第9話 推理地獄
何だかシリアスなことになってきたぞ、と私は思った。
たかがリスの脱走、と最初は面白がっていたが、それが満里恵の受験勉強に関わってきて、妻が苛々し、満里恵が泣き出すようなことになってしまった。
しかし……、さっき妻が一瞬見せた妙な表情は何だったのだろう?
以前にも、妻が似たような顔になったのを見たことがある。結婚して間もない頃、事業がうまく回らず苦労した。赤字続きで人を雇う余裕など到底なく、妻と二人でハンダごてを持って、翌日に納品する「ソーラー充電器付きi−Podキャリングケース」百五十個分の回路を、徹夜でハンダづけしたこともあった。そんな時、妻はふと作業の手を止めて、もう我慢がならない、というように顔をしかめることがあった。
その時の顔が、さっきの妻の厭味な表情に、似ているといえば似ている。
だが……同じではない。
さっきの妻には、何か毒のようなものがあった。ひどく屈折した何かが感じられた。
妻があんな顔をしたことは、やはり今までに一度もない。
それにしても……
考えは最初に戻った。
リスはどうやって脱走したのか? 誰かが逃がしているとしたら、誰が、何のために?
そして……なぜ一つのハンダの棘だけが光っているのだろう?
チョビの檻の前にあぐらをかいた私は、銀の棘を見た。リビングの明かりは消してあり、キッチンの蛍光灯が差し込んでいる。棘の先が鋭く光った。
バラの棘ほどの大きさといっても、金属の先は鋭い。リスが扉から出る時に、間違って体を擦りつければ、きっと怪我をするだろう。
まさか……
頭の中に、突拍子もない考えが浮かんだ。
……怪我をさせるために、わざと磨いて尖らせたのか?
その瞬間、俊樹の昔のことが思い出され、 背筋が寒くなった。
俊樹の高校には、退学になった不良がひとりいる。野良猫の肛門に爆竹を突っ込んで爆発させたり、犬の足を縛って身動きできないようにして線路の上に置くというようなことをやっていた生徒だった。俊樹は一時期、無理やりそいつの子分にさせられていた。親玉の退学で関係は消滅したが、俊樹は少なからぬ影響を受けたのではないか?
それに、だ……
俊樹はプロレスやK1にハマっていて、力に憧れる傾向がある。私に似て貧弱な体格だが、本人はそれが嫌で、通販で買ったトレーニングマシンで体を鍛えることに執着している。残虐な犯罪を犯す青少年には、やはり力に憧れる傾向がある、とテレビで言っていた。
こんな小さな棘では、リスに、残虐といえるほどの怪我をさせることはできないが、俊樹の中の凶暴性の芽が、ハンダの棘を磨くという行為になって現れたのではないかとも思える。
……飛躍しすぎだ。俊樹を凶暴な不良と同じにするのは馬鹿げている。
そう思うと、今度は、反射的に俊樹を犯人にあげてしまった自分がいやになった。
心のどこかで、日々大きくなっていく息子を、私自身が恐れているのかも知れない。
私はキッチンに行き、いつもの缶ビールではなく、ウイスキーをコップに注いだ。
それを持って戻り、同じ場所にあぐらをかいて座り、一息に飲み干すと、私はチョビの檻を睨み続けた。
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