8
※
何も浮かばない。私には度々あるのですが、考える言葉というものが何も出て来なくなる時があります。
概ねそういう時は、私の体験した事の無い何かにぶつかっている時です。
三津谷の演奏に、何の言葉も浮かばなかったのです。何も言葉が出ないので、何度もリピートして聴いてみるのですが、やはり何も浮かばないのです。
只、漠然と大きい事だけが感じられるだけで、それがどれほどの大きさで、どれほどの差があって、どれほど研鑽されたものなのか、全くと言って良い程分からなかったのです。
私は、一刻も早く帰らなければいけませんでした。
私に言葉が出ない時、それを教えてくれる人に会わなければいけないのです。
そんな想いが通じたのでしょうか? はたまた、予定通りなのでしょうか? おそらく後者なのでしょうが、彼女は、駅の改札の前で待っていたのです。
ジャージ姿で髪もボサボサで、私を見つけるとぶっきらぼうにズボンのポケットから片手を出して上げました。
「やっ。お帰り」
何もかもを分かったような顔だった彼女ですが、私を見るなり首を傾げました。
「ん? あれ……。あんまり泣いてないね」
なるほどです。彼女は、三津谷に大敗した私が、昨晩の如く泣きじゃくって帰路に着いたと予想していたのです。
……まぁ、泣いたのは泣いたのですが……それは三津谷の演奏前です。
泣くも何も、言葉が無いのです。
「あの……、ちょっと、相談、いいですか……」
「うん。そのつもりで待ってたし」
並んで駅を出ると、昨日と同じ公園に着きました。また、今日もここで深夜まで話をすると思い、途中、コンビニに寄ろうと思いました。
しかし、それは彼女に止められました。
「あぁ、今日は家で話そうよ。外ってさ、知らない内に体力使うから」
「……はい」
昨晩の公園を横切り、家に向かいます。
彼女の少し後ろで歩いていたのですが、この帰宅経路には見覚えがありました。確か彼女もご近所さんだったはずなので、似たような経路になるのでしょう。
……と、思っていました。
「んじゃ、入ろか」
言われて、見ると、そこは私の家でした。
「……え……。えええ?」
思わず声を上げてしまいました。
「いや、あの、ここ、うちですよ!」
「知ってる。調べたし」
「いやいやいや! 普通、『家で話そう』って言った人の家に行くんじゃないんですか?」
「私が、普通に見えるの?」
「見えません!」
「って、事で」
と言いながら、彼女はまるで我が家のように玄関を開けたのです。
これは、非常にマズイのです。
この時間ならもう母は帰宅しているでしょうし、下手をすれば弟まで帰宅しています。何の前触れも無くいきりなり友人など連れて帰ったものならば、家中が大混乱になります。
この家に、私の友人が着た事など一度も無いのです。
事情を話して止めなければ、話どころでは無くなるのです。私は今、こんな茶番劇なんかしていたくは無いのです。
「ちょ!」
っと、言った傍から、玄関から見える階段を弟が降りてきました。
「ん」
弟は私を見ると、プイっと顔を背けました。今年で中二になる弟は、最近反抗期に入りました。反抗期らしい態度でそっぽを向くと、居間の方へと走っていきます。
よかった……。あまり、私に興味がある時世では無いのでしょう。
「あらお帰り、早かったのね」
と、言った傍から母が応接間から出てきました。
流石に、これはマズイ!
私は心臓がはち切れんばかりにポンプして、どう、この現象を伝えるべきか懊悩した。懊悩というか、パニックです。
「ん? 何? どうしたの? 変な顔して。やっぱり初めての学校で疲れちゃった?」
淡々と答える母に、横だ! 横を見てみろ! 想定していないだろうから見えてないかもしれないけど、その想定外がそこにいるの! と、叫ぼうとしました。
その時です。
「ああ、お母さん。愛乃千歳さんの友人です」
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