは私の信念だ。


「無駄が、嫌いなの」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る