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その後、部室に入った後も、部長? が登場してからも、他の演者が演奏を始めてからも、ずっと瞑想していました。たいした演者もいませんでしたし、頭の整理の方が急を要します。
答えの道筋は早々に見えていたのですが、確信に至るにはぼんやりとし過ぎていて、時間が迫っているという不安だけが胸を押しつぶそうとしていました。
言葉にするとすれば「個性の在り方」でしょう。
実のところ、私はこの点で苦労をした事が無かったのです。度々言われていたのが「容姿」。
私は、きっと美人です。
厳密には「過不足ない」と言ったところでしょうか。どんな美人にも一点、二点は首を傾げる箇所があるものですが、私にはそれがありません。どこを取ってみてもそれなりに美しく仕上がっているそうなのです。
当たり前ですが、自分の顔など、気持ち悪くて見る気にもなれませんが……。
しかし、個性とはこれと真逆の意味合いを持ちます。百点満点のテストで、一教科でも二百点を取る事。
百点満点は秀才です。
アインシュタインになりたくば、出るはずのない二百点を出さなければならないのです。それが個性です。
例えば、そう、こんな音みたいに……。
え?
はっと、私は顔を上げました。
目の前、部屋中にシャボンの泡が溢れていました。色とりどりのシャボンの泡は、壁にぶつかり、互いにぶつかり、その度に音を鳴らしていきます。
辛辣な音、可愛げな音、寂しい音、陽気な音。
溢れて、ぶつかり、消えて行く。
ファンタジックな音の発散。
夢の国にでも連れ去られたかのようでした。体中から力が抜けて、指先の神経が消えて行き、心だけがこの空間に彷徨っていく。
音の泡に包まれながら遊泳していた私は、突如、強烈な刺激に瞼を強制的に開けさせられました。
無数のシャボンの奥に輝く青白い背景、その正体がはっきりと見えたのです。
途方もなく大きな、蒼い月でした。
何? これ!
歯を噛み締め、血の味がして、そこで漸く、私は現実世界に戻りました。
部室の片隅で、幼女がピアノを弾いていました。
同じ金色の学生服を着ているのですから、この学校の生徒でしょう。
そういえば、もう入部オーディションは始まっていました。
入部オーディションで弾いているのですから、同じ新入部員でしょう。
でも、これは、私の懊悩を嘲笑っていました。
そんな事も知らずに、のこのことやってきたのか?
遥か高見から、私を指さして笑っています。
私の体は、機敏に反応していました。まずは足の小指が震え初め、膝まで登ってくると胸を震わせ、心臓を締め付け、腕に伝わり、両手の親指が震え始めました。
胴体の至る部分にまで痺れが伝わると、首を絞めつけられました。舌がビリビリと痺れ、喉の奥がチクチクと針に刺されたような痛みを帯び、眼球が、回り始めました。
死ぬ。
呼吸が止まってから、相当な時間があったと思います。呼吸を止めて痛みに耐えなければ、瞬く間に私の体はバラバラに分解されていたでしょう。
死ぬ。
もう、止めて。
願いが届いたのか、幼女の演奏はそこで止まりました。
「じゃ、帰る」
と言って、幼女は部室を出て行ってしまったのですが、心底、安堵を感じました。後十秒でも演奏されていたら、本当に、私は死んでいたかもしれません。
この事態を収拾するには、私の脳は過労で疲れ果てていて、阿呆のように口を開いているだけでした。
目の前で、二百点を見せられたのです。
前方の千歳は、今度は私の後方に来て囁きました。
「一千万回……。こういう人が居るから、成り立つんだろうね」
言われるまでも無い。
分かっている!
今日、私は家に帰った瞬間にパソコンを起動して、この動画を百回は再生するのでしょう。こんな……、人が居るなら……。
塾を解散した時、先生が言った言葉が、今になって胸を抉ります。
「私は、君を守れない。そういう世界に、君は行くのだよ」
これは、私達が希望した道なのです。分かっていたつもりでした。
先生は、いつも私の半歩先を歩いてくれて、ちょうど半歩後ろに塾生達が居てくれました。私は、守られていました。
でも競争って、そういうものじゃないのです。
唐突に現れた強者が、私など、欠伸ついでに屠る世界なのです。
そんな世界を夢見たのは、結局、私の増長だったのでしょう。
私は、負けると思っていなかったのです。
一千万回再生とか、そんな事を考えている程の猶予は、真実の世界には残されていなかったのです。
幼女が去った後、部室内は静まり返っていました。
私は、呼吸もままなりませんでした。
今まで出会ったどのプロより、どんな天才少年より、鋭利に研ぎ澄まされた個性だったのです。同じ歳で、欠伸をしながらこんな演奏ができる人間を、見た事がなかったのです。
私の負けはまだ確定してはいないのですが、この場を再度支配できるとは思えませんでした。
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