第八話
最初に浮かんだ言葉は』『どうして』だった。
そして、その『どうして』はヒトミの頭の中で分裂を繰り返し、思考力をたちまち奪っていく。汚染された脳は「どうして」とヒトミの口を動かし、五感から得る情報に独断で疑問符を付与していく。
『どうして私は生きているのか』
『どうしてあなたが死ななければならないのか』
『どうして私たちは戦わなければならないのか』
何回も同じ言葉を目の前のヤコに投げ続けた。第一次反抗期の幼児のように、ヒトミは自分に突きつけられた現実を何度も否定しようとした。
ヤコはヒトミを庇うように両手を広げたまま沈黙しており、真っ白なキャンバスをじわりと染色していく紅血の抽象画がなければ、まるで時が止まっていると信じてしまいそうになる。
ヤコの腹を貫通して背中から飛び出した蜘蛛の鋏角も獲物の絶命を待機する様に大人しくなっていた。しかし、日本刀のように鋭利な二つの牙は、ぎっちりとヤコの体を捕らえて、離す素振りを全く見せない。
手を伸ばせば届く場所にいるはずなのに、ヒトミの体も時間に囚われてしまって、指先すら動かせない。そして、意識とはかけ離れた場所が、目頭を勝手に熱くし、涙を流させるのを感じた。涙は顔に張りついた血液と混ざり合って、不思議な化学反応で燃え上がるような温度へと変わる。凄まじい高熱は痛覚に還元され、ヒトミは頬を刺すような痛みに思わず目を瞑る。
そして、再びヒトミが目を開けたとき、ヤコはゆっくりとヒトミの方を向こうと首を回していた。カタツムリのように鈍く、壊れた機械のように歪に震えるヤコの動きは見るからに正常ではない。
『どうして、あたしたちなんだろ?』
ヒトミはヤコの横顔が一瞬そう呟いたように見えた。
全く同じ顔で、
全く同じ躰で、
全く同じ声で、
全く同じ呪で、
全く同じ遺伝子で、
全く同じ背格好で、
全く同じ服を着て、
全く同じ流星に乗って、
全く同じ目的で戦って、
全く同じように死んでって、
全く同じように繰り返して、
全く終わりない世界を生き続けて、
変化を否定する愚かな
戦闘用のクローンとして生まれ、戦い続ける宿業を課せられた哀れな生物らは、初めから真っ当な生き方の選択肢を与えられていない。
彼女たちに許されているのは、地獄を見続けるか、惨めに死ぬかのどちらかでしかない。そしてヤコは自ら後者を選び、ヒトミは強制的に前者を掴まされた。
生物学的に百パーセントの整合性を持つ少女たちは、同じ羊羹色の瞳孔を見つめ合い、それぞれが得た命運の到達点を知った。なぜヤコの口元には苦しみを押し殺した笑みが浮かんでいるのか、ヒトミはこの時はその意味を理解することが叶わなかった。
「その……ロケットラ、ンチャー……を……ち、ちょうだい」
口の中に血を溜めてヤコは喋りづらそうにヒトミに手を伸ばした。一言一言発音するたびに口からは血の筋が流れ出る。だが、死の淵に立っていても、ヤコの目は真っ直ぐにヒトミを見据えていた。
ヒトミの体は催眠術にかけられたように、右肩に大事そうに担いでいた百二十ミリ無反動砲をヤコに手渡した。ヤコは目を細めてヒトミに無言の礼をすると、蜘蛛の頭部に乱暴に押し当てた。
肺に残っていた最後の二酸化炭素を吐き尽くし、ヤコは引き金を躊躇なく引いた。
ヒトミの目には一連の出来事がスローモーションのように映った。
蜘蛛の頭が大きく膨らむとともに緑色の液体を吹き出しながら爆発した。その様子が記憶の中の自分が幼い時に夏に遊んでいた水風船に水を入れすぎて爆発した時とあまりにも似ていた。直後に液体は赤い何枚もの舌が伸びているような爆炎へと変化し、ヤコの体に勢いよくぶつかった。
赤い舌がヤコの体を舐めた部分は黒く塗り潰され、火傷の段階を踏まず、即座に炭になっていく。皮膚が焼かれ、表に出た筋肉も、骨になるまで舐め尽くされていく様子は、やはり夏のアイスキャンデーを食べて、少女に楽しそうに話しかける中年の男性の姿によく似ていた。
そして、百二十ミリ無反動砲が生み出した衝撃は、例外なくヒトミも襲った。熱波は蜘蛛の糸を簡単に溶かし、爆風はヒトミの体を後方へ遠慮なく吹き飛ばした。無抵抗のヒトミは砂の山に激突し、身体は砂に埋め込まれる。しかし、大部分の熱はヤコが受け止めていたおかげ、皮膚がひりひりと痛む程度の微かな損傷に過ぎなかった。
名前を呼び続けながらニオはヒトミに駆け寄って怪我の程度を確認する。遠退きそうな意識を繊細な蜘蛛の糸一本で繋ぎ止めて、ニオに体のあちこちを弄られているのを感じながらも、ヒトミの目は爆発跡の方に向いていた。
頭部を失った蜘蛛の化物は力なく地面に突っ伏しており、破片と体液に塗れたグロテスクな死体を恥じることなく見せびらかしている。少し離れたところには黒く変色した人形は地面の上で煤を焚いており、月光はその一筋の煙をゆっくりと空へ運ぶ手伝いをしていた。
そしてミナはアサルトライフルを構えたまま、蜘蛛の死体に慎重に近づき、横腹を銃口で突いた。静謐な蜘蛛の体に構わず、ミナは容赦なく弾を叩き込んだ。
フルオートで発射される銃弾は全て腹部に命中し、だだ漏れの大量の緑色の体液は砂にスゥと染み込んでいった。返り血のように顔にかかった体液を手の甲で拭き取り、今度はヤコの死体に近づいていった。
観察するようにヤコの死体を見つめるミナの目は死神のように虚ろで無情だった。もはや人と呼ぶにもあまりにも酷い焼死体は、乳白色の骨と爛れた血肉をミキサーでかけ終わった後のようにぐちゃぐちゃで、復元が不可能だと誰の目から見ても明白であった。
ミナはピタリと足を止め、骸の近くで膝をつく。右腿から大振りのコンバットナイフを取り出して逆手に握って、空高く掲げた。遠くから見ていることしかできないヒトミには、よく磨かれた刃が白銀に発光しているようだった。
何をする気ですか、とヒトミが止める間も無く、ミナはヤコの体にナイフを突き立てた。
断頭台の死神のように、その手はあまりにも冷静で、正確にヤコの喉元を貫いていた。
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