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男達の間を素通りし、タクシーの後方ドアへ向かう。私が数歩進んだだけで、車内から子供の声がした。
「ちょ! んだよ! 使えねーんだよ、こいつら!」
ドアを開け、その少女に手を差し出した。
私を睨みつけるのは良いが、腰が引けて向こうのドアに尻が当たっている。緊張しているのが逆立った二の腕のやわな産毛からも見て取れる。
なかなか、可愛いな。
「私、ストーカーじゃないから」
「うるせーよ! 三時間も家の前で待ち伏せてる奴なんか、ストーカーに決まってるだろ!」
「二時間半だけど」
「うっせー! てめーのせいでママがブルってんだよ! どう落とし前つけんだ! あああ!」
「あぁ、うちと同じだね。私も友達いないから、知らない女生徒が来たらパニックになるね。まぁ、そんな事は二時間半も居れば分かった事だし、今はどうでもいいよ」
「どうでもよくねー!」
「本当に?」
真っすぐ、彼女の瞳を直視した。
その眼球の動き、震え、挙動……何一つ逃さない。本心を、一つ残らず汲み上げる。
一分くらいはもつかと思っていたけど、彼女はものの数秒で折れた。
簡単に眼を逸らし、「……んだよ」と後部座席のシートに向かって落とした。
彼女もまた、千歳と同じ、高校一年生のようだ。
彼女の両手は知らずの内に組み合わさり、もじもじと指を振るわせている。
十分分かったので、怯える彼女の頭を撫でた。
「いいから、怖がらなくて。おいで」
ゆっくり手を取り、私の方へ引く。彼女はそれに、従順だった。
こうして車から引きずり降ろすと、手を握ったまま告げた。
「私は、千神来奈。あなたは?」
彼女は、これに怯えた。
明白に、私の手を振りほどこうとする力が働いていた。
手はず通りという事だ。
「え……、いや、私知らないとか、嘘だし」
「名前と住所とネットサイトからの情報は知ってるよ。あぁ、私ね……、同じ質問を二度させられるのが、大嫌いなの。えっと……あなたは?」
即答した。
「坂之上弥子(さかのうえ やこ)! 知ってんだろ! なんだよ! 何しに来たんだよ! 私をビビらせて、なんかあんのかよ!」
「坂之上さんだね。えっと、弥子ちゃん。勘違いしてるだろうけど、貴女が勝手にビビってるだけだよ」
更に逃げようとする手を、ぐっと抑え込む。
「嘘つけよ! だったら離せよ! 私に近寄るんじゃねーし!」
と言うので離した。
勢いで彼女は尻もちをついた。
「勝手に離すな! 馬鹿野郎!」
「馬鹿と言えば馬鹿かもね。鹿を指して馬となす。でも、ちん○は無い」
「ちょ、お、下ネタやめろよ!」
可愛らしく赤面している。高校生どころか小学生だ。
「そんな事はどうでもいいの。時間もアレだから、単刀直入に話ていいかな?」
「何をだよ!」
「予想くらいはしているでしょ? 二時間半もあったのだから」
途端、彼女は沈黙した。尻もちをついたまま、地面に顔を落とした。
三十秒くらいか、時間を与えた。
私の言葉に、真実味を付与するためだ。
「千歳と、バンドを組んでみない?」
ここでも時間が必要かと思っていたが、存外、即答だった。
「嫌だ」
「理由は?」
「そんな時間、ねーし」
「作ればいいだけ。貴女にできないなら、私が作ってあげようか?」
「……は? んなの、無理だし。そういう事じゃねーし……。ガキは黙ってろ」
と、言う割りには覇気がない。
しかしながら、あっぱれだ。流石は、馬東クリスといったところか。
彼女は今、とても大人の対応をしている。
現在彼女のスケジュールは、平均して一か月が三十五日になっている。
月に五日、週に一度は日付変更線を跨いでいるという事だ。理由は明白で、多忙なのだ。今現在彼女が抱えるプロジェクトは多数ある。
今、というだけで言えば「アクセリオ・オブ・ローズ」というバンドのメインライター兼キーボードであり、このバンドは「BIG3」と呼ばれる蔭木コメ率いる超人気バンドだ。
しかしもこれは本業ではなく、副業になる。
彼女はこのバンドに所属する以前からもプロのピアニストであり、その名を世界に轟かせている。
数々の世界オーケストラの客演も熟しているし、自身のリサイタルもある上、色々なミュージシャンに楽曲提供をしており、ドラマや映画にも楽曲提供している。
寝る暇も無い生活であるのは間違いない。
「移動時間が作曲の時間」と語っているようだが、おそらく本当だ。
私が軽く推測しただけでも、とても、十五歳の少女が熟せるプログラムではない。
彼女の保護者であり、悪辣プロデューサーである馬東クリスを除けば、世界で一番多忙な十代と言って間違いはない。
このスケジュールに隙などなく、もう一つバンドを増やすなど、物理的にも体力的にも不可能だろう。
それでも熟せる理由を、彼女はしっかり弁えている。
それによって、生活をしているスタッフが大勢いるのだ。最早、自分の意志だけで世界ができていない事を自覚している。
そうした教育を、悪辣プロデューサーが施している。
これはこれで、不幸な事だ。
ふと、ある言葉を思い出した。
「全ての事象は、ゼロへ向かって収束する」
悪辣プロデューサー事、馬東クリスの根拠不明の哲学だが、なぜだろうね……根拠は無いのに、そうなってしまうのだ。
これを私なりに言い換えれば「正と負は、同等に存在する」となる。
坂之上にとっての不幸は、今、廻り回って私の幸福になる。
「許可は、とってある。だから、貴女が決めていい」
坂之上は即座に顔を上げ、瞳を猫のように大きく広げた。一瞬のうちに。
「おま……。秘書、か?」
私は意味が分からなかったが、男スタッフ二人が狼狽した。
「え、いや、そんなはずが。聞いてないですよ!」
「待て! 今確認を取る!」
大慌てでどこかに電話を始めた。
なるほど、そういうシステムか。
男スタッフが畏まって電話を切ると、無言で首肯した。
瞬間、春が吹き飛んだ。
朗らかな陽気に見えた真っ白な太陽光が、みるみるうちに赤く染まり始める。雲が激しく左右に流れ、風が渦巻く。
「あぁ、そう」
低い声。尻もちをついていた少女が、くつくつと笑い始めた。
その小さな体躯から、熱烈なオーラが溢れ出している。
「いいんだな。お前、責任取れんだな」
想定よりも、随分溜め込んでいるようだ。
これくらいで、丁度いい。
……いや、もう少し欲しい。
「勿論。三津谷朋を倒す機会なんか、人生で今しかないから」
坂之上は立ち上がり、私の胸に平手打ちをした。
「お前もな。全員まとめて、ぶっ殺してやる」
「できればね」
「は? 今のあたしなら……」
いい感じだけど、私は私で、胸糞悪い。
「じゃ、一時に軽音の部室ね。スタジオ取ってるから」
踵を返し、ここから既に見えている学校へ向かう。
「あ、そうそう」
軽く片手を上げた。
「私を倒すなら、三津谷くらいに負けないでね。妹弟子さん」
彼女の発狂の声が聞こえたが、そのまま去った。
推測通りに、事は進んでいた。
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