4月2日

 思えば、入学式というものは初めてでした。小学校の時は演奏旅行で海外に居ましたし、中学の入学式は風邪を引いて欠席していました。


 高校で初めてとなる入学式でした。有名な私立高校だったので絢爛豪華な催しでも開かれるのかと思っていたのですが、とても簡素で、校長、生徒会長、新入生代表が挨拶を取り交わすだけの儀礼行事のみで、面白みなどまるで無いものでした。強いて上げれば、新入生代表の生徒が、金髪ブロンドの白人女性で、多く欧米へ渡航していた私でも、これほど完成した白人を見たのは初めてだった、というくらいです。


 授業も無く、簡素なホームルームが一瞬で終わり、放課後となってしまいました。まだ、昼の十二時になったばかりだというのに……。


 こうも粛々と進められると、私の心臓は音を立てて鳴り響くばかりで、収まる気配がありません。


 まるで、この後の祭りの為に急ピッチで進められた日程とさえ思えました。


 軽音部のオーディションが、小一時間後には始まります。このイベントが一大イベントであるのは、私も知っています。一昨年、あの「神童」馬東クリスが、世界にお披露目されたあの日の映像は、私の瞼からは生涯離れないものでしょう。


 あれ以降、去年も賑わい、ネットで公開される動画再生数はその日のうちに百万回再生をカウントしました。現在、去年、一昨年の両動画は一千万回以上の再生数となっています。


 つまり私は、一千万回聴かれる演奏を、今から行わなければならいのです。


 一千万人の前で演奏をするわけではありません。一千万人に同時に聴かれるわけでもありません。ステージの前にいるのは部員達だけで、廊下のガヤを含めても人間は百人足らずなのです。百人程度なら、私はどうとでもするでしょう。でも、部屋に置かれた一台のカメラの先に、最低でも百万単位の人間がいるのです。


 声も顔も性別も年齢さえも分からない人間に向け、一体なにができるというのでしょう? 


 昔、先生からそうしたお題を与えられた事がありました。

「一万回聴かれる曲を書け」


 連日作曲に没頭しましたが、書かれた曲は下らないものばかりでした。

 女児が好む曲と男児が好む曲は違います。青年が好む曲と淑女が好む曲、富裕層が好む曲と貧困層が好む曲も違います。

 だから、ありふれた物の抜粋でしか曲は作れませんでした。テレビやラジオで流れる、ああいう曲です。

 仮に層別にターゲットを絞ってみても同じ事なのです。

 人というものが経験で形成されている以上、趣味趣向が重なる事は無いのですから、より有名で、分かりやすい物を選ぶのです。

 多少こじらせてジャズコードやテンションコード、変則リズムなどを加えたところで、どんどんマニアック化するだけで大衆音楽からは乖離していきます。そこが、未だに循環コードが王道たる所以でしょう。

 

 塾生の誰もが、この宿題には苦労していました。

 

 唯一、答えを出したのは私だけだったと言えます。


 厳密には、ラジオから流れてきた評論家? みたいな人の(名前は知りませんが)言葉にその答えがありました。


「大衆文化を作るのに必要なものは、神話、共感、利益共有。詰まるところ広告塔とダサい言葉。中身なんか不要」


 この声に、私はラジオへと振り返りました。電撃が背中を迸り、真っ暗だった部屋の隅々までが明快に見え、この世界の色が変わりました。


「人は随分と退化した。最早、目に映るものでしか共鳴を得られない。例えそれが、真実を模っていなくても」


 私に燻っていたほぐれた糸は、一瞬にして金色の糸となり、私をこの肥溜めから救い上げました。


 同時に、私はなぜ、大勢の観客が手を叩くだけの猿人形に見えたのか理解をしました。

 実のところ、彼等には何も聴こえていないのです。耳が肥えたようなフリをして、私の演奏意図などまるで分かってはいなかったのです。

 

 逆に私も、人を信じすぎていたのです。オーバーアクションなどしなくても、分かってくれているはずだと背中を預けてしまっていたのです。


 それが肩透かしにあったという不快感、嫌悪、何より違和感。

 私は、人が、決して理解し合わない生き物だという事実を、解釈できていなかったのです。


 ヒントを得た私は、直様楽曲を完成させました。曲は部分的にはマニアックに、主旋律はベターで分かりやすく、使うのはDコード、使用楽器はエレキギター。


 私がエレキギターを始めて選択したのは、この時でした。


 より狡猾に、より一元的に、大衆のニーズを汲み上げて、そこに個性という嘯くキャラクター芸を注ぐ……。要は、たったそれだけの作業なのです。


「観客を喜ばすには、まず、自分達が楽しむこと」

 あれは嘘です。自分が楽しい事と他者が楽しい事は、反比例します。

「みんながやっている事より、自分だけのオンリーワンを作る」

 これも嘘です。オンリーワンなんて、現代音楽みたいな不協和音だらけの理解しがたい音楽です。そんなもので共感は得られませんから、評価は当然受けませんし、一万回も聴かれません。


 こんなの当たり前だと思われるのでしょうが、存外、ほとんどの人は知らないのです。


 これを知った頃から、私の評価は飛躍的に伸びました。

 評価を得る方法を知りました。

 観客を支配するとは、猿山に餌を放り込むだけの流れ作業なのです。

 

 ですがこれはあくまで「一万回」の場合の方法論です。「一千万回」は、また別の話でしょう。


 一万回再生の命題は、「顔も見えない相手を惹き付けろ」であるのに対し、一千万回の命題は「顔も見えない相手に、口コミさせろ」なのです。


 誰かに紹介させなければ、一千万回の再生など不可能だと思えました。

 人は、どのような時に、他者へ私を紹介するのでしょう?

 簡単なようで、難しい問題です。


 教室から会場となっている部室に向かいう中、ずっとずっと考えていました。道中、何名かの人間が私に接触してきました。部室の前を陣取る生徒で「新聞部」という腕章もありました。

 彼女等は、猿人形でした。


「今日の意気込みは?」

 とか、

「クラスと名前は?」

 とか、どうでもいい事ばかりを定型文で訊ねてきます。


 私は私でやる事があるのに、なぜ、こんな迷惑を無許可に行うのか理解ができません。


 よって、分離しました。


 私は背後霊となって思考を開始し、その間、面倒なやりとりは前方の私に任せます。「前方の千歳」と呼んでいます。人間でいる以上、こうした無駄を繰り返すのは宿命だと教わっていましたので、それを自動で熟す人形を作りました。


 あの、高貴な人形達です。


 彼女は愛想良く私を演じ、着々と人間時間を熟していきます。


 別に、悪い事だとは思っていません。あちらだって、同じでしょ?

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