9

「セイカちゃんだよ、知らないのかい? この辺りに住んでて」

 ヘラだ。


「後ろの子……誰? 見た事ないね」


「でも、なんか……凄そうな人。セイカちゃんが一緒に出るくらいだし」

 もう一人のアテナか?


 瞬間、胸が劈いた。


「田舎臭い感じだね……」


 まさか!


 私はついに、見てしまった。

 液晶モニターに映る、あの生徒の姿を。


 ヘラは、あの子を連れて、ステージに上がろうとしていた。部室に作られた簡易なステージ。狭苦しくて、照明も撮影機器も幼稚。ガサツな舞台に、あの生徒を引き連れて上がろうとしている。


 ずっと堪えていた私の足は、駅前の巨大スクリーンの前で止まっていた。抑制したのに、止まった。


 この事実と論理を覆す事は、私にはできない。目の前の論理は、荒波となって私を誘う。


 ずっと下を向いていたあの生徒は、セイカがせっせとセッティングをしている最中、いきなり豪快にギターをジャンと鳴らす。


「あ」


 この場に居た多くの人間が、あ、と言った。私も含めて。


 彼女は首を傾げると、突如として歌い始めた。


 その瞬間、世界は、彼女を認識した。


 周囲の声が、一斉に止んだ。溜息を飲み込む音だけか、数多に広がる。


 上手いとか、そういう次元ではなかった。

 私は音楽なんか知らない。

 ここらの連中も、音符を読めない。


 それでも見た。

 聴いた。

 見つけた。


 一つの歴史の誕生を、この目で見たのだ。誰もが。


 圧倒的に伸びやかな声。大人びている様に聞こえる時もあれば、幼児のように聞こえる時もある。甲高いだけの子供声とは一線を画している。平坦部は掠れそうな声なのに、高音部になると途端に図太い線となり、豪快に空を舞っていく。

 表現の強弱が、私の知識を遥かに凌駕している。


 そしてやはり、どこから見ても稀有で、綺麗な造形。


 激しい演奏。衝動。

 若気の至り。

 増長。

 咆哮。

 自尊心。


 誰かに矯正された子供アイドルの時代は、終わった。


 それらを踏み台に、次の時代が始まるのだ。


 剥き出しの魂。


 人間、そのもの。


 目頭が熱くなった。涙が出ていたかもしれない。

 なぜ、そんなものを、私に見せるのか?

 人を辞めたいと願った私は、私が人だと認識させられた。

 魂が、美しいと感じてしまった。


 きっと、誰しもが……。


 演奏が終わった途端、怒号のような歓声があちこちから上がった。液晶モニターにスマホのカメラを向けるものが多発した。


 そこら中で、共通認識が勃発した。


 瞬く間に広がったこの演奏は、ネットを通して世界中に放送されている。


 疑う余地が無い。

 世界が、一つになった。

 時代が、生まれた。

 これは、人類の小さな一歩ではない。

 巨大に広がるネットワークから生み出された、必然的な革命(ファンファーレ)だ。


 世界は、これを待っていた。


 歓声はいつまでも冷め止まない。

 

 同時に、私には危機感が芽生えていた。

 これは、危険なのだ。

 彼女は、まともに歌っていなかった。ある種のランナーズハイともいえる状態だった。

 確信できる。

 彼女の視線は、この世のどこかに向かって歌っていたから。

 危険だ。

 あの状態が解けるには、最低でも一度の睡眠が必要になる。睡眠から覚めた時、夢のような現実が始まる。

 その堺に立てる人間なのか、確認しなければならない。


 私には、彼女を救える論理があった。

 見捨てる事も可能である。

 見捨てた方が、楽かもしれない。


 本当に?


 今、彼女に捉われ、数式の一つも浮かんで来ないのに?


 そう、もう分かっていた。

 私は、彼女を認めなければならないのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る