6
※
学校へ着き、クラス分けの掲示板を見た。別に見なくても分かっていたが、トップクラスだった。
でも、意外にも席順は三番目だった。
この学校のクラス分けは、トップクラスだけが成績順、他はランダムだったはず。私より上が、二人も居るという。
どんな生徒かと心を躍らせてみたが、そのどちらも、欠席していた。
この事実を担任教師は知らなかったのか、出欠を取り始めてから発狂した。
「え、なんで? なんでいないの? セイカさん、誰か知らない? え? 三津谷さん、え? いつも居るのに」と、混乱してクラスを飛び出して行ってしまった。
一番の生徒は入学式で総代の役目があるのだろうし、二番の生徒も中学からのエスカレーター組で優等生なのだろう。
だからと言って、混乱が激しい。慌てても、事態は悪化するばかりなのに。
案の定、クラスの生徒は顔を見合わせて混乱を始めた。
当然だ。学内放送用のスピーカーから「新入生は、皐月会館に集合して下さい」とアナウンスが入ったのだ。
引率があれじゃ、こうなってしまう。
席順的に引率するべきなのかもしれないが、こういう事は、やるべき人間がやる。そうやって生きてきた人間。
「仕方ないな」
仕切って入学式会場へとクラスを牽引したのは、私の真後ろ、四番目の生徒だった。身長こそ私よりも低いのだが、背筋の伸びた良い姿勢で、何より美人だった。例の生徒も美人だが、流行りと言えばこちらだろう。小顔で丸顔で目立ちがキツネみたいに斜めになっていて、鼻も高く、唇がややぷっくりと膨らみを帯びている。現代の美人というより、流行り美人。ただ、そうそうお目に掛かれない程に完成度が高く、読者モデルくらいになら明日にでもなれるだろうし、既にそうだと言われても寸分の疑いも持たない。
比べてしまった、あの生徒と。
彼女を見たあの日と、今の心拍数の違いを。
この手の美人は、幾らかいるだろう。年に一人の逸材。そんなところか。
ただ、そうした激戦区を勝ち抜いている風情はあり、自身は顔にも態度にも満ちている。優秀である事には違いない。
個人的には私は、あの生徒の顔の方が好きだ。
「先生どっか行ったし、うちらも行かなアカンのやろうし、ほな、いこか」
ガチガチの関西弁。これは、ポイントが加算された。
操行と生徒が席を立ち始め、廊下に出ようと引戸を開けた時だった。この時私は、自分が猫か犬にでもなったかのような聴覚の鋭敏な動きを感じた。
足音。
サクサクという上履きが当たり前に鳴らすだけのそれなのに、脳裏では天使が雲でも歩くような音……いや、只漠然と、それは美という感覚だと分かった。
顔を少し横に向けると、感覚の正確さを認識する。
女神が、そこに居た。
絹のような細く真っすぐな黄金の金髪。白という色は、これだったと教えられるような白肌。日本人とはかけ離れた顔の造形。目が大きすぎる、瞳が黒と茶色のほどよい中間色。腰の位置が高すぎる。バストトップも高すぎる。鼻が高すぎる。たぶん、並んだ身長はさほど変わらない。でも、縮尺が間違っている。遠近法でも使われたかの如く、彼女は巨大に見えた。
西洋系ハーフ丸出しの見た目以上に、纏う雰囲気、オーラとでもいうのか? それが他と隔絶している。
端的に言えば、余裕がある。
腰に手を当てる。たったそれだけの仕草で、周囲の空気が彼女に流され、纏われているのかように見えてしまう。
オーラとは、その者に現れる全ての諸動作から、他者に自身が何たるかを知らせる能力。つまり、生まれてから今までの間に培われた、生き様のようなものだ。
彼女のオーラからは、余裕、只それだけが存分に溢れ出している。
こんな人間、見た事が無い。
まるで女神。
それも、女神を束ねる王たる権威、ヘラ。
訊くまでも無い。この人が、学年トップだ。
神の如く威風堂々とスカートのポケットに手を差し込みながらやってきたヘラは、私の顔を見て、私の前で止まった。
「あれ。時間、間違えた?」
既に生徒は何人も廊下に出ていて、仕切屋の生徒も見えているはずなのに、なぜか、私に訊ねてきた。
私の目を直視してくる。
その瞳は、支配的というより、作為的な何かを感じる。
うやむやにするのは嫌だったから、即答した。
「時間を間違えただけの生徒は、わざわざ裏口から入って来ない。丁寧に、上履きまで持って」
茶色い瞳が、ぎゅっと私を睨み潰す。この体を絞りつくすように。
これほど凝視されたのは初めてだったが、この手の問いは経験済みだ。私の周囲の女子生徒は、当たり障りの無い質問を私に投げかけ値踏みしてくる。女性とは基本的にはそういう生き物だから、これは単なるクイズゲームでしかない。
気になるのは、なぜ、私なのか?
ヘラは存分に私を値踏みすると、大きく微笑んだ。子供のように。
「あぁ、さっすが、分かるんだねぇ、そういうの。ねっ、なんで分かったの? 数学的に導き出したの?」
「全然。行動心理学、後ちょっとだけ哲学」
「へぇ。聞かせて?」
やけに和やかに語りかけてくる。こういうバリアが、一番面倒だと私が思うと思っているのだろう。
正解。ウザイ。
「事前情報で、九割は分かるよ。入学式の新入生総代は、学年トップが行う。このクラスの担任はパニック型で論理計算が苦手。家庭科の教師なんだってね。それだけで、もう十分」
ヘラはピストル指を作って向けてきた。
「でも、100%じゃない。それじゃ、証明にならない。そんな論理、認められない」
嘆息した。
「あのさ、証拠が無い以上は推理(アブダクション)でしかない分けで、それを探す時間は無かった分けだから、100%なんかあり得ないの。状況証拠で考察はできるけど、それこそ100%になんか成り得ない。どこまで聞きたいの? 何を聞きたいの?」
「まぁ、そうか。んとね、あんたは信念を持って『こうであるはず』とした根拠があるはずで、あ、『ちょっとだけ哲学』ってやつ。それだけ、訊きたいかな?」
「行動は、言葉によって制限される。逆に言えば、言葉によって、行動は推測できる。それだけだよ、今回に限っては」
「んん……」
ヘラは顎に手を当て考えた。
ほんの僅かな時間だった。
「なるほどね。多分だけど、先生がパニックになって『セイカちゃんはどこ!』とか言って教室を出て行った。出て行った割りには、校内放送もかからないし。かかった放送と言えば『速やかに皐月会館へ集合』。一般生徒、放送部が淡々と放送している。つまり、私の遅刻は生徒には伝わっていないし、校内放送で私を探すという選択はしていない。となると、二択。……三択かな。私の家、親などに片っ端から電話をかける。どこかで待ち伏せる。探し続ける。……ん? これじゃ絞れない……」
セイカちゃん、と自ら名乗ったヘラは、引率代わりに生徒を指揮している生徒を見た。関西弁の美人ちゃんだ。
「あぁ、なるほど。朋(とも)も来てないのね。あいつが居れば、そっくりそのまま私の役を完璧以上に遂行するはずだから、玉ちゃん……あ、担任ね。玉ちゃんはそこまで混乱しない。どちらも居ないから、教室を投げ出した。
お? でも、こんな時間から電話して、うち等の動向を知ってる人間が捕まる可能性は低いな。玉ちゃんなら、それを分かってる。分かってるような言葉があった……『なんで、朋ちゃんまで来てないの?』ってところかな。
なるへそ。私等が中学エスカレーター組だって確定していたなら、玉ちゃんは私達の行動をある程度予測できるのが普通。でも、予測できない。つまり、どちらも『異端児』。となると、もう待ち伏せ意外に二人を一網打尽にする方法は無い。最悪どちらか一人でも!
……ってな事を、私が読んだ。って事をあんたは推測した。どう?」
「正解。裏口から来たという状況証拠は、貴女が上履きである事。入学式間際に、親連中の屯するあの正門前を突破しているはずが無し、しているなら、今あなたは担任教師と居るはずという逆説。
とはいえ、これは100%の論証じゃない。論拠が推論でしかない。
後、これしきの戦略も立てられない人間に、私の前席に座る資格は無い」
セイカちゃんは「ひゅぅ―――」っという口笛と、ダサい指さしポーズをとった。ラッパーみたいな。
「じゃ、最後に重要なところだけ……」
即答した。
「同率1位の外部生はどんな奴か? それが気になった。でしょ」
ヘラの顔から、笑みが消えた。
最早、明白に私を睨みつけている。
「他にもいるかもしれないよ、全問正解」
「有り得ない。何度も言わせないで。貴女の言葉が、行動を制限している。貴女の行動が、言葉となって現わしている。その程度の方程式なんか、五秒で解ける」
真っすぐに、視線を返上した。
金髪は嘆息して、笑みを作り、私に美しい片手を差し出した。
「私、江戸和(えどわ)セイカ。宜しく、天才さん」
握手には応じたが、その手を強く握った。
「もう一度聞くよ。貴女、何が言いたいの?」
セイカは、私の強く握った腕を引き、抱き寄せるように一歩前へと歩ませる。その上、自身は反転して背後に手を差し出す。
まるで、言いたい事はこれだ、とでも言わんばかりに。
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