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 と、

 夢の割りには、よく覚えていた。


 ほぼ私だけが語っている内容だが、ここから先はほぼ彼女の独壇場だった。私は適宜質問をしては、欲しい情報だけを掠め取っていた。


 場所は、家の近くの公園に移っていた。


「塾にね、四歳から通っているんだけど、そこで色々な先生に会ってね」

「先生?」

「え……、凄いピアノの人とか、指揮の人とか、耳の超えたオバさんとか」

「その塾は、個別指導の塾なの? 他に子供はいないの?」

「そんな事ないよ! 後、何人かいた、はず……たぶん」

「そう、眼中に入らない程度だったんだね、他が。というか、貴女が悩みを打ち明けるには、レベルの差がありすぎた程度の人達だった。かな」

「そんな事まで分かるの?」

「むしろ、そんな事は分かる。私も同じだよ。学校で話ができる人なんか居なかったし……人生でも、一人、二人くらいかもしれない」

「同じだ! 私もそう! 先生だけ」

「どの先生?」

「マスター!」

「初耳」


 彼女はあまりにも、私と似ていた。環境が。

 彼女の能力は先ほど垣間見た。世界が動くには十分過ぎる才能だったが、あれがまだ片鱗に過ぎない。後45%も隠し玉が残されている。


 私と同等の能力がある。だから、環境も似てしまうのかもしれない。


「人を下に見てるって、良く言われるでしょ」

「言われる! 全然思って無いのに」


 そういう事だ。


 だから、自分より能力の高い者が貴重になる。彼女にとっては「先生(マスター)」であり、私にとっての「C」と言ったところか。


 私達は、ろくに愚痴も言えずに生きてきた。溜まりに溜まったストレスは自分でどうにか解消しなければいけなくて、彼女にとってはそれが音楽であり、私にとっては学問だった。

 

 それがより、才能を加速させた。


 天才を作る環境とは、圧倒的な孤独なのかもしれない。


「ところで、貴女はミュージシャンになりたいの?」

「なりたい、って思った事は無いけど、それしか成れないかもしれないとは思っている、と思う」

「普通に暮らして、普通に恋愛して、普通に就職して、普通に玉の輿をみつけて、そんな人生も貴女には用意できるけど」

「無理だよ。たぶん」

「具体的な根拠はある?」

「それができるなら、もう、そうなってるよ」

 ごもっとも。でも、そこは根拠が聞きたい。具体的に。


「普通にお茶して、ファミレスで勉強して、ゲームセンターでプリクラでも撮ってれば、普通にナンパされるだろうし、普通に彼氏もできるよ。男次第で、女は変わるよ」


 彼女は笑窪を作って微笑んだ。


「貴女も、可愛いものね。一緒に居れば、ナンパくらいされそうだね、毎日」


 ん?


「え……、まぁ、貴女ほどじゃないと思うけど」

「ううん! すっごく可愛い! 綺麗! どこからどう見ても綺麗! でも主張しない感じで、落ち着いてて、でも、ちょっと怖い感じ」


「だろうね。威圧的なんだろうと思うよ。自分の顔とか、見た事ないけど」


「でも、怖いけど、絶対に嘘とか言わないだろうし、約束とかは絶対に守りそうな感じ。たぶん……ううん、絶対。貴女は、私を裏切らない」


 ドクっと胸が鳴った。


 心臓が高熱を帯び、熱で体の表皮が剥がれ落ちそうだった。


 初めてかもしれない。

 誰かから、私を見抜かれたのは。


 照れでも隠すかのように、反射的に話題を変えた。撮れ高は十分だったし。

「ま、まぁ確かに、今更普通に生きろなんて言われても、土台ができちゃってるのに無理な提案だよね」


 すっと息を吸い込み、熱を押えた。脳も急冷却させて、少しだけ本気モードに入った。もうそろそろ、深夜の二時も回っている。


「キャリアプランは、できてる?」

「へ?」

 彼女は破顔した。なさそうだ。

「キャリアプランというのは、所謂人生設計。例えば、三年後に高校を卒業した時、あなたはどうするか? 大学に行くのか、芸能活動をしているのか? 大学に行くのならどこの大学か? 芸能に行くなら音楽をしているのか、それともアイドルをしているのか? 東大に行くのならば、偏差値はどれくらい必要か? アイドルになるなら、どんな技能が必要か? これを、三年後だけじゃなく、五年、十年、二十年後と作っていく。すると、今、何をするべきかがおのずと決まる。明日の行動が決まる。明日、何をしたらそこに辿り着くのかの宿題が決まるの」


 彼女は腕を組み、顔を下げ、全力で悩み始めた。数分、数十分……、何も言わずに懊悩していた。


 だが、その表情には苦悶こそ現れたが、明が無かった。


 何も閃かない、空白。

 パン! と手を叩いた。


「はい、OK。何も浮かばないみたい。何も浮かばないのは、なぜだと思う?」


 相当に困惑しているようで、眉間の皺が額に彫り込まれてしまうくらい深くなっていた。


「……分かんない」

 即答する。

「知識が無いから。ここで言う知識は、情報だね。例えば、東大に入る為に最低限必要なセンター入試の得点は? それを知らないから、プランが立たない。音楽って言っても漠然と何かをする分けにもいかない。ターゲットは誰? 金策手段は何? 才能だけじゃ食っていけないけど、それを補填するのに必要な物はなに? そうした情報が、貴女には無い。調べるにも、その方法も分からないんじゃない?」


 即答された。

「分からない」


「よし。明日までに考える。じゃあ、寝よう」

「うん。えっと、それでね、私は初めピアノだったんだけど……」

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