3


 深い眠りの最中、私は夢を見ていた。

 

 夢というより、思い出だ。


 私の記憶にある限り、小学校四年生くらいからイジメを受けていた。


 イジメとは体よく言ったものだが、少し細分化すると「迫害」だった。


 事の発端はありふれたもので、内容もありふれている。結果から論じる原因と言えば、私に性欲が芽生えたというところか。


 好きな男子ができた。


 こんな論理モンスターの私でも、人並みに恋もするし、異性は気になる。気になったのは背の高い男の子で、地域のサッカークラブでエースをしていて、褐色の肌と少しだけ付き始めた筋肉が格好良かった。特に、誰にでも気さくに話しかける様に人気が集まっていた。


 私も度々目で追っていたのだが、別に、好きとかそういう感情はまだ無かった。


 と、美化しても仕方が無い。感情はあったのだ。

 私が初めて、目で追っている事に気付いたのは、彼が初めてだった。でも、ただ、喋れなかっただけだ。


 きっかけは、席替え。


 彼と私は、隣の席になった。


 席替えと言っても、だいたい私の席は決まっていて、一番後ろの窓際の席だった。ランダムのクジ引きなのだが、毎回席を変えろと誰かに言われ、その席になった。

 大抵は、私の周囲は柄の悪い女子が囲んでいたのだが、ある席替えで、隣席に、彼が来た。


 周囲六席が「班」となって、給食などは席を合わせて食べるのだが、その際、デブの女が彼に訊ねた。


「なんで、この席なの?」

「いやー、練習きつくてさ、ちょっと寝たいじゃん?」


 彼は爽やかに答えた。理由としても小学生的には格好いいものだったようで、その場は糞ブスの女共がキャーキャー言って終わった。


 でもその食器を片付けている最中、彼は私にだけ聞こえる声で、顔を近づけて囁いた。


「勉強、教えてくれよな」


 私は顔を向けなかったが、耳元なので見えていた。彼は、私の胸元を見ていた。女は、180°見えている。


 何分、早熟だった私は、既に他の女子に比べて女性らしい体躯になり始めていた。生理こそまだだったが、いつ来ても不思議では無いほどに。


 おおよそ初めて、私は、女として見られた。


 心臓の音は煩かったし、胸が擦れるように痛かった。


 その後、盟約通りに彼に授業のノートや宿題を見せてやった。とはいえ、当時既に私の学力は全国屈指であり、授業のノートや宿題の解答は、そこらの小学生には理解しがたいほど難解になっていた。


 よく覚えているのは「60°の角を書いてみよう」という宿題。これは、「分度器を使ってみよう」という内容である。


 無論、分度器などという邪道な物は使用せず、コンパスと定規のみで作図し、その上で三平方の定理を証明した。


 彼はこれを丸々写し、宿題として提出してしまった。


 有名私立でもあるまいし、こんな解答をこの学校で提出する人間は、学校史上、私しか存在していない状況で、それをしてしまった。


 彼は生徒全員の前でこっぴどく叱られたのだが、叱られた教壇から席に戻った瞬間、私に言ったのだ。


「悪い。ミスった。次は上手くやるよ」

 即答した。

「無理だから。何が下手したか、分かってないし」

「あぁ、それは」


 また、彼は耳元に顔を近づけた。

「お前との事、バレちまった」


 あぁ、駄目だ。


 彼は、馬鹿なのだ。限りなく知能が低くて、この事態の要点など何も見えていない。教師に叱られた理由は分かっているかもしれないが、私の解答など一つも理解できていない。


 でも、男女の関係は理解していた。


 逆に私は何も理解していなかったようで、締め付けられるような胸の痛みだけを覚え、如何に宿題の解答を小学四年生向きに簡略化するかだけを考え始めた。


 どうすれば、彼の力になれるのかしら。


 日に日に、私の貢ぎ物は増えていき、その度どうしようもなく見返りを求め初め、毎度近づく彼の頬に唇でも重ねたくなってきていた。


 彼は私を女として見ているし、私も彼を男としてみようとしていた。


 が、そうは都合よく世界は回らないものだった。


 同じ班のブタ共が、陳腐な刃を向けてきた。その毒牙は、男女に夢想する私に見えないところで広がっていた。


「ストーカー」


 初めて聞いた言葉だった。ある日、教師に職員室に呼び出された私は、教師によってそれを告げられた。


「ストーカーと言われてるみたいだけど、大丈夫?」


 語彙が無かった私は「はい」とだけ言って退散したが、その後、その意味を調べて知った。論拠を集める為、彼だけに向かっていた耳を、周囲に向けてみたりもした。


 そして理解した。


 時間としては、ものの一日も必要としなかった。


 単なる、僻み、やっかみだ。何一つ根拠の無い、事実不在の噂話である。

 同時に、世界のモロさを知った。


 当時「ストーカー」を題材にしたドラマが大流行していて、アイツらはそれに影響されただけだった。流行に乗らなくては陰口も言えない低能なガキ。

 それをいちいち、「大丈夫?」とかいう定型文で繕う教師。


 この世界は、なんて脆弱なのだろう。


 私は受け入れた。


 全てを受け入れ、そして創造した。


 私は、私の世界で生きればいい。


 度々私は、「人を見下してる」と言われる。

 そんなつもりは毛頭ない。


 ブタには、ブタの言葉がある。

 人には、人の言葉がある。

 私には、私の言葉がある。

 ブタの言葉が私に理解できないように、ブタには私の言葉が理解できないのだ。


「社会とは、そういうものだ」

 と、母親は私に言ったのだが、そのまま突き返した。

「人と、ブタの社会は違う」

 分かったように言葉を使うな。


 お前達は、誰も彼もが、浅はかだ。


 言葉には、全て理由がある。


 そんな事も知らずに生きていける奴等が幸せになるというこの世界に、もうその頃から辟易していた。

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