空白の世界と与えられた大鋏

 一体自分の身に何が起きたのかわからないまま、ルカは真っ白な世界で海に浮かぶ海月のようにぷかぷか浮かんでいた。

 激しい光と、叫び声の残響、死体の山に打ち捨てられたマコラの姿が、脳裏を過ぎる。全部悪い夢だったらいいのにと目を閉じるが、鼓動が現実だと教えてくる。


(ここは、どこなんだろう。ボクは死んでしまったのかな)


 目が慣れた頃にゆっくりと体を起こして辺りを見渡したが、何も無い。歩いても歩いても景色は変わらず、石ころさえ落ちていない。死後の世界は賑やかな冥界などなく虚無でしかないと説いた本を読んだことがあるが、その通りだったのかと涙を流す。やはりマコラとは、もう二度と会えないのだ。


「おめでとうございます。幸運な人よ」

 声をかけられて上に視線を向けると、中性的な見た目の人間が降りてきた。背中には羽が生え、頭には金色に光る輪を載せている。


「貴方は……?」

「私は天使、人に幸せを運ぶもの。異世界ランディア消滅を生き抜いた貴方に、祝福を与えましょう」

「ランディアが、消滅した……?」

 ルカはショックのあまり呆然と立ち尽くした。救わなければならなかった世界が、友が、故郷や両親が、跡形もなく消え去ってしまったなど、到底受け入れられない。


「なにも不幸に思うことはありません。貴方はこれから新しく世界を作るのです。さあ、これを」

 天使はルカの身長の半分ほどもある大鋏を差し出した。とてもそんなものを手に取る気分ではないのに、気づけば剣術の基本動作の動きをしていた。使い方を体が最初から知っていたかのように。


「ふふふ、慣れてきたようですね。それはカテルの大鋏。攻守共に優れた武器でもあります」

「こんなものを貰っても、どうしたらいいか……」

 返そうとするルカを、天使は宥めるように言う。

「貴方はこれから異世界を巡り、欲しいところだけをその大鋏で切り取り、ここへ持ち帰るのです。世界が完成すれば、貴方の望んだものが手に入ることでしょう」

「あ、ちょ、ちょっと待ってよ!」

 手を伸ばしたルカの言葉虚しく、天使は光の中に消え去ってしまった。


 そして光から扉が現れ、ルカは大鋏を大剣のように背負い、扉を開く。戻れない流浪の旅が始まったのだ。



 ――所変わって死神局回収課。赤いスーツの死神が、上司に事の顛末を説明していた。

「つーわけで、おカミは14725の魂をルカってケモノビトの身体にがっつり固定して、世界は消滅。どっかに飛ばされたっぽいんすけど、追跡できねーっす」


「最近は我々から逃れるために身体を乗り換える転生者が増えてきたが、今回のケースは最悪だ。お前の交渉の下手さは相変わらずだな、赤屍」

 黒いスーツを着た上司の死神はため息を漏らした。


 死者の魂は、死神が回収し冥界へ導かれる。そこで生前の罪を精算し裁きを受け、天国、煉獄、地獄に振り分けられる。天地創造から変わらぬ生と死の理だ。

 しかし、ここ数年現代日本においてそれが崩されつつあった。不自然な死に方をした人間が天使の導きで異世界に転生し、本来ありえない二度目の人生を歩むようになったのだ。


 それだけならまだしも、転生先で我欲を満たす為だけに世界を中世ヨーロッパ風のゲームに書き換えたり、世界そのものを管理する神に成り代わる者も現れ始めた。紋切り型のスキルとステータス制度を採用し、没落、失格、底辺、外れ、追放から始まるその人生模様は、日本人らしい自虐とコンプレックスの奏でる醜いハーモニーだ。


 かつて数が少ない頃、おかしなことがないかヒアリングをして回った死神がいたが、異世界の神々たちは不正などないと口をつぐみ、崩壊寸前まで知らせようとしなかった。放置した結果、ランディアのように消滅してしまった世界も少なくない。


 これを憂えた冥王の勅命で、不正行為を働く転生者の魂回収を任されたのが赤屍だ。しかし今回は一つの身体に二つの魂が入ったまま転移しており、所在がつかめない。その上ルカは回収対象ではない為、下手に手出しが出来ない。


「そう言わないでくださいっすよクロちゃん。自分これでも頑張ってる方なんすから」

「まぁお前を責めたところで状況は好転しない。この件は運命課にも話を通しておく、命令があるまで待機しておけ」

「へーい」

 赤屍は、めんどくさそうに机に突っ伏して寝ることにした。

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