4
※
今年の冬は、とても寒かった。
そのまま寒冷していれば良いものの、ここのところ太陽はやけに陽気で、酒でも飲んでいるのかの如く地を温める。
故にか、せっかくの入学式を、桜満開で迎えさせた。
桜が邪魔な理由を述べよう。
親が、写真を撮りたいと言い出すのだ。
「入学式は一人で行く。来たいなら、勝手に来ればいい」と宣告したというのに、一緒に行って入学式の前と後に、写真を撮りたいと言い始める。
なぜなら、桜が咲いているから。
『私立バークリード女学院入学式』とか立て看板が校門にあるだろうから、それを撮りたいから横に立てと言う。であるのならば看板だけ撮ればいいのに、と反論しても余計に面倒になる。中学の時になった。だから仕方なく撮らせてあげるのだが、これは私には無意味なのだ。私は記録に残るし、親は記憶に残るから。
撮る側と撮られる側、同じ空間に居ながらにして、記録に残るのは私だけ。でも後でこの写真を見た時に、私の顔を見ながら記憶を思い出すのは、親側だけだ。そこの映った私に見えていた記憶と、記録が重ならない。映った私の記録は、撮られた私の記憶。
この世界の構造。記録と記憶は、多元的な事象として別々に存在している。
現実の多構造がこうして私の前にやってくると、眩暈がして気持ち悪い。
だから写真が嫌いで、それを促す入学式なんか最低のイベントだ。
よって、それを増長させる桜が嫌い。以上。
とか、ぶつくさと親へ文句を垂れ流し、一人で本厚木駅に駆けだしたのだが、その駅のホームで、やはり見つけてしまった。
入学式なのに、有名私立なのに、彼女もまた一人だった。
彼女もまた「桜最悪」の証明をしてきた口の人間なのだろうか?
まさか。
そんな変人は、私一人で十分だ。
……。
とは言いつつも、十分である可能性を証明できていない。変人が二人いるのかもしれない。
全称命題か。
そう考えると、私は興味が沸いた。接触してみたい気分にもなる。
前回同様、私は彼女の隣に立ってみた。
こんな辺境地で、こんな金色の学生制服を着ているのに、彼女は全く気付かない。
ずっと、前だけを見ている。
緊張?
とも思えない。
顔が、ピクリとも動かない。瞼が閉じるばかりで、それ以外の部位に動きが無い。
まるで人形だ。
厚木から都内の有名私立に行く人間は変人である、という簡単に崩せそうな命題だが、さて、どうしたものか。話しかけただけで、証明できてしまいそうな生徒である。
「話そうかな」
一応声に出してみた。
でも、動かない。少し口が動いた気がするが、動いたうちには入らない。
やめた。
どの道、友達にもならないのだから。
電車が来て着席すると、私はノートを開いた。
こんな人を構っているより、一つ、解きたい問題があった。
「雪の降る時刻」
数学オリンピックのオブザーバーをしてくれた「C」から、これを解いてみたらどうか? とメールをもらった。
彼女「C」と出会ったのは、ある、イベントだった。
数学オリンピック以前から、私は色々な「勉強合宿」に参加していた。全国の偏差値上位の生徒が集められる、所謂、英才教育の最先端みたいないイベントで、小学校の頃から神奈川県で一番の偏差値を持っていた私は、そうした催しに県教育委員会の推選で参加していた。これに参加するような生徒は、ほぼ有名私立中学に入学するのだが、家庭の事情、主に金銭面などで一般中学に入学生徒もそれ相応にいる。
そんな、「公立校の生徒」を対象にしたイベントだった。
私はこれに、価値を見出せなかった。
事、才能というものにおいて、私立と公立、貴族と農民に大きな「意味」は無い。権力構造は、循環式である。権力のメカニズムを解明するでもいいし、歴史的事実を検証するでも構わないが、どちらにせよ、日本という富裕国のカテゴリーでは、貴族であろうが農民であろうが、才能というものに大した影響を及ぼさない。
つまり、「公立校だけを対象にする」という論理は、破綻しているに等しい。
だから、別にここに来る必要は99%皆無だったのだが、1%の奇跡によって、私は参加を余儀なくされた。
「馬東(ばとう)クリスさんが、来るみたいよ」
そんなヨタ話を教育委員会の白髪老婆が言うものだから、頑なに参加拒否をする私も、仕方なく参加してしまった。
馬東クリス。
時代にはそれぞれ革命を起こす大天才が居て、そのたった一人、もしくは数人により世界が回されていたりする。現代で言えば、それが彼女だった。
歳は、私よりも僅か二つ上。当時私は中一だったが、彼女は中三だった。若干十五歳にして、既に彼女は偉人だった。この時代、インターネットの開発により数多の偉人が登場している。だが、そのほとんどは、経営者とエンジニアの二人三脚であり、分業制を敷いている。(有名なのは、経営者だ。当然だけど)
それを、同時に行ったのが彼女。
いや、そもそも論で言えば、インターネットという当初は学者間だけで利用されていたシステムを開発、広告、大衆化した一人が彼女であり、最も貢献したと言える。
世界を変えた馬鹿げた天才。それが、馬東クリスである。
およそ、私がこの世界で一度会ってみたいと思った唯一の人間だった。
期待して向かったのだが、彼女との邂逅は一瞬のものだった。三日目にして漸く姿を現したのだが、特別に講演をするわけでもなく、生徒達に授業を施すでもなく、笑いどころのまるで無い会話をいくつか熟すだけだった。
というか、話をしているのは概ね取り巻きの側近達、確か「秘書」とか呼ばれる彼女の精鋭部隊で、馬東クリスの計略を実行に移す側近だったはず。世界中から集められた怪物達ばかりで、平均IQが160を超えているとか言う話だったし、この一人一人が云百、云千億円単位の事業責任者でもある。
そこらの学生との話を聞いていても、視点が全然違っていたし、学問的な疑問は勿論、後の人生プランなどについても的確なアドバイスを行っている。この人達と話せただけでも十分この合宿の価値があったと、皆思っていただろう。
私、以外は。
私と初めに会話をしたのは、どうみても側近達のまとめ役であった40代前半くらいの淑女で、人柄もおおらかで、何より気品があった。
「私は貴女を知らないし、話す必要は無い」などというぶっきら棒な言葉も、簡単に受け流された。
「それを決めるのは今の貴女ではなく、将来の貴女よ。この言葉の意味が分からないのなら、そうね、話す価値は無いかもしれないわね」
なるほど。これは一本取られた。
「いえ、申し訳ありません。経験を無駄にするのか否かは、私側の問題でした。ご指導ありがとうございます」
瞬間、淑女の瞳がギラっと光った気がした。
彼女の学生時代の専攻が社会哲学だったそうなので、私も自称プラトン学徒な故、社会契約について幾つかの議論を交わした。しかし、彼女が話をルソーに展開しようとしたので、私の眉間が激しく寄った。
その時、
「あー、違う違う。その子、そんな話はしてなから」
口を挟んだのは、馬東クリスだった。
噂や写真では見た事があるが、本当に、小さな少女だった。しかし、見た目と存在感のギャップが甚だしい。発するオーラは、もう人のものとは思えなかった。
「あ、はい。私は公理的な展開をしているので、今そこに飛ばれると迷惑でした」
彼女は爆笑した。
「貴女、凄い度胸してるね。私達を前に、よくも堂々と指摘できるわね」
「権力権威にビビてっても、公理を議論できません」
「そうよね。それを覆してナンボだものね」
二言で彼女の笑いは終わっていたが、代わりに、純然で落ち着きのある目を向けてくれた。
「貴女、どこかで会ったかしら?」
「まさか。会う必要性がありませんし」
「ふーん、そうよね」
彼女は、やたらと私の顔色を見ている気がした。
強烈な視線で私を一通り嬲ると、
「いつか、私の秘書になりなさい」
「結構です」
「あっそ」
私に背負向けて、また秘書の中に戻っていく。
たったそれだけの邂逅たったのだが、私のその後はこの出会いに大きく左右されていた。合宿の直後、一通のメールが届いた。その人は名前を名乗らなかったのだが、アドレスにヒントがあり明白に暗号化された文字列だった。解読に必要な鍵は「C」。
それ以降、私はその人物を「C」と呼んでいて、勝手に、馬東クリスだと思っている。
大したやり取りは無く、時たま数学問題や哲学問題が送られてきて、その解法をやりとりする程度だ。
そんな他愛も無い関係なのに、私は、彼女の経営するバークリード女学院に入学してしまった。
(これは余談になるが、あの合宿には「秘書予備軍」みたいな子供達も参加していた。世界中から集められた化物天才児達で、その中の一人に「前田逸(まえだいつ)」という人間が居た。彼女とは気が合い、その後もよく電話やメールで話をする。今では馬東クリスの右腕となっている人だから、知っている人も多いかもしれない。彼女もここバークリード女学院の生徒であり、ほんの少しだけ、その影響もあったかもしれない。ほんの少しだけ)
なんとも、私も人であるという証明をされているようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます