5

   ※


 昼のチャイムが鳴り、私は目覚めました。

 普通に、眠っていました。


「愛乃さーん、もう、授業終わりだよー?」


 保健室の先生に起こされ、剣呑に腕を伸ばしました。

「うん。ありがとう」


 保健室の先生は親指を立てて私にエールを送ってくれました。


「じゃ、部活。頑張ってね」

 首肯しました。

「うん」


 気怠い体を持ち上げ、ベッドの横に置いていたギターケースを担ぎ、部室へ向かいました。廊下を歩くだけで声援があがり、部室の前では新聞部に声を掛けられ、それらを全て無視して集中しました。


 昨日、金髪に指摘され、彼女にも言われていました。

「もう一人は、不要。演奏は、貴女だけのものにしなさい」


 だから、前方の千歳をぐっと押し込め、私が私であるように集中のルートを作ったのです。


 集中には、幾つかのルートがあります。発信は心臓で、脳を経由して体全身に伝播させます。

 そのルート次第で、誰が私の前に出るのかが決まります。

 前方の千歳と言っても、一体二体ではなく、無数に存在しています。その日の気分や状況に合わせてカスタマイズしているというのが正解でしょう。


 これで今まではどうとでもなっていたのですが、今からは、そうともいかないのです。

 

 そんな小手先の技では通用しないと、初日目から二人の人間に指摘されてしまったのです。簡単に指摘される程度の状態では、到底、化物には太刀打ちできないでしょう。


 よくよく思い返せば、前方を使わないルートなんか、今まで探した事すらありませんでした。

 

 私が、私であるルート。


 未知への挑戦。


 なんだか、戦うというのはこういう事なのか? と、まんざらでもありませんでした。


 私が新ルートを開拓していると、部室、というか、部室棟全体が揺れ動きました。そこら中から悲鳴にも似た鳴き声、嗚咽? 絶望感が充満して、この建物を覆いつくしました。


 部室に入室してきたのは、やはり、彼女でした。


 彼女は明白に私を見ると、微笑して、ステージから一番近くで仁王立ちしました。


 私サイドの化物の予言は、やはり、確実に当たるのです。


 その後、部活が始まると、部長の成城院翼(せいじょういん つばさ)が三津谷と喧嘩を始めました。

 成城院翼の「なんでアンタが軽音にいんのよ!」という台詞が印象的で、この言葉にほぼ全ての部員、廊下のガヤ生徒が首肯していました。


 当然、三津谷はそんなものを取り合いもせず、一蹴していました。


 集中を高めていた私は、この時の異変、違和感を覚えていました。


 三津谷は確かに傲岸不遜で、周囲の連中とは格が違う存在感を既に放っていました。


 でも、それだけだったのです。


 数多の猛者達が「人でなし」と呼ぶ程の存在と思えません。そこらの天才、というか、秀才クラスの人間の所作と大差が無いのです。


 評価と実存が、噛み合わなかったのです。


 しかしそんなもの、たった一言の邂逅で消し飛びます。


 成城院翼(部長)とのやり取りも終わり、部活が開始となると、彼女は即座に振り返り、私の前へ一直線でやってきました。


 先ほどイントラサイトで見たスレッドに、コメントの嵐が吹き荒れているでしょう。現に、彼女が私に歩み寄っただけで、廊下のガヤ生徒は煩く叫び上がっています。


 私の前に来た彼女は、私の想像を、見た目からして超えていました。


 強烈に睨みつけるはっきりとした二重。完全な円を描く瞳。体の隆線は芸術的なほどに女性の理想形で、その大きな胸元にまで伸びる髪の毛は、毛先の一本一本にエナメルを塗りこまれた光を発していました。


 人間の、完成形。


 どこをどう見ても、文句がつけられない。美少女という言葉は、侮蔑にしかなりません。


 彼女は、神に等しい。


 その見た目からして既に、私など矮小な存在に貶められていたのです。

 

 そんな私に、彼女は天空から声を掛けました。


「緊張しないで。別に、貴女を試す気なんかないのよ」


 言葉の圧!

 その声は直進する光となって私の心臓に突き刺さり、瞬く間に金色の糸が全身を隈なく巻き付き、電流を流して締め上げる。


 心臓が止まり、肌がビリビリと震えました。


 もう、この言葉で分かります。


 これは、ヤバイ!

 彼女がその気なら、今、この場で、一秒も待つ必要もなく、私を殺せる。

 膠着する私へ、彼女は綺麗に笑った。


「あら、意外と臆病なのね。演奏する前からそれじゃ、あの子に怒られるわよ?」


 頭は真っ白だった。

 三津谷の言う通り、怯えていました。今から、この蛇に食われる未来を想像してしまっていました。


 ですが、そのワードは良くありません。彼女が、私より先に三津谷に接触していた事が、これで分かってしまったのです。


「……あの、み、三津谷、さん」

「何?」

「え、えん、演奏、聞かせてもらえませんか?」

「駄目よ」

「え!」


 驚愕すると、彼女は面白そうに爆笑していた。


「嘘、嘘。聴かせてあげるわ。だって、そうでしょ?」

 笑いこけた彼女の顔に、魔が差した。

「十二年も、待ったのだもの、ね?」


 途端、指が震え始めました。私の意志とは無関係に、体が震えたのです。





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