第7話 闇の棲家
広大なダイニングテーブルは、私にとって幸せの象徴だった。
郁子と結婚した当時、生活は厳しく、九十センチ四方の座卓が夫婦のディナーテーブルだった。アパートの部屋は北向きで、壁は黴びていた。私はそこから奮起して、アイディア商品の企画会社をつくり、しゃにむに働いて今の生活を築いた。
今は文京区の高級マンションに住み、眺めのいい、広いダイニングで食事ができる。食事の後、きれいに片付けられた大きなテーブルを見ると、私は、いいようのない充実感を覚える。家庭の豊かさと安定。テーブルはそれを象徴していた。
その時も私は、ダイニングテーブルを見ながら考えていた。今、うちには何の問題もない……チョビの脱走を除いては、と。
トイレから帰った後、チョビのビデオを無駄に最後まで見た私は、冷めた紅茶をすすり、テーブルを片付ける妻の様子を見ていた。子供たちはめいめいの部屋に戻っていた。
トイレの窓を閉めたのが私でなく、家族の誰でもない……などということはありえない。つまり、誰かが嘘をついている。
なぜ?
嘘をつかなければいけない理由が、何かあるのか?
さっき皆にトイレの窓のことを尋ねた時、はっきり返事をしなかったのは妻だけだった。
紅茶を飲み干した私が、カップをテーブルに置くか置かないかのうちに、妻はそれをひったくるように取り、キッチンへ持って行った。
私は、その後ろ姿をじっと見た。
……何か不満なのだろうか?
キッチンから戻った郁子は、無言でダイニングテーブルを拭いた。夫婦二人きりになると急に会話がなくなるのは、いつものこと。私は新聞を読むふりをしながら、妻の様子をうかがった 。白髪が増えているのに気がついた。
妻が不意に動きを止め、体を真っすぐこちらに向けたので、何か言いたいことがあるのかと思い、私が顔を上げると彼女は目を逸らした。
またテーブルを拭きはじめた妻に、私は言った。
「なあ……誰かが、わざとチョビを逃がしてるってことは、ないか?」
「えー?」
彼女は面倒臭そうに言うと、布巾を持ってキッチンへ行った。
戻ってくるのを待っていると、やがて、水を流す音と、食器のぶつかる音が聞こえはじめた。
私は新聞を置き、チョビの檻の前に行った。よく見ようとしゃがみ込むと、昼間ぶつけた脛に痛みが走り、唸り声が勝手に出た。
……それにしても、どうやって逃げたのか。
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